どきどきデート③(ローゼンサイド)
この日の為に仕立て上げたフリルのドレスは思いのほか重いし、ヘッドドレスのせいで彼の美しい声が聞こえずらかったのが大誤算だったけど、シュライス様はわたしの顔を見た瞬間、天使が現れたのかと思ったと言ってくれた。天にも昇る心地のまま、わたしと陛下は「約束」通り、流行りのカフェでお茶をしている。
リーガルの花と謳われる貴公子シュライス様を目の前にして、壁一枚隔てた場所から私たちの会話に耳をそばだてる令嬢たちを招いていますぐにでも見せつけてやりたい。そんな気持ちを紅茶と共に飲み下していると、綺麗な唇がわたしに向かって開かれる。
「ローゼン。トレアの店というのはここから近いのかい?」
「っ‥‥えぇ。すぐ近く・・・デス」
低く甘い声がわたしの名前を呼ぶだけで心臓の鼓動が跳ね鐘を打っていて、相槌すらもままならない。お酒を飲んでもいないのに頬も体も熱を帯びていて一向に冷めてくれなくて困る。窓から差し込む夕日がシュライス様の輪郭を象っていくのを見ながら、歓びで口元がどんどん緩んでしまうのを必死で結び留めるのに必死だったけど、なんとか会話を続けたくてわたしから口火を切った。
「お‥‥お兄様のデビュタント以来にお会いできて‥‥光栄です」
「そうか。そんなに会ってなかったんだね」
「はい‥‥」
そんなに会っていなかった。――――その言葉通り、最後に会ったのはわたしが15歳の時。数年という月日の間のシュライス様の姿を見守れなかったことはわたしにとって大きな損失。だって、その間にどんどんカッコよくなっていたし、結婚までしてしまったのだから。だんだんと俯きがちになるわたしに「ローゼン」と呼びかけられ、その優しい声音におもわず鼓動が跳ねた。
「ぼくと会えなくて寂しかった?」
「‥‥は‥‥はい。寂しかった‥‥デス」
口端を上げ笑いかけてくれる顔を眺めながら胸の奥が切なく締め付けられる。投げる言葉に意味などないとわかってはいても、相変わらず甘い声色に勘違いさせられるのは昔から変わらない。
(成長しないなぁ。わたしって‥‥)
自分の反応に嫌気がさしつつ、令嬢の間で人気だというケーキの残りの口に入れた。甘い香りと共に夢のようなこの時間が次の工程を最後に終わるのだと思うと気が重いけれど、あの綺麗な指がわたしの手を取ることを考えると心が勝手に浮足立ってしまう。
(‥‥シュライス様が好き)
心の中で呟くだけで頬がさらに熱を持った。幼い頃から憧れていたわたしの王子様は、王になるとさらに貫録を増し、貴公子の謂れすらも身をもって体現している。そんな王の治める国の属国になったという事は、これからさらに会える機会が増えるはずで、その未来を考えただけで何でもできそうな気さえするから不思議だった。
「もうすぐ日が沈む。夜になる前にトレアの店に向かおうと思うんだけど。どうかな?」
「え‥‥えぇ。行きましょう!」
窓の外は夜の帳を下ろし始めている。カフェに入って3時間も経っていることに店の時計を見て気が付く。シュライス様と二人きりで長い時間を共にしていたのだと考えると顔のにやけが止まらなくて、両手で頬を軽く叩き気合を入れた。満面の笑みで彼に向き合うと、憧れの貴公子がわたしに向かって手を差し伸べてくれる。手を取り店を出る。その間も、店内の令嬢たちの目はわたし達にくぎ付けだった。
(優 越 感 !!!)
三文字が頭を支配する中わたしはすまし顔で店を出ると外はきりりと冷えていた。ミュゲの国特有の凛とした風が吹き込むその寒さに身震いしてしまう。
「ミュゲは冬が長くなったね」
軍服の首元を上げながらシュライス様が空を見上げる。
「パレスの具合が悪くなってからというもの、暖かい季節が短くなったみたいで‥‥」
「この状態が続けばミュゲはどうなると思う?」
「えっと‥‥食物が育たなくなります‥‥」
「そうだね。ミュゲは自給自足で成り立つ国だ。貿易に暗い上、各国にコネクションも少ない。このまま寒冷が長引けば作物に影響が出るだろう。事の重大さを理解できるね?」
「はい‥‥けれど、父上も兄上も策を打っています。きっと‥‥いつか、効果が現れますわ」
「そうだといいんだけどね」
シュライス様が空を凝視する。王しか許されない領域で見る「何か」の気配を感じながら、わたしはその横顔を眺めることしかできない。それが今のわたしに出来る勤め。力のない者や女人はその程度しか関わることができないと憤り、その現実を自覚しながら、彼の長い指に絡まる自分の指にぎゅっと力がこもった。
「大丈夫。これからはぼくも一緒に考えるから」
わたしの焦燥に応えるようにシュライス様の指がわたしの手を強く握ってくれる。冷たい指先に彼の熱が伝わってくる。彼がかけてくれる言葉のすべてがわたしの中で意味を持っていて、今日までわたしを支えてくれていたと今すぐにでも伝えたい。出来ればその文末に愛していると添えて。――――でも、彼には妃がいる。想いを伝えるなんて、ましてや姫の身分で不逞なことはできるはずがない。だめよローゼン。我慢して。自分に言い聞かせ、わたしは貞淑な姫を演じることに決めた。
カフェからほど遠くない場所に佇む赤い屋根の店「トレア」の前で立ち止まると、シュライス様と共に中に入ると、息を飲む気配がした。
「まぁ!ローゼンお嬢様!」
オークの木の匂いと共に甘い香りが漂う店の中で叫んだ女性は、金髪に白い肌にシュライス様に似た金色の瞳で驚いていた。
「こんばんは。ナターシャ」
「今日は一段と素敵なお召し物で‥‥」
「今日は‥‥デート‥‥だから」
「まぁ!!!」
ナターシャはわたしたち兄妹の侍従長。だけど、家業である魔法道具の店も営んでいる。店の中には、どこかのすごい魔法使いが人間でも魔法を扱えるように魔力を封じ込めて創ったという【水晶石】や、媒介に使う魔法道具などが所狭しと並んでいる。
「媒介か。懐かしいな」
傍にある杖を手に取ってシュライス様は遠い昔に想いを馳せるように目を細める。魔力媒介は若い魔法使いが使うもので、杖、鏡、コンパクト、鈴などがあって、属性が安定しない人、魔力が弱い人、放てる魔法のレパートリーが少ない人などが媒介に魔法を記憶させて持ち歩けるため、ミュゲ国では国民のほとんどが持っている。トレアの店で売る魔法道具はとびきり頑丈で有名。ナターシャが施した装飾も可愛くて、わたしは幼い頃からこの店の媒介しか買わないと決めている。
「ローゼンお嬢様?この方はもしかして‥‥」
ナターシャが戦慄きながら震えているのを見て、シュライス様が彼女の不安を溶かすようなあたたかい視線で応える。
「こんばんは。お嬢さん」
「こ‥‥こんばんは。シュ・・・・シュライス・ハイム陛下‥‥?」
肯定するように軽く頷いた瞬間、ナターシャは額を床にこすりつけるように土下座した。
「ごごご‥‥ご挨拶が遅れて大変申し訳ございませんでしたぁぁぁ!!!」
「ちょ‥‥!!!ナターシャ!!」
慌てて彼女の体を抱き起したけど、顔は地面を見たまま俯いている。その様にくつくつと喉奥から笑いをこらえながらシュライス様が彼女を諭した。
「あなたにお会いしたのは遥か昔の話だ。一目でわからないのも無理はない。顔をお上げください」
穏やかな声色に促されたナターシャが顔を上げてくれたことにほっとしつつ、わたしはこの店に来た目的を思い出し彼女の耳傍に顔を寄せる。
「ナターシャ?祝福杯を出してもらえる?」
「はっ‥‥つ、ついにその時が来たのですね?!」
ごくりとつばを飲み込んだナターシャに厳かな面持ちで頷き返すと、小走りで店の奥の部屋に入って行った。
「この店で買い物がしたいんだよね?何か欲しいものがあるならぼくがプレゼントするよ」
「え‥‥はい!ありがとうございます!」
ナターシャが来るまでの時間を稼ぐため、見知った魔道具たちを品定めする。――――約束を果たしてくれたお礼がしたい。こう考えられるまでに時間がかかった。
(本当はエターナルリンクを買いたかったんだよね‥‥)
憧れの王子様とデートをして愛を伝える。そして、ミュゲの恋人たちが両想いの証に持つというお守りであるエターナルリンクをお揃いで持つことが約束の最終地点で、当時の幼いわたしが彼に託した夢だった。叶わないと知った日から毎日泣いた。泣いて泣いて枯れるまで泣ききった後、トレアの店に飛び込んでナターシャに話を聞いてもらった。結果、わたしは一生シュライス様が好きだと思った。彼に好かれたい、嫌われたくない。駄々っ子のように泣きつくわたしにナターシャが提案したことは、愛した人を祝福することだった。見守る愛もあるのだと学んだわたしが選んだ愛の形を伝える方法。それは‥‥。
「陛下。ほしいものが決まりました」
ナターシャと視線を交わしながら愛しい姿を見やる。端正な顔に誂えられた金色の瞳がわたしを捉えたのを見て、鼻の奥がつんとした。涙の気配を誤魔化しながら繕った笑顔を向けつつ彼に歩みを進める。
「何が欲しいんだい?」
「わたしがほしいもの。それは、あなたの幸せです」
ナターシャから受け取った箱を開けてシュライス様に傾けると大きな瞳が瞠目した。
「聖杯‥‥かな?二つあるね」
「はい。これは、祝福杯と言って、祝福の魔法を閉じ込めた魔法媒介道具ですわ。リリア妃殿下とお揃いで持っていただきたくてご用意いたしました。わたくしのありったけの祝福を込めてあります」
「祝福って‥‥何に対して?」
「シュライス様の幸せに対してですわ。ご婚約おめでとうございます」
お願いだから受け取ってほしい。そう念を込めながら箱を押し付ける。
「これが、ロ―ゼンの欲しい物?」
「‥‥はい」
彼の表情が見られないまま答える。箱を持つ自分の手がカタカタと震えているのはわかっていたけど、受け取るまでは離せなかった。最終審判を待つ心地でぎゅっと目を瞑って耐えていると、わたしの指に体温が伝わる。
「祝福してくれてありがとう。ローゼン」
目を開けたと同時に大好きな声がわたしの名前を呼んだことに安心して、思わず頬が綻ぶ。応えるように目を細めてくれる眼差しを見て、この人に恋してきた日々の幸せをかみしめ、最後のわがままを叶えるべく、シュライス様の胸に飛び込んだ。受け止めてくれた胸は温かくて、抱き留める腕は力強くて、堪え切れなかった涙が勝手にあふれてしまうけれど、今はそれすらも愛しく思える。
「幸せにならなきゃ許しませんわ」
「わかった。君のためにも全力で幸せになるよ」
「‥‥大好きですわ」
降ってくる言葉はなかったけれど、慈しむようにわたしの頭を撫でてくれる。わたしの約束のデートのラストは涙でしょっぱかったけれど、永遠に残る甘い思い出の日になった。




