貴公子の取引
「おまえの顔は綺麗すぎる。‥‥嫌いだ」
含蓄のある風合いの金の地球儀が鎮座し、古色蒼然たる調度品が整然と並ぶ。その中でも一段と豪奢な装丁の、実が在りそうな魔法書物が狭隘と空間を埋め尽くしている。
100人いれば全員がここは「魔法使い」部屋だと答えるだろう。部屋中に自ずと浮かぶ蝋燭の幽暗の中、暗闇が縁どる様にリヒターの仏頂面が映し出され、台頭するようにシュライスの端正な顔が相対する。間合いに入れるスキ間はない。研ぎ澄まされた一触即発の空気を切る様にリヒターが口火を切る。
「おまえはリーガルの花だと呼ばれているらしいが、花にしては可愛げがないな」
揶揄するような指摘にシュライスは微かな笑みで返す。
「お褒めにあずかり光栄です」
「王妃を使い歓心を企てるなど、強国の王として恥ずかしくないのか?」
「ぼくはなにもしていませんよ。仮にあなたのご高察のとおりだとしたら、それは主君に対して恭順ゆえの行いだ。王として誉れに値する」
かくの如く述べた。シュライスの昂然とした顔を冷淡な様子で眺め終わると、坐っていた自机の角から飛び降りて、指を潜らせながら地面に魔法陣を描き上げ、シュライスを一瞥する。
「わしと話がしたかったのだろう?述べるが良い」
「その前に。我が妻リリアの非礼を御許し下さい」
「‥‥良い女だ。粗略にするなよ」
「リヒター様のお目に適いましたか?」
「そう言う意ではない」
「ふふふ‥‥冗談ですよ」
シュライスは朗らかに笑った後、急に神妙な面持ちでリヒターを見据えた。
「ヘルヘイムの儀を行います。その為に、貴方の力を貸していただきたい」
「ヘルヘイムの儀は、国の理を改変する重要な儀式だ。土地の精霊、ひいては国を守っていた代々の国王や妃、王族、貴族たちの御霊の恩寵を得なければ遂げられぬぞ」
「だからこそ、貴方のお力をお借りしたいのです。先の戦争の影響でリーガル国とローズリー国は精神的に分断したままの膠着状態にある。ローズリーと共闘した状態で儀式を行えば、国の崩壊を招く。けれど、あなたが儀式の奉仕者であれば国の総てが遵奉するはずだ」
「大賢者ならリーガルにもおるであろう?」
「フォースタスが真に仕えるのはわたしではなくリリアだ。それに‥‥」
「なんだ?言ってみろ」
「‥‥フォースタスは、リリアの為に命を賭す覚悟を決めています。だが、リヒター様の機微を見ていると、あなたが何かに命を賭している節は感じられない。まるで、この世界には守るものなどないというような寂寥感すら感じられる」
「‥‥このわしが小僧に謀られるとは」
「そう聞こえましたか?ならば、言い換えましょう。孤高なあなただからこそ信認を寄せられると思った」
「‥‥その真はリリア王妃を庇護するためか?それとも民の篤信を煽るためか?」
シュライスの顔から忽然と笑みが消え去り冷徹な眼差しと威圧感を放ち始めたのを見たリヒターは浅く息をこぼす。
「今夜、時渡りの儀を行うことにした」
「‥‥時渡りの儀は改暦慶事のはずでは?」
「属国に入った今、各国への示しとして臣従の姿勢を示さなくてはならない。そのためには時渡りの儀は最適だ。あの儀はこの国でしかできないからな。その儀式にはおまえと王妃たちも参加してほしい。そして、リリアにはわしの助手を勤めてもらう。――――是を吞まないのであれば、俺は助力しない」
「‥‥先ほどの事と言い、あなたは彼女に寵愛を授けるおつもりなんですか?」
シュライスの微に怒気の漂った言い回しにリヒターが不服そうに眉をひそめた。
「あの女の運命が変わった。それに乗じて何者かに宿命が託され機運が高まっている」
リヒターの厳粛な顔からは妄語を言っていると感じ取れない。 シュライスは、時折感じてきた些細な懸念や綻びのすべてに諒解する感覚を覚え始めていた。 リヒターは慣れた手つきで空間に描いた七芒星をなぞりながら、彼へ疑問を含んだ視線を向ける。
「ウイリアムからなにも聞かされていないのか?」
ファーストネームでじぶんの父親の名前を呼ばれたことにシュライスは驚きを隠さないまま、揺れる瞳をリヒターを向けた。
「臨終の間際でさえも、ぼくは立ち会うことを断られていましたから」
リヒターは彼からの言葉の含意を理解したように黙然し、シュライスの心労を慮るようなやさしい口調で語り掛ける。
「アレは、おまえにだけ厳しく己に甘い男だった」
「‥‥そうですね。残念ながら否定はできないな」
「ウイリアムは幼いころから短気で直情的だった。身近なおまえは不条理や懊悩に苛まれただろう」
シュライスは過去の辛酸の味を思い出したような苦い顔で微笑んだのを見ながら、リヒターは漫然とした面持ちで彼に応える。
「ヘルヘイムの儀式にはリーガルとローズリーの神器が必要になる。それぞれ健在か?」
「はい。本国の整室に保管しています」
「リーガルの神器は、神がこの世を看視するために造ったという逸話のある遺物だ。しかし、その神は鏡を見る人間を選んで自らの姿をかえる聞いている。心正しく清い人間には、ディミヌエンドという清らかな神が力を与し、心が闇に落ちている人間には、トラウムという黒耀に濡れた死神が与すると言われている。――――このことを、おまえは存じていたか?」
泰然自若な様子を崩さないままリヒターに向けられている柔らかく弧を描く金色の目には、一糸の揺るぎも映すことはない。 それが無言の同意だと受け取ったリヒターは、魔法陣を瓦解し地球儀を魔法で呼び寄せる。
「アンクの誓いはローズリー王族が真に心を赦した者と結ばれることで発動する聖なる契りだ。確からしさを証明するものはないが、アンクは顕在したと考えるのが妥当だろう。しかし奇妙なことに、これは運命ではない。おまえが手繰り寄せた「必然」だ。‥‥シュライス。お前はこの実相に心当たりがあるな?」
矢継ぎ早に責め立てられてもシュライスの異様に平静な顔は微細も変わらない。察したリヒターからは、諦めの溜息が漏れる。
「リリアの信託は定かではないが、運命が切り替わった以上おまえがアレと手を切らなくては、どのみち喰い殺されるぞ?」
「彼女がこの世に執着できるのは、ぼくへの復讐心だけだ。ぼくが死ねば、彼女があの国を統治し、ローズリー国は復権できる。それを叶えてあげられるのなら本望ですよ」
王の判断とは言い難い。危うさを孕んだ述懐にリヒターは静謐に瞳を隠しながら手を掲げた。彼の呼応するように部屋中に帯状の地図がはためき、その中を明星のように輝きながら方々に星が顕われる。
「リーガル国に与している国が輝きを増してる。こんなことは300年生きている中でも初めて見た兆候だ。‥‥何か起きる」
不吉な予感を含んだ面持ちで憂慮の帯びた視線をシュライスに注ぐと、 格好を崩した穏やかな顔で口火を切る。
「儀式中に何かあってもリリアを最優先に守ってくださると約束してくれるなら、彼女を見習い大魔法使いとしての「左遷」を許可しますよ」
「わかった。約束しよう」
「理を敷くのは御前試合、魔法対戦の前。ゲリラ的に行います」
「‥‥魔法対戦?」
「ローズリー貴族とリーガル貴族の戯れですよ」
低俗な娯楽の類だろうと判断したリヒターは蔑んだ目つきに変わった。それ以上は言及しなかったが、代わりに鋭利な視線で忠告する。
「アイツの弱点は愛だ。お前が真にリリアを愛することができれば完全天顕する力を削ぐ事ができる」
「ご教授感謝いたします。――――では、ぼくはこれからデートなので失礼いたします」
「デート‥‥?王妃とか?」
「いいえ。ローゼンとです」
「‥‥風聞は本当だったのか」
「ご想像にお任せします」
去り行く姿に憐れみを覚えながら、リヒターは睫毛を伏せた。




