バカ息子おぉぉ!!
「(熱い‥‥)」
指先をちりちりと焼くような感覚で目覚めた。視線の先にいたのは、睨みあうリヒターとレイ王の姿だ。気を失う前に吸い込んだ煙は霧のような白いベールとなって辺りを包み込み、ここが塔の上であるということを忘れさせる。
荘厳な雰囲気の中、小さな体を怒りで震わせて獣のような眼光で父を見る。その目の奥に燃えているのは憎むべき宿敵に向けた恨みの炎のみで、100年ぶりに会った父への孝心は感じられない。むしろ、スキさえ見せればいつでも殺すという勢いと覚悟がリヒターの全身から滲み出ていた。
「リリア様」
降ってくるフォースタスの声で虚ろな意識が覚醒し、自分がどういう状態か理解する。フォースタスの大きな体が盾になるようにわたしを抱き留めていた。心配そうに窺う顔に笑顔で返すと、ほっとした様子で息を吐き、対峙する二人を睨みつけた。
「フォースタス。さっきの黒い魔力の気配って‥‥怨嗟?」
「罵倒の類は呪いになりません。リヒターの中の積年の念が溢れただけです」
紛いなりにも魔法使いであるわたしが失神する程とは。さすが大賢者と言うべきだろうか。「怨嗟」は、口術魔法の中でも禁忌に近い魔法で、強い憎しみを具現化し相手を呪う事ができる。呪いと見紛うほどの威力の念を体の中に納めていたリヒターを見ながら、心が波立つ。
「勝負しろ。クソおやじ」
「ここで解放すれば、他の者に覚られるぞ」
「知るか。この世界も、大賢者の地位も、魔法も、人間も‥‥もうどうでもいい」
悲壮に満ちた声で絞り出した言葉にレイ王は盛大に大きなため息をつき、射貫くようにリヒターを睨みつけるとすぅっと息を吸い込む。
「‥‥こんの‥‥バカ息子がぁぁぁぁぁ!!!!」
放たれた叫び声に耳が引き裂かれそうになって耳を塞ぐ。金属音の耳鳴りが響く中、リヒターは目を見開きながら唖然としている。
「力を持つ者には役割があるとあれほど教えただろうが!」
つかつかとリヒターに詰め寄り彼の胸元を掴むと、目と鼻の先まで引き寄せる。龍の目のように瞳孔が細まった蜂蜜色の瞳に睨みつけられたリヒターは、凄味を帯びた勢いに手も足も出ないようだった。
「過去に囚われるな!お前の役割を全うしろ!一介の魔法使いが大賢者になっただけでも奇跡だというのに、おまえはその神託からも逃げるのか?女を依り代にしたという自覚がありながら、己の天命から目を背け、捧げた愛までもを些末にすると?!」
「もうたくさんなんだよ‥‥欺瞞、謀略、背徳、そんなもので満ちてるこの世界で、箱庭のように護られた国を守護してきた。だが、その国の王が、軍師が、国民が、わたしに知らないところでこの国を壊そうとしている。それがわかったとき、すべてがどうでもよくなった。守るなんて、もうできないよ‥‥父上」
項垂れるリヒターの背中が縮こまりながら、瞳が幼い青年の色に戻っていく。
「マリアが必要だった‥‥おれには、マリアがいればそれでよかったんだ。だけど、天空国が侵攻されたと聞いたとき、頭に真っ先に浮かんだのはマリアじゃない‥‥父上とあの国の民たちの顔だ」
喉奥に涙が滲んだ声で絞り出すリヒターの言葉にレイ王の顔が曇る。
「あの国と父上がいなければ、俺はとっくに野たれ死んでいた。拾われ子だった俺を救い、勉強を教え、魔法を習わせ、生きる術を教えてくれた。嫌う人もいたが、俺を受け入れ、優しくしてくれる人もたくさんいた。泥にまみれ、死と隣り合わせの日々には現れることはない奇跡に満ちたあの日々は、俺の生涯の中で一番幸せな時間だったんだ。その国が無くなるなんて絶対に嫌だった。あの国を守るものがいないなら、俺が全てを守ってやりたかった。だから‥‥」
「だから、ミュゲでの大賢者としての使命をイルシュタイトに任せ、天空国へ魔力を送っていた?」
心の中から溢れ出されるなにかをぐっとかみしめるように唇を結ぶ。まるで、子供が親に怒られたときのような居心地悪そうな顔をしている。レイ王は、彼の姿を眺めながら愛おしそうに目を細め、リヒターの肩を抱き寄せた。
「我が息子ながら、その不器用さにはあっぱれだよ」
「‥‥わたしは、人殺しです」
「いいや。お前は殺してないよ。気が付いていたのだろ?生まれ変わったマリアがエレノアが前世の記憶を微かにもっていることに」
「‥‥はい。この国に王権統治が根付き魔法使いや人間が一体となり、国が隆盛の兆しを見せはじめた頃。エレノアはミュゲ国の妃に就いた。彼女は、大賢者として国民たちの御用聞きをしていたわたしの元にやってきて、この国を支えてほしいと願い入れてきた。その時に言ったのです‥‥リヒター先生‥‥と」
魔法の先生と生との関係から夫婦になった。魔法を教える者と教えられる者の絆は深い。マリアさんの中のリヒターとの記憶の多くが魔法の先生としての顔なのだろう。微かに持っているという事は、朧げな記憶なはずだ。けれど、先生と発した気持ちを想うと胸の奥が疼くように痛んだ。
「人の魂と言うのは不思議なものでね。強い意志や念は神の手でもってしても完全に剥がすことはできないんだ。それが愛や情の類ならば、尚のこと厄介でね。何度生まれ変わろうが魂同士が呼び寄せ合い奇跡を起こす。お前が彼女に恨まれているわけではないという証拠だ」
真綿で包む様にやさしい声で諭しながらリヒターの頭を撫でる。レイ陛下の仕草一つ一つに愛情が籠っているのが分かって胸がいっぱいになった。
「マリアの最期の言葉を知りたいかい?」
「‥‥えっ」
息を飲んで懇願するように見上げたリヒターに向かって応えるようににっこり微笑んだ。
「愛していると、リヒターに伝えてくれと言っていた」
歪んだ顔のまま溢れる涙を拭おうともせず、リヒターはレイ王の胸の中で静かに泣いていた。宥めるように背中を叩きながら穏やかに彼を見つめている。血のつながりや家族と言う名称などなくても、親子だという確かな絆を見た気がした。
「だけど、親子そろって同じ名前の女性を愛してしまうなんてね~」
「‥‥失礼ですが‥‥マリアには‥‥マリア・タッソーみたいな死体を集める嗜好はない」
「嗜好と言うと、まるで彼女が死体を食べるみたいに聞こえるではないか!あれは彼女の趣味だ!」
「あんな不気味な趣味の女を放置しないでください!気味が悪い!」
「マリアを悪く言うんじゃない!この‥‥バカくそ息子がぁぁぁぁ!!」
端正な顔が歪んでいく。綺麗な声色がドスの効いた男の人の声になる。掴みかかるリヒターの腕に爪を立て、掴まれた胸ぐらの手を振り払いながら取っ組み合う王様と大賢者を眺めながら、これは現実なのかと頬をつねってみた。
「現実だ‥‥」
子供の喧嘩か、はたまた兄弟喧嘩か。魔法も放たずに取っ組み合う二人を見ていたフォースタスは、怪訝な顔で眉間のしわを深くする。
「親子喧嘩にしては時間がかかりすぎですね」
わたしを壁に預けたフォースタスの顔が険しさを増す。彼の中にいる帝王としての顔が目を醒まそうとしているのがわかり、身を剥がすと同時に彼に服の裾を掴んだ。
「呪いは、同意があれば解けるのよね?」
「‥‥はい」
潜ませた彼の中の帝王エンジンが掛かりだしたのがわかる。怖い顔でわたしを見やると、低く唸るよう
なフォースタスの声に体が強張る。
「彼と神器にかかっているの呪いはマリアさんへ慙愧の念で間違いないわね?」
「えぇ」
「なら、今この場でリヒター様の呪いを解きます」
血の気が引いたように狼狽えたフォースタスの顔を横目にわたしは立ち上がり、二人へと向かう。彼らの間合いに近づけば近づくほど白い煙は濃さを増し、わたしの行く手を阻むように体を包み込む。ふわりとその霧が晴れたのは、彼らの視線がわたしに向いた瞬間だった。




