忠誠と贖い
燭台の灯りが仄かに映し出す時計台の針は午後8時を指している。
アルドが言葉を発してからどれくらいの時間が経っただろうか。
沈黙が帳のように降りたまま誰も声を発せず、アルドを傍観するように見つめている。
わたしとフォースタスはアンダーヴィレッジの三大巨頭と言われる組織のボスたちの出方をただ見守るしかなくて、彼らの口火が切られるのをただ待っていた。
静寂を切ったヘドニスが「あーぁ」と大きな声で感嘆を漏らし、アルドの顔を揶揄る様に見下げた。
「アルドは神を信仰する盲従者じゃないと思ってたのに。ざ~んねん」
「陛下を差し置いてリリア王妃に忠誠を誓う?気でも狂ったか?」
ハインリッヒの懐疑の念が込められた瞳に対するようにアルドはまっすぐに彼を見据えた。
「今日、俺はカイン・アルトゥールと話をした」
その言葉に二人ともお手上げだと言わんばかりに席を立ちあがるのを見てわたしは彼らの前に立ちはだかった。その行動自体が癪に障ったのだろう。ヘドニスとハインリッヒの眉根が歪む。
「リーガル王妃の名誉にかけて宣言します。アルド・アルトゥールは嘘を申しておりません」
「‥‥ねぇ王妃様。ぼくたちがこの世で一番嫌いなものを教えてあげるよ。神と、カイン・アルトゥールだ」
「カイン・アルトゥールはアンダーヴィレッジの建国者でしょ?あなた方からしたら栄誉を与えるべき存在なのではないのですか?」
「カイン・アルトゥールと言う人間は、この国を創りながらも選民思想を捨てられなかった。自分に従順で敬虔な者だけを配下とし、リーガル国に秘かに繋がりながらこの帝国を築き上げる基礎を作った。本格的にこの国が動き出したのはアルドのおかげだけどね。単純に嫌いなんだよ。イケメンで、頭が良くて、勘が鋭く、運のいいあの糞野郎が」
「1000人の部下を従えているボスが嫉妬ですか?」
「そうだよ。嫉妬するほど憎い男がやっとこの国からいなくなったのに、死んでも尚、性善説としてあいつの名前を聞かなきゃならないなんてごめんだね」
「魔法を嫌う理由はそれか?」
逡巡したまま俯くフォースタスがふいにつぶやいた言葉にヘドニスは嫌悪の眼差しを向けた。
「カイン・アルトゥールには魔力があった為、当時のリーガル国王は彼の進言を聞き入れた。属性は混沌。本来この属性は闇属性を経て大魔法使いとなって変化するものだが、彼は先天的にこの属性を持っていたため、リーガル国内では重宝しただろうな。なにせ、秘匿魔法【リクアストラ】を扱えたのだから」
「カインさんが秘匿魔法を扱える魔法使い?」
驚いているのはわたしだけのようで、この場にいる全員がその事実を肯定するように沈黙していた。
「リクアストラは、視覚だけでなく感覚や記憶そのものから対象の悪意や悪性を秘匿する魔法だ。魔力を操る術者の精神が秩序と混沌の中間に保たれていなければ成立しない非常に高度な魔法。そして、無暗に使っていい代物ではない」
「だが、カインはその秘匿魔法を日常的に使っていた」
アルドが続けて言った言葉に全員が息を飲む。
「秘匿魔法は封印された代物だ。古代の契約に則り封印を解く方法は3つある。血の契約、強者の契約、試練の契約。どのやり方で解いたかは知る由もないが、この男はリクアストラの封印を解き、秘匿魔法を授かった」
「俺が出会ったときにはもう魔法は使える状態だった。カインはその頃から人を懐柔するのがうまかったし、シンジケートに加わる人間も増えていったように思う」
アルドの捕捉の言葉に信じられないと言った顔でボスの二人が顔を見合わせていた。
「アルドの言う通り、カインと言う男はその秘匿魔法を自在に操り人を操る妖術を編み出した。シンジケートを築くためには従順で忠実な部下が大勢必要だったんだろう」
「へぇ~。じゃぁ、人徳でもなんでもないってことじゃん。見損なったわ~」
「秘匿魔法を私欲の為に使い続けることは神によって禁忌であると判断され、その能力は命と引き換えに削られていく運命をたどる。それはわたしが大賢者となる時、この世界を創った神に教わった経験則だ」
フォースタスは世界を崩壊にまで追い込んだ過去を持つ魔法使い。人々を殺し大地を踏み荒らしたその咎を背負い、大賢者となるために生まれ変わった人だという英雄譚は、風の噂であっても全世界の生きる者たちの共通認識。彼が肯定した話に口を挟もうとする気配すらないまま、フォースタスは話し続ける。
「断言してもいい。カイン・アルトゥールは殺されたのではない。自らの魔力と命を生贄にこの国の建国に捧げて死んだのだ」
「大賢者様にはお見通しって?はっ‥‥外野は黙っててほしいね」
「殺されただろうが生贄だろうがどうでもいい。今更カインに会ったからなんだというんだ?あいつがリリア王妃に忠誠を誓えとでも言ったのか?」
「違う。だが、忠誠を誓うべき理由ができたというだけだ」
アルドは持っていたジャトの目を突き刺すように床に打ち付け、場を制した。
「彼女にジャトの目を託そうとおもう。そして、カインの秘匿魔法だったリクアストラを彼女に伝授したい。だが、そのためには紳士協定を結んでいるお前たちの許諾が必要だ」
「ここまで好き勝手に話を通しておいて、今更ながら紳士協定で律儀にお膳立て?」
「カインと約束した。この国を平等で孤独の無い国にすると。そのために必要な下準備はしておかなくてはならない」
「‥‥下準備?」
「信じられないだろうが、七年後この世界は崩壊する。未だに信用してはいないが、カインに会って話をした事実がある以上この可能性を摘むことは俺にはできない」
「つまり、世界が崩壊する前にリリア妃殿下を通して下準備をしておかないとアンダーヴィレッジはやばいってこと?」
「そうだと、俺の勘が言っている」
アルドの言葉にヘドニスとハインリッヒは各々の席に腰を下ろす。その顔には明らかな疲労と困惑の色が濃く滲んでいた。
「あのさぁ。約束してもらってもいい?リリア妃殿下」
「なんでしょうか?」
「もしこの耄碌したような会話が全部嘘だったとしたら死んでもらえる?」
「‥‥死をもって贖えと?」
「だって、そうでもしてもらわなきゃ割に合わないと思わない?この国はリーガル国の庇護下に入ってから平和を保てるようになった。それはシュライス陛下がいるからだ。ジャトの目を託されたのだってそう。いま謀反を興すのはこの国にとって得策ではない。なぜならば、あなたがリーガル国に嫁いできたおかげで、隣国中から狙われているんだ。そんな時に内部分裂など起きてみなよ?たちまち噂は世界中に広がって戦争になる。その場合、きみの命一つ取ったところで足りないくらいの人命が奪われるんだ。それならば、戦争になる前に処刑されてほしい。国を護った哀れな王妃は国民と世界の為にその命を賭したという性善説でことを治めてもらわないと。それが王族と言う人種の本来の役割だろ?」
へドニスの平淡な目は段々と細まりながら揶揄する声音も唸るように低くなっていく。
彼のいう事は最もだ。王族とは、自ら進言した策や発言が敗北に終わった場合、その命を持って償わなくてはならない。それが、権力と血筋のみで生きているわたしたち王室の人間の最期の役割だ。
彼らはこの国を築き上げるのに身も心も全て捧げ、人を葬り命を賭してきた。
その血塗られた歴史は時代と共に塗り固められ、補正された美しい道が出来上がる。
新しい命や新しい道の中には人々の生活や笑顔が生まれ、その中に潜む悪や涙を取り除きながら、彼らは人々のボスとしてこの国を守ってきた。
彼らから「普通」の日常を取り上げる権利はわたしにあるわけがないことはわかっているけれど、わたしにも譲れないものが在ることは事実だ。
わたしはヘドニスに駆け寄り、彼の前でお辞儀をする。
「わたしにはやらなくてはならないことがあります。それをやり遂げたうえで、もしこの国やあなた方に迷惑をかけるような事態になったら、その時には、この命をこの国の為に捧げます」
「だ~め。ぼくの目を見て言って?」
甘い声で諭されて顔を上げると、ヘドニスの弧を描く綺麗な瞳と目が合う。
「ぼくのために命を捧げますって言ってごらん?」
細い指にあごを釈られ促されるままに言葉呟く。
「あなたの為に命を捧げます」
「あぁ。王妃がぼくに供儀を乞うなんてね‥‥逝っちゃいそう」
恍惚とした顔でわたしを見ながらもヘドニスは険しい表情は崩さずその矛先はアルドに向かう。
「シュライス陛下はどうするんだ?」
「陛下は事の次第に勘付いている可能性が高い。だが、リリア王妃を溺愛している傾向を見ていると添う事を荒立てることは起きないと踏んでいる」
「王妃の勤めを怠らずにね~王妃様」
「わかりました」
「ハインリッヒは?ど~すんの?」
「‥‥おれは元騎士だ。務めた国の王妃がその覚悟ならば従うまで」
「ありがとうございます。ハインリッヒ」
「では、ベルベッタ家、ルーデンス家、アルトゥール家共に、彼女に力を貸すということに相違はないな?」
沈黙が肯定した後、フォースタスが進み出て彼らを見渡す。
「カイン・アルトゥールの墓を暴く。彼の墓を教えてほしい」




