このクソおやじ!!
蜂蜜のような瞳がわたしを捉え、穏やかに細くなっていく。嫋やかに伸びた金髪がさらりとわたしの頬を撫でるほど顔が近くに寄り、端正な顔がわたしの心の内を覗くように向けられた。
「ごきげんよう!リリア王妃様♪」
初めて会ったときと変わらない軽やかで通る声がわたしの名前を呼ぶ。
「‥‥レイ、陛下ですよね?」
「いかにも!」
元気よく認めてくれた。謁見以来に会うレイ王は何も変わっていなくて、ありえない状況のはずなのに、変わらず飄々とした雰囲気を纏っていた。
「この嵐は陛下が?」
「驚かせてしまいましたか!?弱い結界がミルフィーユのように重なっていて面倒くさかったので、嵐で吹き飛ばしたほうが早いと思いまして!」
にっかり笑むレイ陛下の白い歯を見ながら呆気に取られていた。リヒターから告げられた過去を聞いた今、タイミングよく彼が現れたことに驚きを隠せないまま口をぱくぱくして二の句を考える。なんとなく面映いわたしを見透かしたようにレイ陛下が笑みを深くする。
「我が愚息の所業が見ていられなくてね。妃である貴方に、これ以上心労をかけさせるわけにはいかない」
細い指が労わる様にわたしの頬を撫でる。その優しい所作に、わたしはなぜかディミヌエンドを思い出した。地上で朽ちた魂を精査する監査の任を神から授けられていると謂われている。天空国の王は、わたしを抱き留めている腕に力を籠め、勢いよく羽を広げた。視界が開けた瞬間、嵐のような風がすっかり止み、現れたのは狐につままれたような顔でわたしたちを眺めるリヒター様とフォースタスの姿だ。
「‥‥そんなわけはない」
リヒター様から絞り出された開口一番を聞いた瞬間、レイ陛下の顔が曇ったのがわかった。
「100年ぶりに会った父への言葉がそれか?」
「‥‥申し訳ございません。父上」
リヒターは恭しく頭を下げすぐさま膝を折った。深々と頭を垂れる隣でフォースタスも倣うように腰を折る。謁見室で聞いたレイ陛下の軽やかな声色はどこにもなくて、嗜める言葉の中に怒りが滲んでいるのが伝わってくる。低く威厳のある声から、彼が天空国の国王であり、神からあの世とこの世を繋ぐ監査という任を背負ってきた生涯の片鱗を見ているようだ。
「おまえが国の守護を等閑にしているという噂は真実だったようだな」
ガラスの破片が飛散った窓に向かって指を指し滑らせる。次の瞬間、窓ガラスは元に戻っていた。部屋全体を金色の帯が包み込み魔力の粒が弾け飛んでいる。
「この部屋の結界も脆弱だった」
吐き捨てるように言った後、蔑むような目で跪くリヒターを見下ろす。圧倒的な佇まいに人ならざる証である羽には神々しささえ感じられ、レイ陛下から放たれる封殺するような圧が部屋中に満ちていた。
「おまえはこの国の神器の魔守り人であるにもかかわらず、他国の妃に助力を求めた。これは、ミュゲ国に対する背信行為に値する」
「悉知しております」
「その上でなお、彼女に解呪を嘆願するのか?」
「はい」
短く切るように返事をしたリヒターの言葉に迷いはなかった。彼を見下げながらレイ陛下の蜂蜜色の瞳が三日月のように細くなっていく。
「ミュゲを見限る気か?」
射貫く様な目にリヒターは不動の面持ちを向ける。
「神の審問者であるあなたならば、わたしにかけられた呪いをご存じでしょう?」
「‥‥さぁ。お前とは会っていなかったからな。執着がない」
「父上は、マリアという魔法使いを知っていますね?」
僅かに怒りが滲んだ声にレイ陛下の目が一瞬大きく開かれ、その瞳が窄まっていく様に愁いが浮かんでいるのがわかった瞬間、わたしの胸が騒めき立つ。
「わが妻に禁忌魔法を教えたのはあなたですね?父上」
今度ははっきりした怒りを顔中に滲ませ、怒号にも似た声色で糾した。リヒターの威圧をモノともせず、レイ陛下は悠然と構えたまま口火を切る。
「そうだ。わたしがマリアに禁忌魔法破滅を教えた」
平淡な目のまま言い放つレイ王を凝視する。リヒターの目に宿った怒りの炎を消すような大きなため息が聞こえた。その主であるフォースタスは、揶揄るようにレイ陛下を見やる。
「忘れていました。神の使いは不穏、不吉、剣呑、それらの類を漂わせない。魔法で創った結界など、あなたにとっては児戯に等しいことを」
「魔法帝王の名が廃るか?」
きつく一瞥され、居心地悪そうにフォースタスが俯く。彼を縫い留めるように黙らせると、レイ陛下はリヒターを射貫くように見つめた。
「おまえが大賢者になろうと決めた理由が故郷を助けるためだと知ったからだよ」
「‥‥ちがう。わたしは‥‥」
「息子の機微がわからないほど、愚かな父だとでも思っていたか?」
目の前にいるリヒターを包み込むように言う。その顔は王ではなく父親の顔をしていた。
「おまえが国を出て行ったあと、我が国が侵略されたことは知っているな?」
「はい。オセアン国のネレウス王との諍いが火種となった戦ですよね」
「我が弟ネレウスと共に創り上げた天空国だが、弟はわたしの矜持を嫌っていた。人間と魔法が共存しあうなど不可能だと言った。ネレウスとわたしは仲たがいし、彼は矜持を規範として新国を創った。その弟が興した戦争だ。負けるわけにはいかなかった。だが、わたしは完敗してしまった。綺麗に。見事な負けっぷりだったよ」
やれやれと手を広げて見せる。軽やかにお道化て言ってのける姿にリヒターとフォースタスはぴくりとも反応しない。それはわたしも同じだった。つまらないといった面持ちで口を尖らせ、レイ陛下は話を続ける。
「終戦後、わたしは国民から非難を浴びた。天空に浮かぶ巨大帝国。神の加護を受けた王。人智を超えた存在である神の代行者でさえも地上からの戦争を防ぐことはできなかったと責められた。国民の言葉に磔にされたわたしに味方する者はいなかった。なぜだかわかりますか?」
わたしを眺め見ながら質問した。
「‥‥天空国は地上で生きられなくなった者たちの最期の砦だと聞いたことがあります。入国審査もなく、人も魔法使いも受け入れる楽園のような場所だと。けれど‥‥」
「けれど、そのような国に流れ着くような者にロクな奴はいない?」
くすくすと笑うレイ陛下に狼狽えるわたしに、彼は「正解だよ」と悪戯っぽく小声で返した。
「天空国は、あの世とこの世を繋ぐ天空に浮かぶ国。生きようとする魂ならばだれでも受け入れる。例えそれらが全て悪だったとしても拒否権はない。神はすべての魂の父だ。父の教えに背くことはできない」
造った笑顔を向けられて胸が痛くなる。本意ではない。だが、受け入れなければ役目を全うできない。そう言いたげな哀切が滲んでいた。
「国民の意志は国の意志。わたしはそう考え彼らの思いを優先した。その結果、貴族や王族と言う者は置かず、宰相も軍師、そして軍さえも作らなかった。あっ、妃は娶ったよ?恋しちゃったからね。でもまさか、息子の妻もぼくのハニーと同じ名前だとはね‥‥。だからかな?二人とも放っておけなくなった」
ハニーとは妃のことだと仮定して一旦飲み込み、リヒターとフォースタスの顔を窺う。先ほどと変わったのは、フォースタスの眉間に寄った皺が深くなったことと、リヒターが歯ぎしりするようになにかを言い淀んでいることだ。
「おまえが大賢者になると決めた理由は、愚かにも無秩序になってしまったわが国を守護するためだ。理を敷き国を守護する。国の律を定めるためにおまえは大賢者になった。うれしかったんだよ。お前が故郷を愁い、わたしを助けようとしてくれていることが。だから‥‥」
「だから、残響に堪えられなくなったマリアに禁忌魔法を教えたのか?」
「彼女は苦しんでいた。禁忌魔法がなくても自ら命を絶つだろうと見てわかる程に。マリアは強靭な意志で記憶を戻そうと試みていた。それほどまでにお前を愛していたのだよ。心は病み、体も蝕み始めていた。それほどの生き地獄を見ているのならば、義父として助けたくなったんだ。死は逃げ場ではない。だが、選択させる自由は与えるべきだからね」
「‥‥ざけんなよ」
「待て、リヒター!」
フォースタスが足を踏み出すと同時に、リヒターはレイ王に手をかざしていた。彼の手の内からどろどろと黒い煙が沸き立ち部屋中に充満していく。不思議な香りを纏っていて鼻から吸い込むたびに脳の奥がくらくらする。
「‥‥ふざけんじゃねぇ!!このクソおやじ!!!!!」
リヒターが叫んだ瞬間、洪水のように襲ってきた煙に飲み込まれわたしは意識を手離した。




