ボスたちのホーム
ディミヌエンドが居なくなった後、アルドに連れていかれたのは大きな建物の前だった。
貝を模したような風変わりな屋根の下には煌々と明かりが灯っていて、一見すると劇場のように見える。
「アンダーヴィレッジ唯一のオペラハウス「テレージア」。今は人気の演目「ルーデンスの指輪」が上演されている」
「素敵。オペラが聞ける場所があるんですね」
「アンダーヴィレッジには富裕層が住む地区がある。彼ら向けの嗜好に合わせて遊戯場を作った。法外な値段だが、それに見合った舞台が上演できるよう各国から最高の演者をスカウトし定期契約を結んでいるから上質なオペラが提供できるんだ」
「では、今日はオペラを見にここへ?」
「違う。おれたちの仕事の内容を知ってほしいと思って連れてきた」
「‥‥実はオペラ歌手もやってましたとか?」
「この国にある派閥とその柵を知ってほしいんだ。アンダーヴィレッジは無法者も受け入れる。ゆえに、そいつらを躾ける受け皿が必要になるんだ。俺では始末に負えない輩も主導者が変われば手綱は引ける」
「つまり、アルド以外に長のような人が何人かいるってこと?」
「そうだ。アンダーヴィレッジを知りたいならばこいつらには会ったほうが良い。彼らと俺は紳士協定を結んでいる。お前たちが来たことは漏らさないから安心しろ」
アルドに差し伸べられた手を取りオペラハウスへと進む。
中に入るとすぐに歓声が聞こえた。上演中の公演は佳境を迎えクライマックスにさしかかっているようで、段々と大きくなるアリアの芸術的な歌声に耳を傾けながら、誰もいない劇場のロビーの「立ち入り禁止」と書かれた札を取り下げると、アルドは躊躇なくドアを開いた。
真紅のカーペットに足を踏み込むと、その室内の誂えの異様さに息をのんだ。
通路両側には丸や凹凸の古雅な鏡面がぎっしりと敷き詰められ、わたしたちの横顔を監視するように映し出している。赤と黒と金がレコラージュされたような壁面には、動物の頭のはく製が立ち並んでいて、その異様さと華美さが混在する空間に眩暈が起きた。
やがて行き止まった先に在る重厚な扉を開けると、醸造されたような室内の淀みがわたしたちの体を包み込むように流れてきて、その向こうに点在する峻厳な眼差しに晒される。
「遅参だな、アルド」
嗤いが籠った声が揶揄る。その主は、頬杖を突いたまま斜に構える様にこちらを眺め見ていた。
濃いグリーンの瞳は無邪気に弧を描きながらわたしの上から下まで品定めするように上下した後、にっこりとほほ笑んだ。
「リリア王妃様?初心そうでか~わいいね」
軽薄に言い放たれた言葉にアルドが厳しく牽制を見せると、つまらないと言った素振りで拗ねた様に椅子にもたれかかった。
「まだ15分前だろ?」
「国の主はおれたちよりも先に着席するのが決まりだ。それともアルトゥールでは、直属の臣下以外は隷下として扱うのか?主君とは甚だ結構な身分だ」
銀髪の綺麗な男性が高慢な態度で挑戦的にそう言い放ったが、彼の婉曲的な侮辱を意にも介さず、アルドは沈着な表情で椅子に座った。
「ホームでの会合は前リーガル王ご逝去以来だ。今回の招来は主君逝去よりも大毎なことと見て不足はないのかな?」
「いや。ベルベッタのシマで起きた強奪事件以来だ。‥‥耄碌したか?ヘドニス・ベルベッタ」
皮肉を込めた抑揚のないアルドの声が部屋中に響き渡る。 眉を寄せたヘドニスは張り付いたような微笑みをアルドに向けたが、彼から注がれる冷笑にも意を介さず、アルドはまっすぐに彼らへ宣言した。
「リリア・ルルーシュ妃殿下である」
その言葉と共に全員が席を立ち、こちらに向かって恭しく頭を下げた。
「今回の視察は極秘訪問だ」
「陛下と一緒じゃないんだ~?夫婦仲悪いってマジなんだね~」
「ラブラブだ」
「「・・・・はい?」」
「陛下と妃殿下は、ラブラブだと言っている」
アルドの言葉に室内にいた全員の目が点になる。普段から真面目な人が砕けるとこういう反応になるのは間違いないが、アルドのチョイスにしては可愛らしすぎて唖然となる沈黙の後、アルド以外の全員が吹き出して笑ってしまう。
「くっ‥‥ははは!!ラブラブね~!は―オモシロー!そりゃそうか!リリア王妃の事しか見てなくて、前王が用意したお見合いも全部断ってたってアルド言ってたもんねー!」
「まだ婚約して半月も経たない王妃がおひとりで国を回られるのか」
「リリア王妃の提案だ。陛下不在の未曾有の事態に備え、近隣国との関係を築いておきたいと」
「すごーい!ミュゲとかガーリシアとかよりも先にアンダーヴィレッジを訪問したの?!それって、もうこの国が帝国だってリーガルが認めたようもんじゃん!」
満面の笑みで嬉々としたまま細く長い指がわたしの手を取る。
「ぼくの名前はヘドニス・ベルベッタと言います。1000人の部下を従えるベルベッタ家のボスをしています!」
「初めまして。リリア・ハイムと申します」
「ねぇ、ぼくってすごい?」
「えっ‥‥?」
「1000人も部下がいて全員を喰わせてて、悪いやつをやっつけてるんです!」
「そうなんですね。素晴らしいと思います」
「頑張ってて偉い?」
「え、えらい‥‥ですね」
「じゃぁ、ぼくの頭を撫でて?」
警戒なく向けられる視線に折れたわたしは、彼が言うまま頭に手を乗せた。ふわふわとしたウェーブがかった髪が指をくすぐる。ネコのように目を細め嬉しそうにするヘドニスに思わず笑みがこぼれた。
「王妃様って優しいね。‥‥ハマっちゃいそう」
目を細めながらわたしを見据えるその瞳の奥に狡猾な何かが宿っているのを感じた。
反射的に強張った体で後ずさると、背後から体ごと彼から引き剝がされ大きな胸に擁される。
その腕の主はフォースタスだった。漆黒の瞳がヘドニスを凝視し、一歩でも動けば容赦はしないと投げかけているが、彼は相変わらず優しい笑みを浮かべたまま崩すことはない。
「おーおー。噂の大賢者様だ」
「あなたの穢垢に満ちた癖をリリア様に見せつけないで頂けますか?」
「過保護なおとーさんですこと」
「庇護者と言っていただけますか?」
フォースタスの引く気は無い強く低い声色にヘドニスは肩をすくめながら立ち去っていく。
彼と入れ替わりで進み出たのは、美しい所作でお辞儀をする銀髪の男性だ。
「ハインリッヒ・ルーデンス。元リーガル魔法騎士団指揮官でした。現在はシンジケートのボスをしております」
「前王の時代まで一世を風靡していた、あの騎士団にいらっしゃったのですか?」
リーガル国は元々騎士の国で、魔法は後から加わった歴史だと言っていいほど騎士道を重んじている国であり、魔法と騎士の精神は相反するとされていた。だが、シュライスの父上である第49代国王の代から結成された魔法騎士団は、魔法を扱える騎士のみで結成された対魔法に特化した騎士団で、その強さは他国に類を見ない威容を誇っている。騎士団総長、副総長、軍事指揮官と連なる組織の中でも、軍事の中枢である指揮官がなぜこんなところにいるのだろうか。
「総長はお元気ですか?」
「‥‥申し訳ありません。まだ、魔法騎士団の方々と会ったことがなくて」
「そうでしたか。いずれ陛下から告げられるでしょうが、魔法騎士団の総長は、ミカエル・オクタヴィアン様と言う方で‥‥」
「‥‥ソレイユ軍の副幕僚長の?」
「彼をご存じでしたか」
「はい‥‥一度お目にかかったことがございます」
金色の髪に優しい声色が蘇る。些細なほどの違和感を感じた彼が騎士団総長だと言われると妙に納得ができた。
「彼は幕僚長をこなしながら騎士団総長も兼任する彼は国の面目躍如です」
「彼とは親しかったのですか?」
「魔法学校の級友です」
「ならば、貴方は魔法が使えるのでは?」
「‥‥いいえ。前王亡き後、原因不明の病により魔力を失いました」
「‥‥魔力を失った?」
以前学校で習ったことはあった。精神的に衰弱すると一時的に魔力が弱まったり魔法が使えなかったりする。しかも、それは治らないこともあるが数千人に1人の確立だろうと習った記憶はある。
でもいざ目の前にその症例がある人を見てしまうと、同情や哀憐よりも先に彼がまっすぐにその事実を受け止めていることに驚きが勝ってしまった。
瞠目したままのわたしを、ハインリッヒは優しさを湛えた笑顔で返す。
「魔力が失われたという事は、魔法使いとしての役目は全うしたのだと思います」
「そうでしょうか。魔法騎士団に選ばれる魔法使いは高潔な人格者であると同時に、卓越した魔法の才がある者しか成ることができないと聞いたことがあります。そんな方から魔力が奪われるなんて。‥‥神様は意地悪です」
「ふっ‥‥。意地悪、ときたか」
嘲笑うように吐き捨てたあと、彼はフォースタスに視線を移した。
「お宅のお嬢様はずいぶん過保護に育てられたようだな」
「わたしが手塩にかけて教育いたしましたので」
「砂糖の間違いじゃないか?」
「世の酸いを味わう事だけが経験則とは限らない。ましてや、王族に生まれたリリア様にはあなた方のような塵濁を啜るような知見は必要ない」
「そうですか‥‥だが、この国にはその塵芥共の巣窟です。王妃様には少々刺激が強いのでは?」
「わたしの目が黒い内はこの世が全て地獄と化したとしても、彼女の目に映るすべての情景を花畑変え、心を脅かす芽はすべて摘ませていただく。例えそれが、わたしの命と引き換えになったとしても」
「なるほど。そうきたか‥‥」
「そこまでだ。ハインリッヒ」
アルドの一声にハインリッヒは頭を下げ自分の席へ戻っていく。彼の言葉を区切りとしたのか、気を見計らったように扉が開けられた。
「お飲み物でぇーっす」
黒髪の秀麗な男が、シャンパンボトルと人数分のグラスを並べ始める。
重量を感じさせるトレーを軽々片手で持ちつつ、小皿に入ったツマミらしきものを各々に配っていく。
「ロメオ。ノックくらいしろ」
「お生憎様。給仕はおれの専門外なもんでね」
口を尖らせ不満を漏らしつつも、わたしたちの間合いに注意を払いながらシャンパンを手際よくグラスに注ぎ入れる。その所作はプロのそれだったが、それよりも気になった仕方ないのは彼の名前だ。
ロメオと言う名前を聞いたのはこれが初めてではない。たしか‥‥「ロメオって‥‥」
わたしの声に、彼は驚きながら振り返る。
「は‥‥はい」
「あなた、ロメオさん?」
「えーっと。おれのことをご存じで?」
「我が国の国民からあなたの名前を聞きました。わたしの弟の名前がロメオだと聞かれました」
「え?えーっと‥‥人違いじゃ?」
「ローズリー国の捕虜に、わたしの話をしましたよね?」
「‥‥しました」
「なんでそんなことしたんですか」
「‥‥なんとなく。面白そうだなぁ‥‥みたいな?」
「なんで弟設定なんですか?」
「‥‥ノリっす」
「ノリって‥‥」
「俺がそう言えと言った」
わたしたちの会話を寡黙に聞いて居たアルドからの言葉に思わず息を飲む。
「ロメオ・バルタザール。元盗賊の頭だ。機の見計らい、無暗に意識に残さない所作。それらを見積り、アンダーヴィレッジのボスを前にしても動じず軽口が許される人柄を買っておれが諜報員として躾けた」
「ということは、彼はあなたの差し金?」
「ロメオが彼らにあなたの安否を伝えて居なければ、今頃国内では暴動が起きていた。それほどまでに、リリア様の名前は彼らの生きる依り代となっている。あなたはそれを知る術さえ持ち合わせていなかったはずだ」
「‥‥そうですね。謀反を働く人が多かったのは事実です」
「まぁ、そうっすね。結構限界きてたっぽくて、みんなリリア様が死んでいたら陛下をぜったいに殺してやるとか躍起になってたし。俺が居なかったらどうなってたかった感じはありますね」
「‥‥ありがとう」
「へ?」
「わたしの代わりにいろいろしてくれたのなら、ありがとう‥‥って」
紫の瞳が愉快そうな様子で孤を描いた。ロメオはお盆を持ったまま膝をつき頭を下げる。
「身に余る光栄です、妃殿下」
「何かお礼をしなければ‥‥ほしいものはありますか?お酒でも金貨でも‥‥」
「酒!!酒ください!たっっっかいやつ!」
「お‥‥お酒?たっかいお酒でいいんですか?」
「はい!」
「わ‥‥かりました。では、帰ってから手配しますね」
「やったぁぁぁ!!!」
飛び跳ねて歓びを見せるロメオに、ボスと呼ばれる面々はため息を漏らしていたが、この重苦しい空間において彼の存在はもはや癒しに近くなっていて思わず顔が綻んでしまう。
「ロメオが気に入ったのなら好きなように使ってくれて構わない。諜報員としても密偵としても暗殺者としても入用なら借す」
「いつでもお呼びくださいっ!」
アルドに言われ胸ポケットから名刺を取り出す。そこには彼の名前と、謎の数字で暗号らしきものが書かれていた。
「3・3・3‥‥って?」
「た・す・け・て!だ!魔法でも何でも、この数字の数だけ音を鳴らしてくれればどこへでも飛んでいきます!」
悪戯っぽく片目を瞬きその場を後にするロメオを、ヘドニスとハインリッヒは恣意深げに見送る。
「ロメオをリーガル国の王妃と共有するなんて。どういう了見だ?アルド」
「俺は、リリア妃殿下に忠誠を尽くしこの命を賭すことを誓う」
「‥‥は?」
「その証左としておまえたちからの承認を得たい」
「貴様、何を言い出している?」
――――おまえは一体何を吹き込んだんだ?という訝し気な視線がわたしに向けられるが、アルドは庇うように大きな声で宣言する。
「俺は今日、神に会った!」




