嵌められてもタダでは起きない王子様(ロイドサイド)
俺は今、女を抱いている。正確に言えば、「女を抱く店に来ている」と言った方が正しい。
生温い室内漂うのは催淫効果のある香りなのだろうか。甘いにおいが途切れることなく鼻腔を支配し、俺の腕に絡みつく女からは雌の匂いがする。――――いわゆる娼館なのだとわかったとき、先ほどまで軍事対談をしていた騎士たちの姿はどこかに消えていて、嵌められたのだと悟るまでに時間はかからなかった。
「なにが高貴で自然を愛する国ミュゲだよ」
自然だろうが精霊だろうが、生きる人間の性欲には勝てない。どうせ娼館の支払いは全部俺にくるのはわかってる。しこたま酒を飲ませて戦法や国の裏の話を聞き出そうと引き延ばした俺への報復が来ることくらいは予想についていたが、まさかこんなにすぐやり返されるとは思わなかったけど‥‥。
「おにぃさんはわたしを抱かないの~?」
「抱いてほしいなら抱いてやるが。残念ながら、俺は今はそんな気分ではない」
「え~じゃぁお酒のんじゃお~」
手元にあった酒瓶をラッパ飲みする女の口からワインがしたたり落ちる。
軍人や騎士という生き物は死と隣り合わせの生き物だ。何かを守るために生きることを矜持としながらも、己の中にある色欲や出世欲などの欲望に正直な奴ほど信用が置けるというのが俺の経験則でもある。
ここに連れてこられたのは不本意だが、異国からやって来た元帥なる高尚な男の力を試すための彼らが用意した通過儀礼だと思い、俺は甘んじて受けて立つ為こうして女を腕に抱いているというわけだ。
「おい。まさかこの館、結界張ってないだろうな?魔法で文を送った返信が来ないんだが?」
俺の腕の中で酒を飲みながら潤んだ瞳を向ける女に問いかけたが、酔った笑みでただ微笑むだけだ。
愛嬌しかない女は好きじゃない。ふわふわと綿毛のように漂う人生に甘んじていられるのは、この国を支える騎士や軍師、王や王子の勤めの賜物だと理解して生活するという精神を持ち合わせていないからだ。
無防備に柔肌を晒して欲情を誘う服で隙を見せる。どんな男にも心を開ける女が嫌いな男はいない。そのことを熟知している女を愛せる男ほどこの世で愚かなものはない。
貴族社会で嫌と言うほど男女の駆け引きを見てきた俺にとって、何の感情も知性もない綿毛女は男を堕落させる敵でしかない。
「俺と一緒に入ってきた騎士たちはどこに行ったんだ?奥の部屋に居るのか?」
「ねえさんたちが相手してるよぉ~」
「娼館には女が何人いるんだ?」
「10人くらいかなぁ。みんな売られてはまた別の場所に売られていくからわかんな~い」
「お前も売られてきたのか?」
「うん~。お父さんに行けって言われて~」
「‥‥親に売られたのか」
「借金がいっぱいあったからねぇ。わたしがここでお金を稼げば自由にしてくれるって~」
「どれくらい稼げば自由になるんだ?」
「10万ルミナ」
「ルミナという単位はガルディアの通貨だ。お前の出身はガルディアなのか?」
「そうだよぉ。良く知ってるね~」
「聖女はなにをしている?あの国は人身売買自体が禁止のはずだろう?」
「‥‥あんな女、嫌い」
あどけない女の声が急に声色を変え、目には濁った嫌悪が滲んでいる。ガルディア国は聖女が護る国。信仰する者の多くは聖女を規範としているため、秩序を乱したり反旗を翻すことはない。
特に女の身分を重んじる傾向があり男たちはその規範に則って女を大事に扱う国だと聞いている。
「あの女は男たちを手籠めにして国中の女を追放しようとしてるだけだわ。わたしたちのことなんかこれっぽっちも考えてない」
当時を思い出し怨嗟に支配された顔から涙が滲む。
女、と言っても俺から見ればまだ少女に見える小さな体を怒りに震わせながら耐える姿は、神殿で体を休めていたリリア姉さまを彷彿とさせた。
何度も思い出す憎しみと悔しさに心を砕き、体も心も衰弱する行為のはずなのに止めることができない。
彼女たちにとってその出来事自体が一生付きまとう傷になってしまったからだろう。
俺は女の体を自分に引き寄せ背後から小さな体を抱きしめた。
微かに震える体を宥めるように力を強めて抱き留める。すると、小さく嗚咽する泣き声が聞こえた。
「‥‥ふぇ‥‥帰りたい‥‥家に帰りたいんだよぉ‥‥」
「帰ればいい」
「‥‥へぁ?」
「家に帰してやるよ。その代わりに俺と約束できるか?」
「‥‥はい」
「あの国は女ならば全員聖女の身の回りを世話すると言う話は本当か?」
「ふぁい‥‥私も売られるまではお世話していました」
「そう遠くないうちに俺はガルディア国へ行く。その時、聖女への手引きをしてほしい」
「手引き‥‥会わせればいいってことですかぁ?」
「そうだ。出来るか?」
「うん。やる」
「よし。いい子だ」
頭を撫でつけようとした俺の手を女が掴み俺にもたれたまま首に吸い付かれる。そのまま首に顔をうずめると体温の高い頬が俺の頬を擦った。
「わたしの王子様だぁ」
「あぁ。俺は王子様だよ」
女の首に軽くキスを落としてやるとまるで子供のように屈託ない笑い声をあげた。
もし俺に妹がいたらこんな感じだろうか。幼い頃の思い出は勉強や剣の稽古ばかりだった。そんな俺の中の欲望にも似た憧憬を誘われていることがおかしくて、思わず笑いが漏れる。
「ロイド元帥さ~ん。お迎えに来ましたよ~て‥‥はっ!!」
口笛を吹きながら入ってきた男は、向かい合わせで抱きしめ合う俺たちを見て文字通り固まっている。
「‥‥ロメオ。遅いぞ」
「今見たのは幻なので。えぇ。陛下にも言わないし王妃にも言わないし何なら俺の海馬から抹消したんで何の問題もないです。はいっ!記憶消去完了しましたぁ!!お楽しみのところすいませんでした出直してきます!!」
「ここの支払いを済ませたいから主人を呼べ。あと馬車の手配とガルディア国までの御者を用意しろ」
「ガルディア国?もう夜っすよ?それに陛下たちを置いて元帥がいなくなったら‥‥」
「俺じゃない。この女が乗る」
俺の言葉に瞠目したロメオは状況が察知できたのか、小指を立てつつにやにやと笑いながら俺に近づいてくる。
「‥‥元帥のコレっすか?」
「‥‥おまえの想像するコレでもアレでもない。10万ルミナと俺の麻袋から金の時計を出してこの女に渡せ。道中で死なれても困る」
「あー‥‥女!名前は?」
「リンク‥‥です」
「主人を呼んで来い。お前を身上げしてくれる旦那がいると伝えろ。それから自分の荷物をまとめてここへ戻ってこい」
「っはぁい!」
女は嬉しそうに小走りで部屋を後にする。その姿を目で追っている俺を隣で相変わらずにやにやと見やる男を凝視してやった。
「‥‥すいませんでしたって。警備が厳重ですぐ来れなかったんですって」
「ウェルギリウスは?」
「ロイド殿下に言われた通りお連れしましたよ。今はパレス近くの精霊や自然の観察をされています」
「リヒター・ウルフレッドは?」
「相変わらず耄碌じじぃっぷりっすね~。昼も夜も関係なく徘徊してます」
「この国の理は彼が敷いているはずだ。ミュゲ国内で暴動や混乱も起きていないところを見ると、徘徊ではなくなにかを探している可能性もある。引き続き監視しろ」
「ご随意に!」
「兄上と姉上はいまどこに?」
「市民の酒場でイルシュタイト殿下と会食中です」
「わかった。ここが終わり次第、俺も合流すると伝えろ」
「御意!そういえば、軍の視察はどうでした?面白いもん見つかりました?」
「この国が平和ボケしてることがわかった」
「‥‥収穫なしってことっすね~」
「軍の上層部が顔を出さないってことはそういうことだ。まだ軍事的な話をするつもりはないんだろう」
目の前に置いてある銘柄もわからないワインを手に取り、グラスに注いでロメオに差し出す。
嬉しそうに受け取って一気に飲み干すのを見送った後、二杯目を注ぎ入れた。
「リヒターはこの国の大賢者だ。ミュゲ国の魔力の中枢であるパレスが未曽有の危機だというのに彼が何も興さない意味は必ずある。必要であればフォースタスにも伝令を。意見を仰ぎたい」
「それが~‥‥フォースタス様、もうミュゲにいるっぽいんですよね」
「‥‥また無断外出か」
「いや、公用っぽいですよ。貴族院に出していた要項には魔力石の仕入れって書いてあるんで」
「魔力石?魔法を閉じ込めて人間や魔力がない者に使わせるあの石をか?一体何のために」
「さぁ?でもまぁ、なんかあったらすぐに呼びに行けるからラッキーっすよ」
ふいに開けられたドアの向こう側から異様な魔力を感じた俺はその扉を開けた主を凝視する。
現われたのは、一目見ただけでわかるほどの威光を放つ軍人だった。
「こんばんは。ロイド・ハイム元帥様」
いかにも女が好きそうな優しい声音で俺の名前をフルネームで呼んだ。肩まである銀髪に薄いグレーの瞳の色男の腰元にはサーベルが携えられ、その身なりはミュゲ国の象徴であるブルーと白の鮮やかな軍服で誂えている。こつこつと高い音を立てながらこちらに歩きつつ、胸元が乱れた姿の俺を上から下まで眺めまわしたあと緩やかに口角を上げた。
「レオポルド・アラリック。レガリア軍元帥をしております」
「ロイド・ハイムだ。先ほどはこの国の騎士たちから丁重な扱いを受けて、大変愉快な時間を過ごさせてもらった」
「それはよかった。皆は別室に?」
「みたいだな。事が終わり次第来るのではないですか?」
「そうですか‥‥ところで、誰と話をしていたのですか?」
ニコニコとした張り付いた笑顔に薄目に開けられた目の奥はひどく平淡だ。元帥、と呼ばれるだけのことはある。扉が開かれた瞬間ロメオは姿を消したためこの男からすれば俺はさながら独り言をつぶやき続けていたおかしな男に見えている。
だが、男の目線は先ほどまでロメオが持っていたグラスに向かっていて、わずかに啜られた後のワインの液体が揺れているのを凝視していた。
「この女と話をしていたんですよ」
気配を察知していた俺は、後ろに佇んでいた先ほどの女を呼び寄せる。荷物をまとめ身なりを整えた女が俺の服裾を掴んだところを抱き寄せて見せると、レオポルドの眉間が歪んだ。
「リーガル国の王子は眉目秀麗と聞いて居ましたが。なるほど。そういう嗜好をお持ちでしたか」
「えぇ。そういうことなので。わたしはここで失礼させていただきます」
「せっかくミュゲに来ていただいたのに、娼館しかご案内できず申し訳ございませんでした」
「とんでもない。色々国内は大変そうで。元帥として心中お察し申し上げます」
「明日開催のデビュタント警備が大詰めでして。ロイド元帥もご出席に?」
「はい。兄と姉上と出席させていただきます」
「では、また明晩」
綺麗なお辞儀をした後レオポルドは奥の部屋に入っていった。
この国の元帥の勝手なイメージは、純粋無垢で虫も殺さない貴公子だったが180度違う男が現れてくれたことに勝手に口角が上がってしまう。
入れ替わる様に娼館の主人がやってきて事の次第の説明を求めてきた。対応しつつ女の借金額の二倍の金を支払ってやると、目を輝かせて女を俺に押し付け「ありがとうございました」と頭を下げた。
「ロイド殿下~馬車こっちっす!」
娼館を出るとロメオが手こまねく。その先には立派な馬と御者が既に用意されていた。
「相変わらず仕事だけは早いな」
「早く乗せちゃってください!またさっきの軍人が来る前に!」
ロメオは女を馬車に乗せ荷物を詰め込んだ。小窓から俺の顔を窺う女の顔は、涙でべしゃべしゃに濡れていて俺は思わず笑ってしまう。
「泣くな。笑って国を出ろ。そして祖国で笑っていてくれ。心から」
「うぅ‥‥あり‥‥がとぉ!王子様ぁ!」
「あぁ。またな」
御者に目配せして合図をすると馬車は一気に走りだし、女は落ち着かない様子だったがやがて安堵したように穏やかな笑みでこちらを見ていた。
遠くなる馬車は国の関所である門を通りぬけ、小さな黒点となり、やがて消えていく。
「あの女を看視し、ガルディア国の間者として育てろ。謀反を起こす兆候があれば殺していい」
自分の部下に命令を下すときと同じく、異見すら封じ込めるような俺の雰囲気にロメオが笑みを浮かべる。
「りょーかいっす」




