大賢者たちの晩餐(フォースタスサイド)
森の中を漂う異様な魔力と精霊力の強さは大昔から変わっていない。
生い茂った森を抜けぼんやりとそんなことを考えながら、デビュタントに出席するために魔法で身を正装に整える。
ロメオからの情報だとリリア様の服装が黒のシックなドレスだと聞いて、倣うように黒のタキシードを選んだ。――――無論、バラのコサージュを胸に添えて。
「あなたはここで待っていなさい。ウェルギリウス」
「フォースタスは出席できるんだね~。いいなぁ」
「あなたにはお勤めがあるでしょう」
「まぁ‥‥仕方ないか」
「どちらにしろ、その恰好では入城できませんからね」
泥と雑草屑がついた作業着姿のウェルギリウスを揶揄る様に見やると、頭を掻きながら肩をすくめて見せる。
ロイド殿下に言われてミュゲに入国したという彼がわたしと出会ったのはつい先程で、わたしの公的な入国理由である魔力石の仕入れが終わってすぐの事だった。パレスの近くで木の根や葉の裏側を観察する奇特な男がいる。町で噂になっていた男は、わたしの顔を見た途端親し気に近づいてくる。
「フォースタスじゃないかぁ!」
「こんなところで何をしている」
「ロイド殿下に連れてこられたんだよ!ミュゲの自然を調査してほしいって!」
「それは極秘か?それとも、領主の了承を得てしているのか?」
「ん~‥‥多分極秘かな?」
屈託のない笑顔を向けるウェルギリウスに住民からの噂が立ち始めたことを伝え、魔法でここまで連れてきたのはいいが、相当数の人に見られていると知った今、そんなことが必要だったのかと軽く疑問を覚えていた。この男とは大賢者になる前からの付き合いだが、変わらない自由奔放さはここまでくると羨ましくさえ思う。
「成果はあったのですか?」
「うん。ミュゲの生体形がわかってきたかな~」
「この国は数百年前から変わっていない。あなたがこの国の自然摂理を解明できれば大したものだと思いますよ」
「う―ん‥‥ねぇ、フォースタス。銀髪の魔法使いを知っている?なんだかすごい強い魔力の。多分この国の人だと思うんだけど」
「‥‥銀髪で、顔が幼くて、背が低くて‥‥?」
「そうそう!そんな感じ!」
「口が悪くて傍若無人で性格が悪い癖に人を懐柔するのが好きな独り言の多い?」
「いや‥‥ぼくは話したことないからわかんないけど‥‥」
「そうですか。‥‥彼がなにか?」
「ぼくが観察してるのをずーっと後ろで見てるんだ。んで、ぼそっと言うの。‥‥まだまだだなって」
「そんな耄碌人間は無視でいい」
「もーろくにんげん?ひょっとして、フォースタスの知り合い?」
「まったく存じ上げません」
頭の片隅から目の奥まで。ぎっちりとあいつの顔が記憶から呼び起こされ若干の眩暈を覚えながらバンスタイン城の門を潜る。
すると、示し合わせた様に異様な魔力の気配がわたしの近くを漂いはじめたその根源がわたしの背後を取っていることに普段ならば魔法で応戦するところだが、身に覚えのあるあいつの気だとわかり振り返る。
「何事かと思えば。お前だったか、フォースタス」
「勘は鈍っていないようだな?リヒター」
ブルーの長いカフタンを着込み上から白のローブを着ている見るからに少年のようなこの男は、こちらを凝視し今しがた呟いたわたしの言葉を鼻で嗤う。
「耄碌しているからのぉ。勘とは、なんぞや?」
「‥‥もういい。デビュタントの会場はどこだ?」
「招待されているのか?」
「護衛だ。我が主が出席している」
「あぁ。お前が仕えている王女のことか。ルマノン宮にいるはずだ」
言いながら夜空がぽっかりと明るくなっている場所を指差して見せる。浅く首肯し刺された場所へ向かうと暫くして現れた入り口に差し掛かった時、ぴたりと背後をついている存在に嫌気がさし始め、わたしの口からため息が漏れ出る。
「‥‥わたしの背後を取るな」
「すまんすまん。こちらに用があるのでな」
リヒターが一瞥しながら小走りでルマノン宮へ入っていくのを見ながらわたしの体を虚脱感が襲った。
「お守りは御免だぞ‥‥」
リヒターの昔からの癖を知っている者は少ない。ゆえに、彼の特性を知っているのはわたしくらいだろう。暇が嫌い、話が好き、酒が大好物なリヒターの相手ができる者はそうそういないはずだ。
その実力に畏れ多いと思う者もいれば説教がうるさくて敵わないという者もいる。
「そしてしつこい‥‥」
昔のことだ。リヒターも丸くなっているだろう。そう己を窘めながらルマノン宮へ入る。
ミュゲの国は数百年前から何も変わっていないことが分かる者は少ない。
この国が建国された日を今でもはっきり覚えている。魔法皇帝という二つ名を付けられた俺は身を隠すためにこの国を訪れ、その強大な自然力と不思議な魔力に魅せられた。
当時は他国を入れ込まない封鎖的な国だった。だが、代替わりを経て貿易も盛んとなって築かれた隆盛の時代を象徴するような華やかさは人にも表れている。広いホールの中央で煌びやかな衣装を身にまとう貴族の令嬢や子息たちによるワルツのお披露目が佳境を迎え、彼らの他を疑う事を知らない澄み渡る瞳がこの国の安寧を物語っていた。
同時に、初々しいその姿を重ね合わせる様に幼いリリア様のデビュタントの日を思い出す。
ロ―ズリーの王や王妃は第三王女に関心がなかった。魔力があるという利用価値でしかリリア様を見ていないことは国に仕える全員の周知の事実だった程だ。
ハレの舞台で彼女が与えられたドレスは黄ばんだタフタドレスで、靴や宝飾品も第一王女の使い古しだった。ロ―ズリーと言う国は心がものを言う国だと聞いていたのに、その内情は情の余白すら存在せず無だけが支配するもので、ロ―ズリー国に仕え始めたばかりの頃の憤りは未だに忘れられないものだ。
彼女に拾われ「約束」を交わし生涯仕えると決めた主が小間使い同様の仕打ちをされ続けていることに堪えられなかったわたしは、彼女の為にドレスや靴、宝飾品を授けた。デザインも柄もわたしの好みに錬成してしまったことに気がつき謝罪したが、彼女はぽろぽろと大粒の涙を流しながら「ありがとうフォースタス」と言った、あの笑顔が忘れられない。
デビュタントの会場に出た彼女は誰よりも輝いていて、その姿を見ながら彼女がこの国にいる限りローズリーの安寧を守ろうと柄にもなく使命感に燃えたのが昨日の事のようだ。懐古しながら会場を見ていると視界に酒の入ったグラスが現れ、その指の細さと色白さに嫌な予感が走る。
「そんな仏頂面で突っ立っていないで酒でも飲め」
既に何杯か呑んでいるのだろう。上気した顔でわたしを見ながら片方の手で給仕から手慣れた手つきでボトルを奪う様子を見て、名誉とは妄信なのではないかとこの国の選択の窺わしさを感じずにはいられなくなった。テーブルに並んだオードブルの数々は晩餐会に相応しく華やかなものだが、その細やかな計らいも酔ったリヒターの必殺手掴み食いにかかるとその美しさが格下げしていくのを眺めながら、わたしは食欲の失せた口にシャンパンを注ぎ込んだ。
「相変わらずの酒浸りですか?リヒター・ウルフレッド」
「相変わらず堅物のお前に言われたくないな。フォースタス・オスキュルテ」
赤らんだ顔の少年の様な男に酒を勧められるのは、国が国なら如何わしささえあるだろう。その光景に眉を顰めながら虫を払うように彼のグラスを掃う。
「‥‥あっちに行ってくれ」
「友好国同志仲良くやろうではないか」
「‥‥友好国?」
「なんだ知らないのか。ミュゲはリーガルの属国になったんだぞ」
リヒターの言葉を噛み砕くまでの時間がかかった。陛下と妃殿下がミュゲに入国したのは昨晩のはずなのに、一日足らずで属国協定を結んだということは歴史上で見ても異例すぎる。
「これからは付き合いが多くなる。のぉ、フォースタス」
挑戦的な顔にある口角が嘲うように上がっていくのを見て、わたしは彼の手からグラスを奪った。
並々に注がれた酒で溜飲を下げる様に一気に喉に流し込むと、リヒターも続いて杯を仰ぐ。
「おまえの仕える主とやらは友好を結ぶためにこの国に来たわけではないのだろう?」
「王妃としての役割を果たしに来ているだけだ」
「そうか。なら、わたしが手を貸すことは無いのだな?」
「おまえが歴史上の誰かと手を組んだことがあったという記憶はないが?」
「‥‥ミュゲの現況を見ただろ。この国は危うい。なにかが壊れ始めている」
「パレスの均衡管理はおまえの仕事のはずだ。なぜイルシュタイトにすべてを任せている?」
「王を陽動している者がいる」
わたしたちの周囲に人が寄ってくる。ダンスが終わり自分の娘や息子を労う為に貴族たちが集まってきたのだ。この国の規範を作り、国の魔力の動力源を創り上げた大賢者は、この国の民にとっては神のような存在であるはずなのに、警戒する空気を纏うリヒターに声をかける者はいない。
「おまえの提言も聞き入れなくなったと?」
「傾聴の余地はない」
言い切ったリヒターの目に浮かぶのが哀切だったことが意外で、彼に悟られないよう上がっていく口角を抑えた。
「そう言う事か‥‥」
「イルシュタイトは幼いが魔力は強い。ローゼンも引けを取らぬ意志の強さと潜在能力がある。二人が国を建て直さなくてはならない日はそう遠くはないとみている」
「それで、リーガルに属国‥‥か?」
押しも押されぬ強国にのし上がったリーガル国の属国になりたい国はいくらでもあるはずだ。わたしの疑問はそこにはない。ミュゲという国はリーガルにとって異分子だ。自然や精霊の類よりも力と権力で世界を牛耳ろうとしているシュライス陛下の戦力にするにはリスクが高いはずだ。魔法を扱う者は元来移り気だし、定見を持っていないことを、リリア様を娶るだけの気概があるあの王ならば理解しているはずだと思っていた。
「属国の進言をしたのは、サニタリア国の王だ」
――――だと思った。サイコパス王の名前が出た途端、視界が開けた様に納得できる。
「このままいけばミュゲ国は瓦解される。その前に手を打ちたい」
王族のいる席を見やると、バルコニーから身を乗り出しているリリア様を見つけた。横には平淡な目で護衛を勤めるロイド殿下と、甘い顔で彼女を眺めるシュライス陛下がいることがわたしにとって当たり前の光景にすらなり始めていることに思わず自嘲の笑みがこぼれる。
「おまえの主に憑いている神の欠片を探しているのだろ?そして、神器と魔守り人の呪いの解放をするために王妃はこの国に来た」
「‥‥まぁ、わかって当然か」
「神の匂いがプンプンしたからのぉ」
300年生きている分際でわざとらしい老人言葉を青年姿で言ってのける。肩透かしを食らったようなきもちになり、わたしは早々に話題を切り替えることにした。
「神の欠片と言う言葉を聞いたことがあるか?」
「あぁ。魂が砕けたときに散らばるという羽のことだろう」
「羽?」
「神の魂が砕け散りしとき、その破片は羽となって世界に散らばる。文献を読め、文献を」
「人間や魔法使いに関与している。心当たりはないか?」
「‥‥森へ行ってみろ。おかしな魔法使いが出るという噂がある」
「そうか‥‥わかった」
ワルツの音が止み、沈黙が訪れる。リヒターの気が徐々に揺れている様を隣で感じ取りながら一瞥して様子を窺うと、ひどく真剣な顔で思案するようにリリア様を見つめている。
「王妃に伝えろ。今夜、わたしの呪いを解けと」




