デビュタント~終焉~
「ミュゲには国を守る大魔法使いがいるというのに、当の本人は中庭で耄碌したように魔法を使っていた。リヒターがパレスに出向かず、おまえが魔力注入の先導を切らなければならない理由は聞かないでおくが、このままではおまえの魂が削れる可能性がある。ぼくは、属国の命運を人柱に託す気は無い」
自分に向けられた言葉の一語一句を逃さないようにと真剣に話を聞いていた。シュライスの細められた目の奥にある刃のような光が、イルシュタイトの内証を見極めるように揺れている。
「ローゼンは姫だ。いずれは妃になる身。それまでは賢い兄の右腕として修業し淑女であるという自覚を持たせなくてはならない‥‥わかるね?」
地面を見ながら苦々しい顔で唇を噛む。 やがて顔をあげたイルシュタイトの目に決意の色が宿り、ワルツの音色が途切れた瞬間、清廉な彼の声が会場中に響き渡った。
「皆の者聞け!ここにおられるのは、わが国を傘下に置く主要国リーガル。その国王シュライス・ハイム陛下である!」
鶴の一声は大きなホールに水面の紋のように響き渡る。まだ発表すらされていない事実と、彼の言葉をかみ砕くような静寂が訪れた後、さざ波のように起きる拍手が彼に呼応した。 隣のバルコニーから身を乗り出しているムエット王の血の気の引いた顔を見ながら、イルシュタイトは平淡な目つきで王を見据えている。その一触即発の様を眺めているシュライスの悪巧みを忍ばせた瞳が弧を描いているのを見ながら、この先に待ち構える修羅場を予測できてしまった。
「これよりシュライス陛下は、自らデビュタント視察に降りられる」
忌憚ない言葉に会場中が静まり返った。すぐに人々が蠢くように喋り出すのを聞きながら、この状況を愉しむように忍びやかな笑みを浮かべたシュライスは、イルシュタイトに近づき耳傍に口を寄せた。
「やってくれたね。王子様」
「先に仕掛けたのは向こうですから。それに、あなたはこれがお望みなんでしょ?」
妖しげに口元を歪ませながらボックス席から出て行くシュライスの後姿を見送る。何も言わずに室内を出て行くことが今までなかったことが意外でなんだか拍子抜けしてしまった。そんなわたしに向かって、イルシュタイトが申し訳なさそうに眉を顰める。
「慎みに欠ける振る舞いとなってしまったこと心より反省しております。ローゼンに関してはぼくの監督不行き届きです」
自責するように目をつぶり苦し気に呟く彼がいつも自信満々で迷う事のない姿とは真逆なことに可愛げを感じながら、気にしていないという意味を込めてグラスを傾ける。
「ミュゲの話を聞かせていただけますか?」
事の次第とは関係ない話をあえて振ると、イルシュタイトは緊張の糸が切れたように気が抜けた表情でグラスを受け取ってくれた。 何を話そうかと思案している最中、わたしはディミヌエンドの言葉を想いだす。 今は二人きり。ボックス席だからお互いの国の護衛も傍にはいない。――――― 今しかないと思った。
「イルシュタイト殿下にしてはずいぶん大胆な手に出られましたね」
「‥‥今まで父上を信用して国の政を任せていました。それは迷う事ない王への威信があったからです。でも同時に家族でもあった。属国やローゼンの婚約話を聞かされていなかった以上、王への篤信は失われた。ならば台頭するしかない。己の信条に懸けて」
「わたしはイルシュタイト殿下を支持いたします」
「‥‥それは、陛下の倣ってのご判断ですよね。無理をなさらなくてもいい。あなたはミュゲの国について詳しくないのだから、政治的な言及は‥‥」
「ミュゲには神器はあるのですか?」
国の核心を突かれたからだろうか。イルシュタイトの目から笑みが消え、猜疑の眼差しに変わる。
「‥‥ありますけど」
「ローズリーとリーガルの神器の形は記されているのですが、ミュゲの神器はどんなものなのですか?」
「ミュゲに土着している自然霊を統べる王エフィラの遺物、妖精王冠は、森羅万象の調和の象徴であり季節全てを見守り循環させていたというこの世界の自然王が汚染された世界を浄化したあとに死に絶え残されたものだと伝えられています」
「それを守っている魔守り人は?」
「クレフです」
「最近、クレフ様に異変が起きたことはない?」
「‥‥さぁ。ただ、少し様子がおかしいときがあるのは事実です」
「どうおかしいの?」
「夢遊病のように夜中に森を歩き回っているのを見かけた人間います。母上の姿を見たという父上の妄言のあとくらいだったとおもいますが」
「妖精王冠はいつからミュゲにあるのですか?」
わたしの絶え間ない質問の応酬にイルシュタイトは訥弁していたが、わたしの真剣な表情を見て、観念したように話し始めてくれた。
「時渡りの儀が行われるようになった約500年前からです」
「時渡りの儀?」
「時渡りの儀は、暦が切り替わる真冬に太陽と月が交わり、一つの時代が終焉を迎え、つぎの時代へ渡り、全てが浄化されてまた始まるという神聖な日に行う儀式の事です。儀式には妖精王冠とその国で魔力の強い魔法使いの秘匿魔法が必要になります」
わたしの聞きたかったワードをすべて言ってくれたことに勝手に口角が上がっていく。その顔がよほど嬉しそうに見えたのか。イルシュタイトがわたしを見ながら微かに笑っていて、気が付いた途端ん思わず唇を結んだ。
「ミュゲにとって、時渡りも神器も重要なものなのですね?」
「えぇ。パレスは元々妖精王冠を保護するために創りあげました。祭事や重要な儀式のとき以外門外不出です」
「その‥‥重要な儀式をしたい‥‥と言ったら?」
イルシュタイトが恣意深げに見た後、自嘲を含んだ微笑みを浮かべた。
「‥‥またシュライス陛下に怒られろと?」
「これは共同戦線の提案です。妃として正式な申請と受け取っていただいて構わないわ」
その言葉を聞いた彼の瞳に熱が籠ったのがわかった。ワルツの音が奏でられ、始まりのファンファーレが鳴り響いていたが、 わたしたちは華やかなデビュタントを見ようともせずただ黙殺していた。
この異様さに気が付かれないのはここが半個室の部屋だからよかったと心の底から感謝する。 彼にならば話しても大丈夫だ。そう思えたきっかけは、今しがた起きた王への反抗と自然と不思議な魔力を扱う同じ性質を持つ国同士であるという、理屈を超えた共振からだった。些細ではあるけれど確信に近いこの感覚は正解だと自分に言い聞かせながら、想いを紡ぐように言葉にする。
「ある人に世界中に散らばった七種の神器集めるように言われているの。集めなければ世界が崩壊すると言われているのよ」
「‥‥何かのお伽話ですか?」
「違うわ」
「ある人って誰なんです?そんな政治粛清みたいな発言をするなんて。神様以外許されない」
「その・・・・神様なのよ」
信じてもらえるかわからなかったけれどそれ以外に言える理由はない。誤魔化すことも得策ではないと思って、わたしはそのまま口にした。だが、イルシュタイトは周囲に聞こえないように声を押し殺しながらひとしきり笑い、涙の滲んだ顔で嘲笑する。
「いいね!!神様の言う通りにしないと世界が崩壊するか!王妃様はずいぶん信心深いんだな!」
グラスを煽りながら笑いが止まらない彼にいよいよ憤りを感じて、わたしは彼のグラスを持つ手をテーブルに強引に下げた。驚いた様子でわたしを見つめる彼を射るように見る。
「ミュゲの王子ならばわかるはずよ。この世には目に見えるものだけではない。目に見えないものの訴えの中に物事の真価があるということが」
嘲笑する雰囲気が消え、聞き入るように本腰を入れた彼から清廉さが滲み出たのが分かった。
「このままでは戦争になると言っていた。そして、シュライスを止めなくてはならないとも」
「‥‥神の名前は?」
「ディミヌエンドよ」
告げた名前に沈黙で反応した。イルシュタイトの瞳が揺れながらなにかを懐古している色に変わっていく。
「‥‥何か知っているの?」
「ディミヌエンドは、この世の終わりを告げる使者の名前だ。別名死神と呼ばれる。死を告げにやってくるという疫病神さ」
「それは、昔からそう呼ばれているの?」
「ミュゲではね。彼は12の顔を持っていると言われている。各国で呼ばれ方は違うと思う‥‥リーガルの書架に蔵書されているナンバ一12という本を探してください。そこに彼のことが記されているとおもう」
「それって‥‥わたしに力を貸してくれるってこと?」
イルシュタイトは苦り切った表情を消さないまま不満げに口を尖らせる。
「‥‥あなたは危なっかしい人みたいだから」
最後の一杯を自分のグラスに注ぎ、不貞腐れた顔でダンスホールを眺める。わたしのことを嫌っていた人と分かり合えたという達成感と、味方ができた様な喜びでおもわず彼の隣に寄り添うと、イルシュタイトは顔を赤くし慌てて離れてしまった。
「‥‥っ陛下に見られたらぼくが咎められます!あの人はあなたにだけ嫉妬深くなるから!」
「‥‥わたしのこと嫌い?」
「はぁ?誰がそんなことを」
「謁見のときからわたしのことを睨んでいたじゃない?」
「いや別に‥‥そんなんじゃないし‥‥」
「それに、ロ―ズリーとミュゲの気質は似ているから」
魔法使いの似た者同士は、裏を返せばお互いの死を意味する。 似ているがゆえに生存競争も過密になるし、似ているというだけで絆は生まれない。ましてや仲間でも家族でもない。好むと好まざると関わらずそれはついて回る。 彼は私の言葉を反芻するように思いを巡らせながら。小さくため息を漏らし口火を切った。
「今のあなたはリーガル国の妃で、ローズリー国はリーガル国と統合し混血となった。確かに昔は思うところもあったが、父上は属国としてあなた方の背後を守ることを決めた。ぼくは王子としてそれを支持しているし、そこに後悔はない。‥‥あなたに粗野な対応をしたことは謝るよ‥‥もうしない」
「ありがとう。イルシュタイト」
まるで、長年の蟠りがあった友達と和解したあと安らかさに似たものを感じながら、彼と並んでグラスを掲げた。バルコニーから見えるシュライスに群がる令嬢たちの姿と、花が離れたことに悔し涙を浮かべる子息たちと、酒量を極めて陽気になった貴族たちと、眉間に皺を寄せて周囲を眺めているムエット王の姿を眺めながら、デビュタントの夜は更けていった。




