スピリトクロンヌの解呪
白一色の空間にちらつく光からは、妖精と目の前の大男から放たれる強靭な魔力の気配が感じ取れ、異空間に引きこまれたわたしは手も足も出ないまま、リヒターとエフィラと呼ばれた影を凝視していた。煙の中から現れたのは、2mはある長身に屈強な体の男だった。引きずるようにして羽織られた白い布には金糸で鮮やかな装飾が施され、露出した胸元には星形の彫り物があり、頭上には漆黒の葉や花の造形を交互に編み込んだ王冠を被っている。
「時渡りの儀以来だな。リヒター・ウルフレッド」
澄んだ金とグレーの双瞳が親しみを込めながら細くなる。リヒターは応えるように彼の間合い入り込んだ。
「突然呼び出してしまい申し訳なく思う」
「大丈夫だよ。そろそろ会いに来るだろうと思っていたしね」
少しの沈黙が降りた間も視線のみで交わされる二人の無言の会話を見つめていた。パレスの中に封印されていた神器の謂われとなった妖精王エフィラと、彼が創った国を護る大賢者であるリヒターが対峙する様は神聖な儀式のように静謐な空気を纏っている。息を飲むように見守っているわたしに向かってエフィラ王が柔和に微笑みかける。
「息が苦しくはないですか?体が引き千切られるような痛みは感じない?」
「・・・・はい。どこも痛くはございません」
「この空間には仕掛けがありましてね。わたしに出会うべきではない者が侵入すると、魂から捩じ切って始末してしまうんです」
エフィラ王はそう言い切ったあと、大きな体を揺らしながらわたしの目の前にたどり着くなり満面の笑みを浮かべて見せた。
「リヒターはわたしの心の友人なんだ。彼がいるから、わたしは神器を託せた。そして、この国の安寧を願おうとおもえたんだ。きみは、リヒターの心の咎を祓おうとしてくれているのだろ?」
「はい。神器と魔守り人の呪いは共鳴し合っています。リヒター様の呪いが解かれなければ、やがて妖精王冠も呪いによって穢れてしまいます」
「‥‥あなたは、わたしが彼の呪いの元凶だとは思われないんですね」
エフィラ王は含むように口元を上げる。確かに、神器を産んだ彼自体が呪われれば、魔守り人であるリヒターも呪われる。だが、目の前にいる彼から呪いの気配はしない。むしろ、彼からはアンダーヴィレッジで会った守護者以上の神聖で静謐な魔力に満ちていて、気を抜くと気圧されそうなくらい生気に満ち溢れている。
「あなたからは瘴気を感じられません」
「そうか。ならば、見せて差し上げよう」
エフィラ王は決意したように目を瞑ると細く息を吐くと、彼の口から放たれた息が煙の帯になり、やがてリヒターの元まで伸びていった。足元から立ち上った煙がリヒターの体を包み込むと、彼の心臓に吸い込まれるように体の中に入って行く。
「‥‥エフィラ?」
「心配ないよ。きみとわたしは同質だから」
吸い込まれていく煙に狼狽えたリヒターを、エフィラ王は宥めるようにやさしく諭した。
「精霊と妖精、魔法使いと人間。すべてが幸せに暮らせる国を創りたい。それがわたしの願いだった。だが、いまのミュゲ国はわたしの願いとは程遠い。世界に翻弄され、他人に感化され、己の本質を見誤り、身の丈以上の欲を求めている。そんな世界を創り上げる源泉を創ったのはこのわたしだ。彼らの本質も自分と同じものだとし、彼らの矜持を蔑ろにした。愚かなわたしの決断の誤謬が招いた悲劇だ」
眉根に皺をよせ苦悶する。エフィラ王の横で胸のあたりが仄かに光り続けているリヒターと視線を交わす。「自分が行く」と滲ませた目を見てわたしが後ろに下がると、リヒターが彼に詰め寄った。
「あなたのせいではない。わたしが彼らに指針を示せなかっただけだ」
「きみはよくやっていた。そして、イルシュタイトもパレスや神器、そして民草を護るために注力してくれていた。だが、今のミュゲの王は、きみたちの尽力を無下にする俗念に塗れた政にしか興味がないようだ。このままではあの国は亡びる。ならば自壊する前にわたしが朽ちれば・・・・」
言い淀んだと同時にエフィラ王の体から黒い煙が立ち上り始め一気に瘴気が吹き出した。瘴気は色によって段階がある。薄いグレーは軽度だが黒さを増すとそれは呪いを振りまくほどの強さを持つ。彼から立ち上っている瘴気の色は漆黒だ。
「それ以上はやめろ!魂縛してしまう!」
魂縛。それは、己を呪いで縛りつけ魂を自分で消してしまう呪術のことだ。リヒターの言葉でそのことを思い出したわたしの足は迷いなくエフィラ王へと向かっていた。だが同時に、隣で狼狽えていたリヒターまでもが心臓を抑えながら苦し気に四つん這いになったのをみて、二人の呪いが共鳴していること自覚させられた。近寄ろうとするわたしを払うようにリヒターが叫ぶ。
「っ・・・・解呪しろ・・・・もう限界だ」
「でも‥‥」
「おまえはっ!・・・・何のためにミュゲに来た!?」
自分の痛みで精いっぱいのはずの彼の体から出た怒号に息を飲む。彼の必死に諫める様な目で目が覚めたわたしは、エフィラ王の元へ寄った。シュウシュウと蒸気のような音共に立ち込める黒い煙をかき分けた先に在る双憧の目は、わたしを捉えるなり安堵したように弧を描いた。
「‥‥我が友人を‥‥これ以上、苦しめたくはない。お願いします」
息も絶え絶えな唇が懇願する。わたしは、エフィラ王の頭上にある王冠に手を触れながら意識を集中させ、ディミヌエンドに教わった通りの言葉を詠唱する。
「リリア・ハイムの名において、神器の呪いを解く。呪解除!」
放たれた言葉に呼応するように周囲の空気が一斉にかき回され、エフィラ王の体にまとわりついた煙が掻き消え、煙の音も消えた。胸を搔きむしりながら苦しんでいたリヒターの荒い呼吸も安定していくのをみてほっと安堵しながら手元の王冠を見ると、漆黒の色がみるみるうちに黄金の燦光に染まっていくのを見て、呪いが解けたのだとわかった。おもわずリヒターを見ると、浅く息を整えながらにやりと笑い返すと僅かに動く唇で「よくやった」と呟いて見える。エフィラ王も穏やかな表情でわたしを見ていた。
「さぁ、仕上げと参りましょう」
視界が一気に開かれると、この場が白一色ではない透明な鳥籠状の部屋になっていたことが暴かれた。わたしはその光景に驚きながら周囲を見渡す。
「これは‥‥パレス?」
ミュゲの中枢と言われるパレスと同じ水晶群に囲まれている。この透明な鳥籠の中にはミュゲ国の街並み国民たちの生活する映像が映し出され、エフィラ王はその光景を眺めながら愛おしそうに目を細めている。
「ここはパレスを写した異空間。わたしが普段見ている光景ですよ」
「パレスの中から国を見ているのですか?あなたが妖精王冠の守護者になった日からずっと?」
エフィラ王は応えるように笑みを深めて見せた。その慈しむような顔に胸がギュッと締め付けられる。
彼はどんな状況も、王が何をしているのかも、この国の民の動向も、全てわかっているのだ。そのうえで、己を攻め続け呪いを産んでいた。その苦しさ、その切なさは、想像を絶するものだろう。
視界が潤み涙が滲んでくる。そんなわたしの涙をぬぐったのはリヒターだった。子供を見る親のような困った表情でわたしを見据えた後、エフィラ王へと視線を移す。
「神の欠片と秘匿魔法について教えてほしい」




