依り代の記憶
哀切を帯びた声でポツリと零したリヒターの小さな背中が丸まっていくのを見て、わたしまで泣きそうな気持ちになる―――愛していた。言葉はなくても伝わるその感情がリヒターの体からあふれていたからだ。
「彼女は自害したのではないのか?」
「あぁ。自害し、生まれ変わってエレノア王妃となった」
「じ‥‥自害?」
与り知らぬ衝撃的な事実に体中から汗が滲み困惑するわたしを鎮めるよう、リヒターは静かに話し出した。
「すべてわたしの責任だ。エレノアの前世の名前はマリア。大魔法使いとして流浪し人々を助ける御用聞きをする旅先で出会った魔法使いだ。強く、幼く、気高い女だった」
懐かしんでいる目がひどく優しくて見ているだけで胸が締め付けられる心地がした。声をかけることすら憚られるほどに愛し気に空を眺めるその目をずっと見ていたいと願ってしまうほど綺麗だった。
「前世でのわたしの生まれは人間と魔法使いの間に生まれた半魔法使いだった。両親は幼い頃に他界した。だが、わたしには魔力があった。それも、齢に見合わない強大な力だ。そんなわたしを拾い魔法使いとして育てたのは、天空国の王レイだった」
「レイ王は奇特な方なのです。どこからともなく子供を拾い慈悲を与えるのはもはや嗜好の領域。自国民は人間や魔法使いを嫌っているというのに、凝りもせず下界から拾っていくのです」
補足するように言うフォースタスの言葉を聞きながらもわたしは呆気に取られていた。脳裏に浮かんでいるのは、羽を広げて謁見室から飛び去っていったレイ王の残像だ。飄々とした言葉使いに流暢な会話のあの王が、リヒターの育ての親だなんて誰が想像できるだろうか。わたしの頭の引き出しの中にいたレイ陛下の高笑いする姿を思い出しながら、なんとか返事を絞り出す。
「て言うことは‥‥リヒター様は、神様の子供ってことですか?」
「まぁ、そうとも言うな」
しれっと言ってのけるリヒターを丸くなった目で見つめるしかないわたしに向かって、彼はそのまま話し続ける。
「レイ王に育てられたわたしは大魔法使いまで上り詰めた。対するマリアはアマゾニア国の許嫁との婚約が決まっている貴族魔法使いだった」
「お転婆で高飛車。加えて口が悪いところは前世と変わらなかったな」
「っ‥‥マリアのことを悪く言うな!」
凄むリヒターに叫ばれフォースタスとわたしの肩が反射的に跳ねあがる。我に返ったような顔で「すまない」と零すリヒターは項垂れるように椅子に座った。
「天空国では魔法使いは歓迎されない。それは、王に拾われたわたしとて例外ではなかった。王はわたしをそばに置きたがっていたが、糾弾される彼を見ているのが絶えられず、わたしは国を出た。だが、待ち受けていたのは過酷な現実だった」
「‥‥過酷?おれには放蕩しているようにしか見えなかったが?」
嘲笑いを含ませた声でそう言うフォースタスの「俺」と言った方が気になって仕方がない。急にわたしの知らないフォースタスの顔を見せられたようですこし焦りはしたが、冷厳とした面持ちでわたしに向かってくるリヒターに応えるべく意識を集中させた。
「半魔法使いはこの世の1割ほどしか存在しない。その異端さは、人間からは畏怖と捉えられる。悪意がある者から迫害されることも少なくない。国に身を置けず働き口が見つからないことなど当たり前だった。ならば流離うまでと割り切ったわたしは、国々を渡り歩く御用聞きを始めた。魔法が必要なものを手助けし言い値で報酬をもらい自由気ままに生きていた。―――一方その頃。そこにいるフォースタスは、全世界を股にかける帝王として名を馳せながら次々と国を潰していた」
揶揄るように弧を描くリヒターの目をフォースタスがぎゅっと睨み返した。魔王ルシアと共闘し世界を滅ぼしていたという魔法帝王という二つ名は、当時を知らないわたしの耳にはそれは虚飾めいた幻想のように聞こえる。穏やかで理知的なフォースタスがわたしの知る全てだからだ。
「わたしと彼女が出会ったのはその頃だ。アマゾニア国の伶花と謳われる美しい娘は、護衛を付けることもなく訪れ、氏素性もわからぬわたしを師匠と呼び出し付きまとい稽古をつけてほしいと言ってきた。金をとるがそれでもいいかと聞き返すと、自分の着けていた宝飾品を差し出しこれで足りるかと言ってきた」
「それって、師弟関係ということですよね‥‥」
「弟子を獲る気は無かった。だから、御用聞きの片手間に教えていた。最初は都合がよかったんだ。金にもなるし、世間知らずの令嬢は扱いやすかったからな。だが、そうとは知らず熱心に朝から晩まで魔法の勉強をする健気な姿を見ていたら、いつしか彼女に情が移っていた」
幸せそうに微笑む顔が全てを物語っていてわたしの頬が思わず緩む。リヒターと彼女が過ごした日々の中には間違いなく愛があって、その愛は幸せなものなのだったのだと伝わってくる。
「わたしは人間にうんざりしていた。レイ様に育ててもらっていた間も、下界で起きる戦争や諍いは目に余るものがあった。人間に応戦する魔法使いたちの矜持の無さにも絶望していた。国に居着かず、己の能力に胡坐をかき、欲望の為に力を使う。恵まれた者や才のある者は須らくそれを世や人の為に使うべきなのだ。だがこの世界では魔法は卑俗なる欲念のために使う道具に成り下がっていた。下界の全てがわたしの目には忌々しく映っていたんだ」
苦虫を嚙み潰したような顔で当時を話すリヒターの目には混沌とした影が落ちていて、その瞳を見ているだけで胸が苦しくなるほどの圧を感じた。その痛惜は未だに彼の心を蝕んでいるのだと伝わってくる。
「だが‥‥エレノアは‥‥マリアは、違った」
零すように呟いたリヒターの瞳が瞬いた瞬間、目に映っていたのは満ち足りた様な温かさだった。
「彼女は人間と魔法使いの共存できると信じていた。戦争をせずとも対話する方法はあると。魔法と人は相反するものではなく、共栄していけるものなのだと。そのために自分ができることはなにかと考える女だった。そして、このわたしの出生を知ってもなお、自分が幸せにして見せると言ってのける気位の高い女だった」
「‥‥だから、好きになった?」
わたしの問いかけに、気恥ずかしげな顔で口端を上げて笑う。その表情は青年そのものでわたしは思わず息を飲んでしまった。あまりにも繊細で美しく見えたからだ。
「貴族魔法使いが半魔法使いと結ばれるなど前例がない。マリアには許嫁がいたし、わたしが彼女と結ばれるなどありえなかった。だが、彼女は家を手離すから一緒に国を去ろうと言った。‥‥若気の至りと言っていい。愚かなわたしは彼女と国を出た。行く先などなく、頼る宛てもない世界に飛び出したんだ」
懐古しながら月を眺めるリヒターは、窓の外へ向ける視線を離さないままわたしに問いかけた。
「大賢者になる方法を知っているか?」
「史実にも文献にも記載がございませんので‥‥分かり兼ねます」
「では、教えてやろう。前世で出会った一番大切な者を依り代にする」
「‥‥それって」
俯くリヒターを見ながら、嫌な予感で胸がざわついた。
「マリアの記憶からわたしを消すことで大賢者になるための依り代を作り上げる。そして、その依り代を神に捧げわたしは大賢者となったのだ」
静まり返る室内には、動揺したわたしの荒い吐息だけが聞こえる。
「エレノアさんの記憶の中のリヒター様との思い出全部ですか?」
「あぁ。愛し合って焼き付けた想いも、絶望も、幸せも、魂の記憶からすべて消える。わたしは、彼女を生贄にして大賢者になったんだ」
小さな体を大きな革張りの椅子に預け窓の外を見やる姿は、親の借り物を着た少年のような風情すらあって彼の中に流れている300年と言う悠久を忘れてしまうほどあどけないものだ。椅子からぶらりと垂れた足をゆらゆらとさせながら、リヒターは淡々と語り始めた。




