王様と深夜のデート
「だぁ~か~らぁ~!ぼくは酔ってないんですよ!フリですよフリ!王子たるもの酔ったフリ位できなきゃ名が廃るってもんなんですよ!陛下も王妃も大げさだにゃ~」
イルシュタイトは誰もいないカウンター越しにある妖精の置物に向かって話しかけるほど泥酔を極めた様子で、シュライスは彼の様子を頬杖をつきつつ愉快そうに眺めている。
先ほど据えられたシュライスのお灸が功を奏したのか、彼は猛省しつつ何杯もお酒を煽りただいまの酒量はざっとワインボトル二本分ということろだろうか。
色の白い彼の肌は仄かに桜色を帯びていてきつく締められていた軍服もいつの間にか開けている。
「イルシュタイト。話しかけてるお嬢さんをぼくに紹介してくれないのかい?」
「彼女ですかぁ?ふふふ‥‥彼女は社交界で会ったコでぇ‥‥」
シュライスの悪戯に乗ってしまったイルシュタイトを止めるべく水を差し出すと、目を瞬かせながら驚いた様子でわたしを見やる。
「お水を!ぜひ!」
「酔ってないです~」
「酔ってなくても水分補給は大事です!」
「ふぁ~い」
イルシュタイトは水を受け取ると一気に飲み干した。と、安心したところで彼の頭ががくんとテーブルの上に落ちる。
「すぅ‥‥すぅ‥‥んにゃ‥‥すぅ‥‥」
「い・・・・イルシュタイト!?」
「寝たね」
すやすやと寝息が聞こえはじめる。前世の飲み会ではお酒に弱い人ほど突拍子もないことが起きていたので介抱することには慣れていたが、王子様程の身分の人の泥酔を見たのは初めてだ。
近くに会ったひざ掛けを彼の肩にかけるとむにゃむにゃと何かを喋りはじめていて、思わず笑みがこぼれた。
「ねぇリリア。少し抜け出さない?」
小声で囁くシュライは完全にいたずらっ子の目になっているのを見て、念を込める様に平淡な目で返した。
「どこに行くつもりなの?」
わたしの返しに応えるようにシュライスの顔が一層近づく。
「星が良く見えるところ」
少し考えながらパンを口に運び、咀嚼し、ワインをあおってから頷いて返した。
しかし、お酒の力を借りた町の喧騒がピークの時間帯で外はざわざわと蠢く様な熱気を感じる。
先ほどまでいた護衛はイルシュタイトが城に帰してしまったので監視の目はない。
「おいでリリア。デートしよう」
「あとでイルシュタイトに怒られても知らないから」
穏やかな笑顔でわたしに応えいつものように手を差し出す。いつもと違う空気の匂いと、見知らぬ街の喧騒の中で見る見慣れた顔になぜか安心して素直に彼に応えられたのはこれが初めてだと、手を取ってから気が付いた。冷えた長い指が絡んでくるのも、握るポジションを探るためにわたしの指をなぞる癖があるのも王妃になってから知った。
酔った熱と夜という魔法は人々を陽気にさせる。露店が立ち並ぶ中からシュライスが何かを見つけたようで、店の前で立ち止まった。
「いらっしゃい!万華鏡屋だよ!」
「万華鏡ってホロスコープのことですか?魔法を観察する時に使う顕微鏡の?」
「魔法使いさんたちはそう使うだろうけど、下町ではミュゲの自然石を封じ込めた土産物として売ってるんだ」
店先並んでいるのはキラキラとしたフォルムの万華鏡の数々だった。手に取ってのぞいてみるとキラキラとした魔法石が動いて、回す度に様々な柄に変化していく。
隣にいたシュライスも感嘆を漏らしながらくるくると万華鏡を回している。
「ミュゲではカップルで万華鏡を買うとあの世で迷子にならずに会えるって言われているんだ」
「この万華鏡が繋がりの媒介になるってことかな?」
「万華鏡は一本の水晶から削り取られるんだけどね、一本の水晶から出来上がる万華鏡は2本なんだ。対で創られることからそういう謂れが生まれたんだろうっていわれてるよ。二人が持っている万華鏡は偶然にも対で仕入れたものだ。お目が高いねぇ」
「では、対で頂こう」
「毎度!」
「ちょっと‥‥」
目を瞬いて見せるシュライスは早くも支払いを済ませ光の速さで品物を受け取っていた。
「デートの記念だよ、受け取って?」
「ありがとうございます、陛下」
キラキラと光る万華鏡は小ぶりでポケットに収まってしまうほどのものだけど、その煌めきは女子ならば誰でも惹きつけられる魔性の輝きを放っていた。
「ぼくが死んでしまったらこの万華鏡を棺に入れてね。あっちの世界でキラキラ回して待ってるから」
「‥‥縁起でもないこと言わないで」
「でも、リリアはぼくを殺したいんだろ?ならぼくのほうが死期は早い」
「わたしは妃になったばかりなのよ。今あなたに死なれたらリーガル国民に殺されるわ」
「じゃぁもうしばらくぼくはリリアといられるんだね。うれしいなぁ」
まだ生きられる認定を受けた嬉しそうなシュライスと共に喧噪をくぐり抜け、森の中へと歩みを進める。しばらく歩いていると、木の高さほどある尖った水晶の群生が現れた。 無色透明もあれば淡いピンクやグリーンに光っているものもあって、まるでお互いが共鳴しているかのようにも見える光景に、魔法使いの血が働いたのか、背筋をピンと張り詰めさせる強力な魔力を感じとれた。
「すごい力だわ‥‥」
「ここはパレスと言ってミュゲの国の根幹でありこの国の魔力を統治している中心。 この水晶群は太古から存在する妖精や精霊たちの魂や死骸が取り込まれ、それを養分として育った「魔力晶」という高純度の魔力を蓄えた結晶なんだ。通常の動物や人間ならば、この場の空気に触れただけで死ぬ威力がある」
バチバチと空気が弾けキラキラと酸素が帯のように流れていて、物質それぞれが増大した形で主張している状態とでもいうのだろうか。この場の空気を息を吸うと喉の奥がひひきつる感覚は、魔法を精製しつづけたときに感じる刺激と似ている。
「ミュゲの地にある魔力は自然力が全てだ。自然や精霊が駆逐されない限り未来永劫魔力噴出し続ける。ゆえに匙加減や彼らとの距離を見誤ると、どちらかが破滅する危うさも備えているんだ。この国にくると、人間の心や力で干渉できることは世界の一握りなんだと思い知らされるよ」
シュライスの目には一目でわかる程の畏敬の念が見て取れて、わたしもなにかを祈る様にパレスを見詰めた。
パレスから離れると森が開けた場所に小さく隆起した丘が見え、先ほどまでの荘厳な空気から穏やかな空気感に移り変わっていくのがわかる。
澄んだ酸素に少し冷たい外気が流れた丘へとつづく道の終わりにあったのは、街を一望できる夜景スポットだった。見下げた景色の喧噪とネオンの頭上には、満天の星が輝いている。
月のある方向から矢のごとく流星が流れては消えを繰り返している。まるで星の雨を見ているようで、その光景に圧倒された。
「夜は自然の均衡が保たれているからこの時間は流星群がよく見えるんだよ」
シュライスは眼を細めて満足そうに微笑むと、わたしの手を引いてふさふさとした芝生に座りこんだ。 緑の匂いも心なしか濃く感じる。 これが「自然と契約を結んだ」国の矜持なのだろうかとぼんやり考えを巡らせていた。
「どうしてこんな場所を知っているの?」
「王の特権により秘密を行使する」
指で自分の口をふさぎウインクして見せる。空を見上げれば瞬きする瞬間に星が落ちてきて、きらりと光って弾ける。 この様子を身近なものに例えるならば、石鹸の荒い泡がつぎつぎと消えるようなそんな感覚だ。消えては生まれ、生まれては消える生命体のように輝く星を見ながら、わたしの知らないシュライスの王の顔の一部を知れた気がして胸の奥が温かくなるのを自覚する。
「リリアとここに来られるなんて夢みたいだなぁ」
シュライスは芝生に寝転がりながら、流れ星を目で追いつつ呟いた。
いつも周囲には大臣やロイドがいるからか、一人で無防備に佇むシュライスを見たのは久々な気がする。
わたしは彼に倣うように横に寝っ転がった。
「寄宿舎で会った時に見たじゃない。ほら、夜中に」
「子供の頃の話だろ?」
不意を突かれたとおもった。シュライスに腰を引き寄せられるとすっぽりと彼の腕に収まる形で捕らえられたからだ。
「ぼくはもう大人なんだよ」
金色の瞳が揺れならが見つめているその背景には流れ星が絶え間なく流れていて、 彼の目と流れ星を交互に見ながら答えを誤魔化している。そうでもしなければ、心の中のわたしの決心や決意までもが諸とも流されてしまいそうだったからだ。
色香が立ち上った目が熱っぽくなり近づいた唇が重なる。
「愛してるよリリア」
ついばむよに数回口付け零すように呟いた後、わたしの背後に視線を移す。先を追うと、微かな輪郭が薄闇に浮かび上がった。
「こんばんは。ムエット陛下」
「おや。ばれていましたか」
シュライスにそう呼ばれた影が動き出すと月の光が射す場所まで出でる。エメラルドグリーンの瞳に金髪の髪が月光に当たるとキラキラと輝く。ブルーの軍服に白のストールを首から流したミュゲの王ルルノア・ムエットだった。
「隠し見るつもりはなかったのですが、いやはや。お熱い」
クツクツと笑いながら、王はシュライスに手を伸ばした。
「遅参をお許しください」
「パレスは無事なようですね」
「えぇ。見てのとおりです。今は魔力が安定していますが明日はどうなることやら‥‥。わが愚息の醜態やご無礼を側近から聞き及んでおります。申し訳ございませんでした。シュライス陛下」
「イルシュタイトはパレスの魔力注入を行っていると聞いて居ます。疲れもありましょう。問題ないですよ」
シュライスの応えに王の目は弧を描いた。
「パレス浄化はうまくいったようですね」
「あのパレスは外界の影響を受けやすい繊細な構造をしています。 結晶群の中に含有されている妖精や精霊たちの古の記憶が流れている所以なのですが、先のリーガルとローズリーの戦が少しばかり関係しているようで」
王はわたしを一瞥するとパレスの方向へと目を見やる。
「争いや憎しみの類は伝染する思念を宿している。それを吸い込んだようなのです」
「それは申し訳ない。リーガル国の王として謝罪いたします」
ふたりの間に沈黙が流れたあと、王の目線が何か言いたげにわたしを捕らえた。
「ローズリー国の者にパレスを見せたのはあなたが初めてですよ、リリア王妃」
「光栄に思います。父と母はミュゲ国と頑なに交流をしてこなかったので‥‥」
「それは、なぜだと思われますか?」
一段と低い声でわたしに質問する王の顔には困惑したような色が窺える。
「故人を愚弄することはしたくはないが、あなたの父上と母上はムエット家とは正反対の思想をお持ちだった。その内情は実に閉鎖的で独裁的だ。ルルーシュ家は能力や権限を権力として行使する一族。一方我々は、自然や星の摂理に沿って魔力を「借り」るという思想だ。相容れない上にあなたの父上の代においては三人も子供が生まれたというのに魔力のある子どもは一人しかいない。第三王女のみが魔力を宿し、第一王女、第二王女が魔力がない場合、そして男が生まれなかった場合、隣国としてはそのような国に未来はないという見立てになる。国力の低下、もしくわ、一族の改変、国崩御の予兆。‥‥そう受け取られる。ローズリーから何度か外交協定の打診はあったが、すべてお断りしてきたのはそういう理由からだ」
わたしの知らない人間鳥観図を見たような気分だ。 呆然としながらも相槌を考え絞り出す。
「ルルーシュ家にいたわたしは独裁的でも閉鎖的でもなく平和で穏やかな日常を送っていました。‥‥いま、そういわれて、戸惑っております」
「あなたは、実の親にあのような所業を受けてもなお、庇護されていたとおっしゃるのか」
そう言われたとたん全てが肯定されたように聞こえて喉の奥に苦みが広がった。わたしから視線を外しシュライスを見据えた王はその場に跪く。
「ローズリーを手中に治めた戦役は実に美しく戦況も見事でした。第三王女を娶り妃にした英断も個人的には賛同できる。突然の申し出ではございますが、ミュゲ国をリーガルの属国にしていただきたい」
「ミュゲ国は精霊と自然に守られた国だ。踏み荒らすことはこの世界を敵に回すことと同義に値する。その自然力を使役する国の王が、なぜ属国に入るなどと言う算段に至るのですか?」
「今のリーガルにローズリーの第三王女の影響力が加われば破竹の勢いで領土拡大するのは一目瞭然。ならば早々に白旗を上げて属国に入り国力を上げる方に専念したい。我が民は平和と静寂を好む。戦いは望んでいないのです」
王の言葉の一語一句漏らさぬよう耳を傾けながら聞き入っていたシュライスは、笑顔で小さく首肯した。
「喜んでお受けいたしましょう」
「有難うございます。‥‥リリア王妃様。あなたはご自身の心を騙すことなく生きてください。魔法を、精霊を、周囲を、信じてください」
「‥‥ご助言感謝いたします」
王はマントを翻しながら闇夜に消えた。彼の姿が見えなくなった暗闇を見つめながらしばし呆然としているわたしの頭をシュライスが優しく撫でつける。
細く長い指が頭を撫でていく感覚を感じながら目をつぶると、目の奥にたまっていた涙が勝手に流れだし、行き場のない絶望感に襲われてその場に膝をつく。
ポケットの中にある万華鏡の魔力石が転がる乾いた音が響いた。




