魂の約束
城の階段を登ってたどり着いた塔の中にある扉は一枚しかない。無機質な色と静謐な空間の中に佇む重厚な扉を開けると、暴かれた室内にいたのは軍服に身を纏ったリヒターの姿だった。
「結界を張るぞ」
リヒターが異を唱える隙もなくフォースタスは声を潜め呟く。
【結界】
彼の言葉に呼応するように扉全体が仄かに輝きだす。部屋中を覆っていく光の絨毯を見ながら、窓外の月を眺めるリヒターを見やると、その顔には愁いが見て取れた。
フォースタス以外の大賢者に会ったことがないわたしにとって、彼の存在自体が圧倒的に映っていた。300年も生きられる魔法使いは少ない。それだけ強いという証なのだ。気圧され言葉が見つからないわたしに、リヒターは悪戯っぽく目を瞬いて見せる。
「取って食うわけではない。もっと近くへ来い」
促されるまま近づくと、優し気に弧を描いたリヒターの目がわたしに注がれる。彼の背後にぶら下がる月の光が容を映し出し、絵のような風景を象っていた。
「魔法使い狩りを知っているか?」
「えっと‥‥はい‥‥」
「最近、ミュゲ国内で魔法使い狩りが起きている」
魔法使い狩りとは、得体のしれない力を持つ魔法使いを人間が一方的に殺していた時代にあった粛正の一種でその方法はさまざまだ。絞首刑、火あぶり、拷問などありとあらゆる手段があるという。しかし、現世に置いての魔法使い狩りはガルディア国の世界の灯のお告げによって禁止されているはずなのに。
「王子から聞いたであろう?死んだ母親が森を徘徊している噂があると。そして王がその姿を探しているようだと」
「はい。それに、あなたをよく夜の森で見かけるとも言っていました」
わたしの言葉にリヒターが目を細め、不満げな顔で息を吐いて見せる。
「森を徘徊しているのはわたしではない。わたしの皮を被った紛い物だ」
「‥‥変化していると?」
「そうだろう。なぁ、フォースタス」
含んだ口調で見やるリヒターに、フォースタスは沈黙で肯定した。眼光の先にいるわたしに向かって意を放っている。
「ソレを野放している理由を聞いても?」
「神のみぞ知る、だ」
リヒターはにやりと笑いながら矢継ぎ早に続けた。
「洗礼を受けたフォースタスは魔力を持たない王と王妃の傀儡として国を守護しつつ、お前を主として従順に仕えていたと聞いた。なぜ、王と契約を交わさなかったかわかるか?おまえに国と等しい価値があるとその男が踏んだからだ。だが本来、大賢者という役割は国を守護し規範を創り、隣国に侵されぬよう不可侵の砦として君臨するもの。言う成れば神の手のような存在なのだ」
透き通った瞳には満月の月が転写したように映りこんでいて、その幻想な光景に思わず息を飲む。自然を使役し、精霊の加護を受け、ミュゲに土着している自然霊を統べる王エフィラの遺物である妖精王冠を守る魔守り人。この世界の自然王のいた国を守る大賢者は、まっすぐな瞳でわたしの応えを待っていた。
「‥‥わたしが彼を助けたから、父上とフォースタスは契約を交わさなかったと?」
「きっかけはそうだな。だが、魔法使いと交わす約束には縛りがある。それは知っているな?」
「はい。存じています。言葉にして約束を交わせばそれは反故にはできない」
「その約束をした際、その男が、おまえに魂を奉仕すると言ったのを覚えているか?」
「はい、覚えてます」
「大賢者として生まれ落ち、俗世を浄化した身で最初に出会ったおまえに「魂」と言う言葉を使った。それは、未来永劫お前に仕えるのと同義だ。王でもなく国でもなくその男はおまえの行く道、お前の住まう地、おまえの進む道を守る為だけに生きるということ。おまえが死ねばこの男は国を守ることなく死ぬだろう」
わたしの背後を守るように佇むフォースタスは、リヒターの話を肯定するように静かに話を聞いている。その姿を眺めながら、出会った日から今日までの事が走馬灯のようにわたしの頭を駆け巡っていた。
「だが、わたしは違う。王にも王子にも王女にも興味はない。この国を、この地を、ここに住まう民を守護するためにここにいる。ゆえに、だれの指図も受けない。例えそれが神であってもな」
リヒターは決意の滲んだ声でいい切ると、やさしく頭を撫でつける。幼い顔の通りに小さい手なのに、慈しむような手つき両親に撫でてもらった記憶がよみがえり妙な安心感を与えた。
「王妃にしてはあっぱれな働きだったぞ。褒めて遣わす」
「‥‥パレスの魔力注入のことですか?」
「そうだ。おまえの力を甘く見ていた。存外、力があったんだな」
「御覧になられていたなら来てくださればよかったのに‥‥」
「あの水晶群を創ったのはわたしだ。見ていなくても、あの場所で何が起きたかくらい分かる」
彼の服から草を燻したような香りが鼻を掠め、魔法を習っていた寄宿舎学校を思い出す。浄化作用のある葉の芳香は身に纏うだけで穢れを受けずらくなるが、葉を燻した浄化方法は現世の強い思念や怨念などに対する浄化方法だし、手間もかかると学んだ。
彼ほどの魔力を持つならば自らを守護する魔法や結界を張ることもできるはず。なのに、この手段を選んだことに何かから身を守っているのだと察せた。
「イルシュタイトはもう持ちません。毎日パレスに魔力を送っていて疲れ切っているんです」
「知っている。だが、今は耐えねばならん」
「耐えるって‥‥もう限界です。陛下も案じておられます」
「すべてが終われば力を貸す」
言い切ると、リヒターは切り替えた様に踵を返し大きな革張りの椅子に腰を下ろした。
「王も王子もおまえたちがここにいることは知らない。ゆるりと寛ぐがいい」
魔法でティーセットを呼び寄せテーブルの上で準備を始める。ぽこぽこと音を立てながら淹れられるお茶は澄んだ緑色をしていて、香ってくる清々しい匂いはわたしの強張った心を癒すよう満たしてくれた。
「おまえは、大魔法使いになるつもりなのか?」
お茶を啜りながら大きな瞳がわたしの心を見透かすように見つめてきた。わたしは彼に挑むように眉根に力を込める。
「‥‥はい」
「何故に?」
「戦乱を終焉へ導くためでございます」
「戦乱ときたか‥‥。それが、お前に着いている神からの神託か?」
「‥‥そうとも言えます」
「歯切れが悪いな。あいつに何も言うなと言われたのか?」
「いえ‥‥その‥‥色々複雑なんです」
言い淀むわたしの前に庇うようにフォースタスが立ちふさがると、リヒターの眉根に力がこもったのが見えた。
「時渡りの儀があるんだろ?時間が惜しい。本題に入れ」
諫められ押し黙ったリヒターは小さくため息をつき、面持ちを変えぬまま静かに話し出した。
「神器妖精王冠の呪いと魔守り人の呪いを解き放つことを許可する」
それがお前の目的だろ?と言わんばりの挑戦的な目に、わたしの思惑すべてが筒抜けだったことを自覚させられ体中の力が抜ける。隣にいるフォースタスが笑むように目元を細めたのを見て、ここまでの全てが彼のお膳立てのおかげだったのだと理解できた。
「その前に、神器を使いこなせるだけの器か見定める。お前が授かったというジャトの目を出して見せてみろ」
「わかりました」
フォースタスには魂に馴染むまでに時間がかかると言われていた秘匿魔法はあの一件以来使っていない。アンダーヴィレッジで体が吹っ飛ばさた記憶が呼び覚まされ、カタカタと震える自分の手を押さえながら意識を集中させる。
【真名よ我に従え】
唱えた言葉は部屋の隅々に響き渡ると同時に黒煙に包まれる。視界にふわふわと佇む光の中から現れたのはジャトの目だった。呪いを解いたあの日のまま宝玉は透き通っていた。手に取れと言わんばかりに伸びた柄を掴むと、引っ張られるようにわたしの体が浮遊する。
キラキラと光の粒が体の周りを浮遊し、やがて帯状になって道を作り出す。その上にそっと足を置き、帯の先にいるリヒターの元へ導かれるように歩いてみせた。
「これでよろしいでしょうか?リヒター様」
「あぁ」
満足げな笑みを湛えたリヒターに差し伸べられた手を取りゆっくり地面に降りると同時に、ジャトの目は煙のように消えてしまった。
「真名で呼び出すとは。慧眼だな」
「政治問題にはしたくございませんので」
「神の天啓か?」
「‥‥まぁ、色々です」
「この期に及んで白々しい。吐いてしまえ。楽になるぞ」
「一献の折にでも」
縫い留めるように釘を刺すわたしを凝視していたが、咳ばらいで喉を整え話し出す。
「神器が安置されているのはパレスの中だ。ゆえに、遺物がなくなれば国は混乱に陥る。真名を引き出すだけなら手助けしてやろう」
「ありがとうございます」
「だが、その前に言っておかなくてはならないことがある」
口籠る彼を見るのは初めてだった。やがて迷っていた瞳が意を決したようにわたしを見据える。
「森の中を彷徨っている女はイルシュタイトの母親で間違いない。この女を助けてやりたい。力を貸せ」
「彷徨う理由があるのだろう?なら、おまえが浄化して返せばいい」
面倒ごとを押し付けるな。フォースタスのうんざりと曇る目がリヒターを見据えたが彼は動じることなく話し続ける。
「現世の王の妃の御霊を浄化するのは容易ではない。この世に執着のある魔法使いの念はは強い」
「エレノア‥‥?彼女の魔力は弱かったと記憶しているが?」
「あぁ‥‥現世では、な」
含み言うリヒターの言葉に眉を上げる。フォースタスは訝し気に見やりながら彼へと間を詰めた。
「前世ではどうだったのか。お前は知っているのか?」
「彼女は‥‥」
言い淀むリヒターの唇が震えているのを見て何か重大なことを言おうとしているのが伝わってくる。瞳の中に決意を宿した眼差しで口火を切った。
「エレノアは前世のわたしの伴侶だ」




