第一の欠片と秘匿魔法
エフィラ王は、リヒターからの質問に応えるより先に、この空間に入ってからすぐに絶え間なく降り続けているキラキラとした粉を掬って見せた。
「外界の時間を止めている者がいるようですね」
頭上を見上げると、砂塵のような魔法の気配は時を追うごとに増えていたことに気が付く。キラキラと光りながら降り注ぐそれはグリムテイソルツと呼ばれ、魔法使いが誰かを守護したり空間に力を与したりすると出現すると言われている。属性によってその形は様々で、月なら月光、太陽ならば陽光のように属性によってその現象は変わる。
「(でも、ここは外界とは切り離された空間のはず。ましてや精霊王エフィラが創り出した空間に入り込める力を持つ、妖精の粉のような光を放つ属性‥‥)」
「光の属性を持つ者は、ミュゲには一人しかおりません」
そう言われ思わず息を飲む。一瞬、フォースタスかと考えたが、彼は魔法で塔の気配を消している最中。時間を止める魔法は膨大な魔力量を必要とするため同時に魔法を使う事は不可能。レイ陛下は、消える直前までわたしたちに対し中立な立場を崩していなかった。だとしたら考えうる魔法使いは一人しかいない。
「イルシュタイト‥‥」
「世間知らずで石頭な王子が自らの意志で力を貸す日が来るなんて。一体、どんな手練手管で丸め込んでのやら」
くすくすと笑う声と共にリヒターと私を交互に見やる。すると、リヒターがエフィラ王に一歩足を踏み込んだ。
「王妃の霊妙な力の賜物かと」
「あの王子は聡い。そんなもので動く男ではないよ。彼は王子としてこの国を護るために動いたのだろう。反逆に値するような所業と見做されようとも構わぬほどに、リリア王妃に執心しているようにも見えなくもないがね」
恭しくお辞儀しながらきっぱり言い切るリヒターに向かって微笑みながら、同時に、エフィラ王はパレスから見える国民たちの忙しなく動く人波を用心深く観察していた。
「神と精霊はつながっています。怨嗟によって心を病み、砕かれた神の欠片は7つに方々したことは、神器を守護する者ならば全員周知しているはずです。そのうえで、わたしなりに考察してみました」
にっこり微笑むと、エフィラ王は指で空に円を描いてみせた。その残像をなぞるように金色の帯が辿るのを見ていると、文字が浮かび上がってくる。
「真正の姿であるディミヌエンド様から抜けた欠片たちが放たれたとき、わたしが感じ取れたのは、魂魄が抉り取られるような引き剥がされる感覚だった。それらからは、知慮、正義、勇気、愛などは感じられず、神でも人間でも等しく持ち合わせているもの。いわば根源的な喪失に近いと思う」
そう言いながら書ききるエフィラ王の指先には名称が書かれていた。
「スペルビア、アワリティ、インウィディア、イラ、ルクスリア、グラ、アケディア。これらは、枢要徳に対して枢要悪とされる想念の名称だ。神にも人間にもそして魔法使いにも等しくある欲望、感情でもある。わたしは、神の欠片とはこれら思念体であると考えています」
「神の中に在ったはずの根源的な悪こそが、神の欠片だと?」
「そうだ。そう考えると、この国に影響を及ぼすだけの力を秘めていたとしてもおかしくはないし、人心が混濁するほどの影響があるのも頷ける。悪心とは、善心に勝る浸透力を持つ。強い国ほど、甘い毒を我が血肉とするべく飲み干してしまうんだよ」
エフィラ王の瞳が悲し気に揺れているのを見ながら、わたしは彼の書いた文字を見やる。傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰は、人間の内面に潜む悪の種そのものであり、その罪源の名称だ。
魔法を扱う者は公私ともに律し、7つの罪を侵さないように生きることを魔法学校で最初に学ばされる教訓のようなものだ。だが、これらは概念であり、すべてを守って生きているのかと質されたら、うんと頷ける自信はない。
「神から罪源がなくなったら、どうなると思いますか?」
誰に向けるわけでもなく空へと話しかける。エフィラ王の厳かな雰囲気に思わず息を飲んだ。隣で空気が動き、リヒターが口火を切った。
「悪が抜け落ち善のみが残った神によって統べられる世界は歪に傾き、秩序の均衡が崩れます」
「そして、確固たる主を無くした世界は、その居心地の悪さに自ら崩壊し始める」
空を斬るように文字をかき消した。エフィラ王は、苦悶の表情を浮かべたままわたしを見据えた。
「神の欠片は神の一部。ゆえに、その魔力量は膨大だ。パレスの異常、国内での異変、王の蛮行。それらは、わたしが察するに、神の欠片が霧散した日を境に起き始めている。少なくとも、欠片の一つはミュゲ国内に在るとみて間違いないでしょう。ただ、文献通りに欠片が羽となったというのが、少々厄介だね。物は属する性質に引き寄せられるものだから」
「‥‥それは‥‥つまり‥‥」
今にも震えだしそうな怯えた顔に変わっていく。リヒターは眉根に皺をよせながらありえないといった具合に首を振りながらエフィラ王を見るが、彼は応えることなく厳しい面持ちを深くする。
「引き寄せられた羽を持ち込み、その強大な魔力を利用して災いを招くことも容易い」
「‥‥天空国が関わっていると?」
エフィラ王がゆっくりと首肯した。ぞくりと背筋にいやなものが流れる。天空国、羽を持つ者、すなわちレイ王がこのタイミングで現れた。今までの出来事が走馬灯のようにぐるぐるとする私に向かって、エフィラ王が向き直る。
「羽は具現化する。そのことは聞き及んでいますね?」
「はい」
「わたしが察するに、レイ陛下が羽を持ちこんだ後、何らかの理由で具現化し実体化したと考えられる。その欠片が、これまでの一連の策謀を陰より統べる御方だ」
御方、と敬称したことにリヒターが詰め寄る。
「貴族か王族になりすましていると?」
「欠片であっても魔力は神と同等だからね。覚られれば利用される。人間になり替わっているとしても、表立って姿を顕すことなどないだろう。だが、彼らは欲望や感情に流される性質がある。それらの気配が強い場所に神の欠片はあると考えるのが妥当だ。人目を避けられ、尚且つ、統治の羅針盤を覗き見ることを赦される立場であれば、渇望も満たされるだろうね」
リヒターがはっと息を飲む音が聞こえた。その反応ににやりと笑みを浮かべるエフィラ王は、わたしに近づくと愛でるような手つきで頬を撫であげた。
「神の寵愛を受けているリリア王妃ならば、望むと望まざるとにかかわらずたどり着けると思いますよ。それから、お探しの秘匿魔法ですが‥‥それは、きみが知っているはずだ」
そう言い放った先にいたのはリヒターだ。
「‥‥わたしが?」
「大賢者になった日を思い出してごらん」
諭すようなエフィラ王の言葉にリヒターが逡巡する。しかし、思い当たる節がなかったのか、視線はエフィラ王に戻っていく。
「ミュゲの名誉魔法使いとなった日に、無属性であるきみが編み出した魔法だよ」
そう言われたリヒターの表情が引きつっていく。
「律を‥‥他国に教えろと?」
エフィラ王の静かな頷きと同時に、空から降るグリムテイソルツの群集が、牡丹雪のように降り注ぎだした。




