平和な朝食と軍師(エンツォサイド)
ぼくの朝は、赤い屋根の小さなカフェでの一杯から始まる。
たっぷりのミルクを蓄えたカプチーノに、ぼく好みのふわふわのスチーム。
その上にシナモンをかけてもらう。香ばしいクロワッサン、小さいショコラがお供だ。
今日はアルドと共にリリア王妃を迎えに行く運転手役を仰せつかったおかげで遅い朝食になってしまったが、相変わらず完璧な朝の光景を前に、ぼくは満足した心持でゆるく口角を上げる。
店員の女の子がそばを通ったのを何気なく観察したら、いつもと違う印象が感じ取れた。
ぼくの勘が、彼女に声をかけろと言っている。従うように女の子にしか聞かせないよそ行きの声で彼女を呼び止めた。
「ミーア。今日のきみはとびきり綺麗だね。何かいいことでもあった?」
女性が好きそうな優しく穏やかな声色を意識し、すこし芝居がかった口調で話しかけてあげると、彼女は頬を赤らめる。
「またぁ~うまいんだから、エンツォは!」
「本当にそう思ったんだよ。彼氏でもできた?」
「わかる?!わたし昨日、ルルミアの泉で告白されたの~!」
嬉々として彼女が話すルルミアの泉は、アンダーヴィレッジの中で唯一の聖域と言われる場所「シンの墓」周辺で自然発生的に沸き出している。
その泉の前で結ばれた恋人は生涯苦労なく幸せでいられるという迷信がある。
シンの墓に眠る古の王シンフレスカは、生涯一人の女性だけを愛しつづけ、その命を賭して愛する人を守ってこの地で死んだという英雄。
アンダーヴィレッジを開国する前、この地を調べ上げたカインが教えてくれた史実だ。
彼の一途で真摯な姿勢は後世の今もなお女性たちの想像を掻き立て、いつの間にか聖地を生んだ。
「おめでとうミーア。神様からの贈り物だね」
迷信や占いごとは信じない質なのを綺麗に隠して、ぼくは笑顔で彼女を祝福した。
ミーアの嬉しそうな顔を見ていると、女性は恋をすると綺麗になるというのは本当なんだと実感する。
「エンツォ。手放しには喜べないんだなぁ~これが」
不服そうな顔でぼやくようにつぶやいたのは、この店の店長のルイスだった。
リーガル国から流れてきた孤児で、数年前までぼくの部下として働いていたが、キッチンでの見事な料理の腕を買い、ぼくが経営しているこのカフェで働いてもらっている。
「ルイス。焼きもちはみっともないよ?」
「ちがうよエンツォ。こいつの男、ベルベッタ一家なんだって」
ルイスの言葉に、ぼくの眉根が反射的にぴくりと反応してしまう。
同業者か。厄介だな。 内心に湧く忌まわしさを押し殺し、顔には微笑みを磔にして、咎めるよりも諭すようにと言い聞かせながら彼女に話しかける。
「ミーアの好みが危ない男だったなんて意外だな。危険な男がお好みなら、なんでぼくに声をかけてくれないの?嫉妬してしまうなぁ」
ミーアは気まずそうな顔で自分の複雑な感情を整理しているのか、一人で百面相をしていた。
ぼくは常に穏やかさを忘れない。感情の起伏や落差をつける時間は人生の無駄だと思うからだ。
返事を返さないミーアに対して優しい格好は崩さずに、頬杖をしながら眺めて待つ。
今日も日差しは暖かくて、カフェは平穏で、ぼくの遅い朝は完ぺきだ。
この平和を邪魔するであろうサプライズの芽は、早めに潰すと言うだけのこと。 待とうじゃないか。時間はたっぷりある。
一滴ずつ滴るように過ぎる静寂の中、ミーアは落ち着きを取り戻した唇を解き始める。
「ベルベッタ家の人だったの・・・・」
「どこで出会ったの?」
「いつも行く花屋があって、店に飾る花を選んでいたときに出会ったの」
「素敵な出会いだね」
「そうなの。夢みたいな出会いだったのよ。バラの花をくれてね、告白してくれたの」
「そんな素敵な彼氏の名前を聞いてもいい?」
「レオよ!」
名前を聞いた途端、こめかみが勝手に動くのを感じた。
ベルベッタ家2番手、レオ・ベルベッタ。通称、遊び人。
組織間で彼を厭う者は多い。なぜなら、女の始末が負えないからだ。
ぼくと同い年で、この国では抱いた女の数の方が少ないと噂されるほどの手癖の悪さと、処するときの残忍な手口、そして手の速さにぼくは一生勝てないだろう。
ミーアは赤ん坊のときに船着き場で捨てられていた孤児だ。
当時ボスだったカインは子供が好きだった。例外なく彼女を見つけたときも躊躇いなく拾ってきて、ぼくたちと一緒に育てた。ミーアはぼくたちの妹のような存在。
組織の女として飼うことも慰み者にすることも許さず、カインは彼女を学校に通わせ教養を付けて育てた。
ミーアにはいつか「普通」の人間として太陽の下で暮らしてほしい。そのカインの願いをぼくたちは尊重した。
他人には情を入れ込まない主義のぼくだけど、ミーアに関しては一家の人間として責務がまだ残っていると思っている。レオの出方次第では遊びでは済まされないとナンバー2の勘が判断した。
「彼はお勧めできないなぁ。知っているだろう?レオの女癖の悪さを」
「えぇ。でも、ただの噂でしょう?だって、毎日彼は決まって夕暮れにわたしに花をくれるのよ。危険をかいくぐってまでわたしに会いに来てくれるの」
はにかんだような笑顔で嬉しそうに語る彼女の顔は女そのものだ。
もう手遅れかもしれないけれど、ぼくには言う義務がある。
そう心の中で決めるとニーアの瞳を厳しく諫めるように見た。
「レオはだめだよ、ミーア」
ぼくから温和さがかき消えた組織のナンバー2の顔になったことが分かると、彼女は体をこわばらせ、絶望の波にのまれたように目から光を失っていく。
カインが調教しておけばよかったんだ。 女性はすぐ感情で動く。起伏も激しいし、人を見かけで判断する。 男の腹の中の具合や魂胆には目を向けようとせず、甘い言葉とマスクから夢見がちに「王子様」が自分にもやって来たのだとすっかり信用してしまう。
この国の男たちはその手がどれほど血と欺瞞で汚れていても、平気で女に甘い言葉を囁けるというのに。
彼女の心はレオに完全に寄っている。これを引き剝がすのは一苦労だろうな。
内心泥濘の様な煩わしさを覚えながら、今にも泣きそうなミーアの頬をあやす様に撫でる。
「レオとはいつ会う予定なの?」
「今日の夕方、花屋の前で・・・・」
「ぼくといっしょに最後のお別れを言いに行こう。行けるね?」
ぼくからの引き下がるつもりのない詰問に、彼女は涙をぽろぽろとこぼしながら頷いてくれた。
損な役回りの二番手の勤めはこんなときにも適用される。
感じても無駄な理不尽さを感じながら、冷めきったカプチーノを飲み干した。
アンダーヴィレッジの花屋は3軒しかない。
アルトゥール、ルーデンス、ベルベッタの一家の屋敷がある場所から均等に割り当て、それぞれの地区には必要な商店が立ち並んでいる。
組織を支持している者たちがそれぞれの地区に住民として住み着いているため、資源の略奪や抗争が簡単に起きないようにと、アルドの代から各組織の町ごとに関所を設け区分した。
不平等が起きないよう食料や資源、生活に必要なライフラインなどは一括してアルトゥールが管理し、3つの区画へ配分している。
三つの区間は不可侵条約を結んでおり、適切な理由がない場合はたとえ住民でもお互いの区域を勝手に行き来することは許されない。
お互いの領域を超えた時点で条約不履行とされ、厳しい処罰を受けることになる。
掟と理が敷かれているのに、アルトゥールとベルベッタの人間が出会う。
そんな偶然はこの国では存在しない。 ならば、一体どうやって?
ぼくのカフェからほど遠くない場所にあるトリアノンという花屋にたどり着くと、見慣れた景色の中から異質なオーラを放つ男の姿を見つけ、眉を顰める。
精悍な体つきを包み込む黒い光沢を帯びたスーツに粗目素材の革靴。黒革のボルサリーノをかぶり、首から真紅のストールを流すその姿は麗らかな昼間の陽光は似合わない。特に、このアルトゥールの管轄内では。
彼の姿を見た途端、背後にいたミーアから小さく息が漏れる声が聞こえた。
彼女の体が飛び出して行かないようぼくがちらりと彼女を一瞥すると、揺れる瞳で彼への愛情を訴えているのが見て取れる。
追い打ちをかける様に、男は甘い声でこちらに囁きかけた。
「待っていたよ。ミーア」




