緑の誓いと入国
王族の人間しか入ることを許されない庭【緑の宮殿】に来るのは久々だ。
荘厳な雰囲気の中を薔薇の香りが濃く漂うこの空間は、外界とは隔離された神聖な場所。
無機質な廊下を歩いていると、仄かな灯りが近づいてくる。
コツコツと人らしき足音と元に現われたのは、純白の装束を身にまとったシドニーだった。ランプの灯りに照らされた金色の瞳は相変わらず不機嫌そうだ。
「冥界の匂いがぷんぷんする」
「えっ‥‥匂いますか?」
「魔力が強い者は勘付く位の匂いだ」
シドニーはついて来いと言わんばかりに踵を返して道を進む先からはリシュアとルチルの声が聞こえてくる。テーブルの上には色とりどりのお菓子の袋が積み重なりそれぞれの封はすでに開けられていて、二人はその袋の中から品評するように一粒づつを観察していた。
「リーガル国のお菓子はどれもおいしいんですね。これなんか、ユリの花の形を模したマドレーヌですよ。仄かに花の香りがして実に品が良い」
「こっちは希少な蜂風船の蜜が入っている飴細工。魔法で蝶の形にしてあって飛び回るよ」
「おぉ~!すごい!」
「おい。リリアが来たぞ」
「リリア!お久しぶりですね!見てください!リーガルのお菓子を取り揃えてみたんですが面白いものが沢山あるんですよ」
「リリアはこれがすきそう」
リシュアが差し出したのは大きなリンゴに飴がかけられた巨大りんご飴。だが、この世界のリンゴは甘いものが少ない。酸っぱかったりからかったりするものが殆どでそれを食べやすくするために飴をかけているのだろう。巨大ゆえにお腹がいっぱいになるが難点だが、魔力強化の効果もあって魔法を使う人たちには人気の果物だ。
「ありがとうございます、リシュア」
「お茶も淹れる」
そう言うとティーポットとカップをテーブルに呼びよせた。シドニーは襟元のつまりが苦しいのか、シャツの胸元を開けながら傍にあるお菓子を口に頬り込む。
「秘匿魔法を授かったんだって?」
「はい。あと、アンダーヴィレッジの神器の真名を授けていただきました」
「神と契約を交わしたとフォースタスから聞いたが、神器と秘匿魔法が契約内容に含まれているのか?」
「えぇ、そうです」
「なぜ俺たちに何も言わなかった?」
「‥‥ご迷惑かと」
シドニーの瞳が困惑に歪み伸ばされたその手がわたしの頭をわしゃわしゃと撫でる。
「俺たちを頼れ」
「でも‥‥あなたたちの矜持は今のこの国には無いでしょ?力のある魔法使いほど土地や主を選ぶと‥‥」
「リリア・ハイム。俺たちはお前の生き様に着くことを決めた」
まっすぐな瞳でシドニーが誓いを立てる様に言うと、呼応するようにリシュアとルチルが真剣な面持ちでわたしを見つめていた。
「お前がローズリー国を復権したい気持ちはわかってる。だが、時期尚早だと俺は言った。それは、お前の実力が足りないこともあったし何よりも協力者が少なすぎることが理由だった。しかし、お前は自らの魂と運命を神に差し出し、大魔法使いの資格を得た。王室貴族の一員として魔法使いとして、お前の覚悟を矜持としたい」
「わたしを‥‥矜持に?」
「ノーブルサロンで宣言した通り。あなたの為に私たちは動く。リーガルやシュライスに着きながらあなたを助けようとも思っていたんだけど、それじゃぁわたしたちらしくないかなって」
「異端は異端のまま自由にさせていただこうかと思いまして」
「何十代もの王室貴族たちが火葬され埋葬されてきた緑の宮殿の庭で誓う。俺たち王室貴族は、リリア・ハイムを全力で支持し庇護する」
清廉な声と共にシドニーが跪き、つづいてリシュアとルチルもわたしの前で膝をつく。
その様は騎士が君主に誓いを立てるときのように厳かで美しくて、気を抜くと涙がでそうでわたしはおもわずぎゅっと自分の腕をつねり上げる。
「‥‥ありがとうございます」
「あーシドニーがリリアを泣かした~」
「どう見ても感動の涙だろうが」
「さぁ、乾杯しましょう。リリアが一歩大魔法使いに近づいた記念に」
リシュアはティーカップを各々に差し出し、全員で杯を持ってカップを鳴らした。
「明朝ミュゲ国に入るんだな?」
「はい。ミュゲの神器の存在をみなさんは知っていますか?」
「ミュゲの神器は精霊王の遺した冠だ。ミュゲに土着している自然霊を統べる王エフィラは森羅万象の調和の象徴であり季節全てを見守り循環させていた。魔守り人はリヒター・ウルフレッドという大賢者兼名誉魔法使い」
シドニーのカップからはお酒の香りがした。夜が活動時間の彼にとっては、この時間が本番なのだろう。先ほどとは打って変わってにやにやと嬉しそうにつり上がる唇からお酒が吸い込まれていく。
「そんなにすごい肩書の方が魔守り人に?」
「それだけ強靭な魔力を秘めた神器なんだろう。だが最近は耄碌していて使い物にならないという話を聞いている」
「クラウスもそんなことを言っていました。なんだか様子がおかしいって」
「まずは国を見て回れ。ミュゲは秘匿が多い国だ。魔力が強い者に精霊は従う。毅然としていれば自ずと導かれるだろう」
「わかりました」
「さぁ。話しも終わったことだし呑ませてもらうぞ!」
シドニーが嬉々として叫ぶ姿を見ながらリシュアとルチルは肩をすくめる。
ロ―ズリー国を選び、守り、裏切られた人達。彼らがわたしを選んでくれたといううれしい重さは、わたしの心を軽くした。こんなにも力強い気持ちになったのは初めてかもしれない。
心の中で彼らに敬意を表しながら、飲み干したカップの中にわたしも負けじとお酒を注ぎこむ。
◇◇◇
◇◇◇
「欝蒼としすぎ。まるでジャングルだ」
馬車の小窓から見える繁茂する森林を見ながらロイドがぼやく。ミュゲの国境を越えた辺りから、垣間見える景色の変化がないことに全員が気が付き始め、各々が暇を持て余していた。
「ミュゲは自然を愛する国だからね。伐採や狩猟は極力やらないらしい」
シュライスは分厚い本を開きつつ、手持無沙汰なロイドの暇に付き合っていた。
わたしは、時折森林の隙間から見えるキラキラ飛び回る妖精の姿を見つけては何人目・・・と数を数えるということに没頭するその光景があまりにも暇そうだったのか、様子を見たロイドがこちらに目を凝らす。
無視することもできなくて視線を合わせると、なぜか深めのため息をつかれた。
「これだけ自然に守られた防壁を構えているのならば、騎士団は必要なさそうだ」
「そんなこともなさそうだよ。彼らの先祖は狩人で、民族戦争を起こしながら徐々に領地を拡大してきた。気性も武力に長けた粗暴さを持ち合わせていると聞いている。有事に牙をむかれたら、厄介な相手だと思うよ」
シュライスは自分が読んでいる本をロイドに渡し、軍の項目を指さす。
「ムエット陛下は第五十代目の国王。世襲ではなく前国王から選抜された一介の貴族だ。彼が国王になった所以は、我々と争った「水源の乱」での功績が評価されたからだと聞いた」
速読するようにページを次々とめくり、光の速さで読み飽きたロイドは窓の外を見る。
「ムエットって旧姓「リヒト」だろ?改名までして自分の犯した血塗られた所業の過去を消したつもりか。少なくともぼくの騎士道には反する」
声色をあえて低くするロイドの様子におずおずと顔を伺った。グレーの瞳が室内の薄暗さと相まって真っ黒に染まっている。その様子を見ると、二人の間に何かあったことはその場にいる全員にとって明白だった。
「彼が軍師となって束ねる戦争は確かに強かった。刃を交えた事のあるお前ならば、彼がこの先この国をどう動かしていくのか。手に取るようにわかるんじゃないのか?」
シュライスは僅かに口角上げながらロイドを見定める。その視線に目を細めた後、ロイドは吐き捨てるように息を吐く。
「興味ないね」
そう言うと腕を組んで目を瞑り狸寝入りに入ってしまった。
「見えてきたよ。バンスタイン城だ」
鮮やかなブルーと白のコントラストが美しい城は御伽噺に出てくる夢の城のように美しくて私は思わず感嘆の声を漏れる。
関所らしき場所を超えて入国すると流れる様に城内へ通された。
言われるがままに謁見の間で待つわたしたちの前に颯爽と現われたのは、王妃祝辞を述べに来たイルシュタイト王子だ。ブルーの瞳に長いまつげに肩まである銀の髪が揺れていてその貴公子ぶりはトルコブルーの軍服に映える。
「リーガル国王並びに王妃。そして第一王子。ようこそミュゲ国へ。歓迎いたします」
少しの感情も入れず社交辞令的な淡々とした口調で述べたイルシュタイト王子は、そのまま頭を垂れてお辞儀をした。
「本日は王に代わって王子のわたしがご案内役を拝命しました」
「国王は国内にご滞在なのですか?」
「はい。道中、妖精たちが森の中で忙しなく動いていたのをご覧になりましたか?今日は朝から自然力の均衡が不安定なものでパレスの調査に赴いております」
イルシュタイト王子がわたしを一瞥する。謁見の時から変わらず向けられる彼からの警戒する視線にどう返したらいいか考えていると、ロイドが察知したように「イルシュタイト殿下ぁ」とあえて大きな声でぶっきらぼうに名前を呼んだ。 呼ばれた主は、広間に響き渡る大きな声に怪訝な表情でロイドを気怠そうに見やっている。
「・・・・なにか?」
「道中、ミュゲの軍事史を読み漁り興味がわきまして。貴国の騎士団の見学をしたいのですがよろしいでしょうか」
「‥‥あぁ。あなたはリーガルの軍師殿でしたね。承知しました。案内させましょう」
「兄上とお姉さまは、ミュゲの城下をご覧になりたいのですよね?」
ロイドは二人にウインクをして見せるとシュライスが「そうなんです」と棒読みで合わせる。わたしも「そうでしたね」と焦って答えた。
イルシュタイト王子は綺麗な眉を曲げながら三人を眺め小さく息を吐く。
「ミュゲ国内ではリーガルの王は色男だと専らの噂です。まつわる魅力的な噂を本当だと信じている者が多い。あらぬ災いが起こらぬよう、身なりを変えていただけるならばご案内します」
「‥‥魅力的な噂?」
「シュライス国王に一目見つめられただけで女が失神してしまうとか。を交わしただけで妊娠してしまうとか。指に触れただけで老若男女問わず呼吸困難になるとか。‥‥諸説あります」
わたしはシュライスから距離をとる。 当の本人はどこ吹く風の様子でにこにこ佇んでいるが肯定も否定もしない様子で、ロイドもイルシュタイト王子も揶揄るように彼を見つめている。
「さぁ。イルシュタイト殿下。部屋に案内してもらえるかな?」




