指導者の正体
「あの女は自由だった」
気怠さをはらんだ声で呟く。フォースタスの言葉にリヒターは応えるようにまずは嘆息で返して見せた。二人の間に流れる阿吽の呼吸のそれは、間に入って会話を聞いて居るだけなのに心地よさすら感じられる。世界でも類を見ない大賢者二人に囲まれている状況も相まって、なんだか不思議な気持ちだった。
「おまえがマリアと会ったのは、わたしが大賢者になると決めてからすぐだったな?」
「‥‥会いたくもないのに引き合わされ、あまつお前の記憶が無くなった後のお守り役を押し付けられた」
「対価はくれてやったろう?」
「気持ち程度の金と魔法書で腹は膨れない」
「はぁ‥‥まぁ、当時のお前は食い意地が張っていたからのぉ。肉を食らい酒を飲み女も‥‥」
言いかけた言葉を遮るようにフォースタスが指でリヒターを指すと彼の唇が縫い付けられたように締められる。ぎりぎりと歯を軋ませながらリヒターが応戦魔法をかける上に魔法を重ねている。色白なリヒターの肌がピンク色に染まりだしたのを見て、わたしは急いでフォースタスに駆け寄った。
「フォースタス!リヒター様が苦しそうですよ!?」
「口は禍の元です。齢300年の間に学んでこなかった倫理観の指導をしているだけですので」
「顔真っ赤だから!!!」
わたしの必死のお願いに嫌々魔法を解除してくれた。
「ぷはぁ‥‥死ぬかと思った」
「一回死ね。そしてもう生き返るな」
口を尖らせ拗ねるように言うフォースタスにリヒターは少年のような顔で笑い返す。このやり取り自体が当時の二人の他愛無い会話を見ているようで、わたしが産まれてもいない当時を彷彿とさせ和やかさすら感じられるから不思議だ。わちゃわちゃした空気から襟を正すように静かになったフォースタスが口火を切る。
「禊が終わり、魂の契約が成立したお前が大賢者になった日。あの女は糸が切れた様にすべての記憶を無くしていた。なぜ自分が俺と話しているのか、見知らぬ土地で一人で部屋いるのか、その発端すら忘れていました。だが、大賢者になる依り代になれるほど、彼女のリヒターへの想いは強かったと証明された。それこそ、魂を差し出すに匹敵する対価となり得るほどの代物だったということに驚かされた。実に‥‥非科学的だったので」
自嘲気味に笑うフォースタスを見ながら、彼にもリヒターと同じように「大事なもの」を依り代にして大賢者になったのだろう。そう想像しただけで胸の奥が軋んだ。
「それだけ‥‥愛が深かったのね‥‥」
震える声で言ったわたしにリヒターは柔らかい視線を注いだ。フォースタスも鉄面皮のような顔つきがふわりと温かさを帯びたのが見てとれた。
「エレノア‥‥マリアさんは、それからどうしたんですか?」
「フォースタスが面倒を見ていた。わたしに関係する記憶だけが抜け落ちておる状態だったから生活に支障はない。マリアは実力で大魔法使いとなり、棲み処にしていた小国で魔法使いとして尽力していた」
「彼女が尽力していた国。それがここ、ミュゲ国なのです」
フォースタスの静謐な声と共に耳傍を風が撫でるように吹き抜けていく。はっとして振り返ってもなにもいない。傍から見れば挙動不審なわたしの反応に、フォースタスがクツクツと笑っていた。
「あなたは昔から魔力に敏感ですね」
「‥‥じゃぁ、今のって‥‥?」
「マリアの気配だ。あの女は、今もこの国にいる」
慈しむように室内を眺め見るリヒターの視線を追いながら、やさしい風の当たった耳を撫でる。
「自害したって‥‥」
「わたしが目を離した隙に破滅を使ったのです」
破滅は、魔法の中で唯一自分で自分の命を奪うことができる。高等呪文な上、禁忌書に封印されている魔法で、大魔法使いの身分になってもその魔法を学ぶかどうかは自分が支持する指導者に委ねられるはず。その魔法を知っていて、自らに掛けたという事は、その魔法を教えた魔法使いがいるという事だ。
「‥‥なぜ」
「おもい返せば、自害の理由は察しがつきます。彼女は魔法のほとんどをリヒターから教わっていた。魔法には修練した己の「記憶」が残る。力を我が物にするために血肉を注いだ日々は、脳や心から消え去っても、魔法には残っているもの。彼女は残響する記憶に堪えられなかったのでしょう」
髪を撫でるように風がそよいだ瞬間、わたしの目から涙がこぼれた。
「それって‥‥魔法を使うたびリヒター様の顔や声が聞こえたってことですか‥‥?」
「‥‥さて。どうだったのか?マリアよ」
優しい声音で呼びかけるリヒターに応えるように文机の後ろのカーテンが風もないのに揺れ動いた。記憶にはないけれど、魔法を使うたびに懐かしい気配を感じる。けれど、なぜそれが懐かしいのか思い出せないなんて残酷だ。堪え切れなくなったわたしの目から涙が次々と溢れていく。
「我々はマリアに破滅を教えていない。誰かの手引きでマリアは禁忌の魔法を覚えた。マリアが残響に耐え切れずに死ぬのを見越して教えたのじゃろう」
「お守りをしていた限り、彼女はこの国の者以外と接触していませんでした。マリアの家の周囲には結界を張ってもいた。何か気配があればわたしが勘付ける。ですが、不穏な影は一切なかったのです」
「じゃぁ、マリアさんに魔法を教えたのって‥‥」
言いかけたわたしの言葉はリヒターの背後の窓ガラスの割れる音でかき消され、舞い込んだ風鳴と共にフォースタスの叫ぶ声すら聞こえない。耳元をゴォゴォと吹きすさぶ風の音と竜巻の中にいるような混沌とした風景が目に映るのを流されるままただ眺めていた。
「(不穏な気配はない。という事は敵ではない‥‥だけど好意的な風でもない‥‥)」
状況が把握できはじめたわたしの手にほのかな温度を持った何かが触れてきた。はっとして手元を見ると、白く細い指がわたしの手を握っていて、背中にぶつかる胸板が厚いことに気が付き女性ではなく男性だとわかった瞬間身を剥がそうと動く。だけど、わたしの体を抱き留めるように引き寄せ身動きを封じられてしまった。耳元から香ってくる眩暈がするような香りに、こんな香りを纏う男は絶対に碌でもないと女の勘が訴えていた。
「(身動きが取れないなら魔法‥‥属性が分からなくても攻撃ができる魔法‥‥そうだ!炎!!)」
「インフェ‥っ!!!」言い切ろうとしたわたしの目の前にばさりと何かが覆った。視界が真っ白になり、風が止む。じっくりとその視界に目を凝らすと、その白い視界が羽の一枚一枚で出来上がっていることに気が付く。
「羽‥‥だ」
そっと羽に触れるとくすぐったそうにふるふると震える。既視感しかないこの羽には見覚えがある。それもごくごく最近の記憶だ。
「神託の乙女」
耳元で囁く声にドキリと心臓が跳ね上がる。その声に厭らしさはない。優しく包み込むような温かいものだ。聞き覚えのある端正な声で確信したわたしは恐る恐る振り返る。その先にいたのは、天空国の王だった。




