ルーデンスとベルベッタ
「それで?お前は俺の許可なくアンダーヴィレッジの君主の屋敷に無意味な宣戦布告をした上、ホームでの会合という至極生産性のない約束を取り付けてきてくれたというわけだな?」
レオは目の前に悠々と佇む男に慄きながら胸元にじんわりと嫌な汗をかいていた。
クリスタルでできた間接照明が点在しているのみで室内は仄暗い。
豪華な文机の前に佇み、憮然とした態度で男を見定める細面で彫刻のように整われた顔に、腰まである癖のない長いシルバーグレーの髪、深海を模したような瑠璃色の瞳が怯え震える男をきつく射貫くように見つめている。
身を包む黒のスーツの上からでもわかる鍛え上げられた筋肉質な体は、彼の真の力を知っている者ならば数多の歴戦を思い起こさせ、震えあがるだろう。
瞳が収斂し怒りで一層表情がつり上がる刹那、彼はレオの顔を平手打ちで殴りつけた。
「っ‥‥」
床に叩きつけられ転がるレオの体を、怨嗟で歪まれた顔で見下げながらピカピカに磨き上げられたエナメルの靴でじりじりと踏みつける。
「阿保はどこまでも阿保だというが、かこつけて馬鹿が加わると始末に負えない。アンダーという肩書がありながら、一家の看板に泥を塗っても本当の屑とは羞恥心すら感じないのか?なぁ、レオ?」
「すまなかった・・・・ ハインリッヒ」
縋るような声で男の名前を呼ぶが、瑠璃色の瞳は濃さを増すばかりで赦しの色は見えない。
ルーデンスと呼ばれた男はレオの顔を自分に向かせると、凄みを湛えた形相で睨みつけた。
「ルーデンス家はあいつらと紳士協定結んでいる。第三条に【むやみな仕置きと殺しはしない】とある。なぁレオ。お前を殺さないおれは敬虔な紳士だとおもうか?」
奥歯をがたがたさせて瞳孔が開き切った瞳を絶え間なく動かしながらも、レオは意を決したように叫んだ。
「し・・・・紳士だ!アンダーヴィレッジの真の紳士だよ!」
語尾が上ずりおびえ切った声で叫ぶレオの顔をルーデンスは満足げに嗤うと、彼を投げるように解放した。
「気が変わらないうちに失せろ」
バタバタと音を立てて室内から出て行くレオを横目に、文机の二段目から紋章が刻印されたカフスブタンを取り出し、慣れた手つきで袖口に通す。
花瓶から綺麗に棘が取り除かれたバラの花をつまみ取り、光沢のあるスーツの胸ポケットに差し込む。
小さく息を吐くと、天井に向かって視線を動かした。
「玄関から入れ。マローダー」
シャンデリアのある位置に向かって名前を呼んだ瞬間、ネズミが転がるように蠢く音が響く。
暫くすると、天井の四隅の1枚が蝶番によって扉のように開かれ、その中からマローダーが転がり落ちる。
その光景にすこしも驚くことなく、ハインリッヒは傍にあった琥珀色の酒に手をかけ、素早く2杯分を用意した。
「相変わらず勘が鋭い方だ。少しも面白みがありませんねぇ」
マローダーは拗ねた様な口調でよろよろと立ちあがると、近くに会ったソファによろけるように倒れ込む。
「ヘルヘイムの儀が行われると、アンダーヴィレッジに流布したのはおまえか?」
ルーデンスは獲物を狙う猫の目のように瞳孔を絞りながら射貫くようにマローダーを見る。
その様子に興味深そうに唸り不敵に口角をあげると、マローダーは飛び起きて彼の眼前に赴いた。
「この国の皆さんは戯れがお好きでしょう?戦いとは人生において、果ては世界においても最高の戯曲。今回の戦いは、長編且つ壮大な交響曲になりますから、序章は平凡且つありきたりな入りがいいかなとおもいまして」
「戦争でも始まるのか?」
マローダーは文机の四隅に座り琥珀色の酒で喉を潤したあと、にやりと笑う。
「理が替わると歴史が動きます。1、リーガル国内の混乱。2、理の返還によって偏った法権への信頼の揺らぎ。3、リーガルとローズリーの矜持が整合性が合わず起きる秩序の一貫性の欠落。4、新王制や理の返還への国民らからの抵抗。これらを乗り越え各国の王は面目躍如の体裁を作り上げてきました。この間に、民間は生まれ変わり新しい組織が台頭、しのぎを削りながら生き残る。ここで起きるのは単純な戦争ではなく、もはや宗教戦争に近い。力関係が入れ替わり、世界がリスタートする。この一大イベントに乗らない手はないでしょう?」
「リスクがあることを分かっているうえで、シュライス陛下はその儀を提案されたのか?」
「彼の一存ではありません・・・・。おっと・・・・わたくしはシュライス陛下にお使いする身。これ以上は」
それ以上は閉口を決め込むと訴えるマローダーの目が、蛇のようにぬらぬらと光りだしたのを見たルーデンスは、狡猾な目の奥を見定めながらコートを羽織る。
「おまえからの資金援助には感謝している。だが、つぎからは玄関から入ってくれ。おれの虫の居所次第では、おまえを刺し殺してしまう」
「シンジケート組織には敵も味方もないとはよく言いますが、金が絡んでもその性は見境なく働いてしまうのですねぇ、本能とは怖いものだ」
喉を鳴らした独特の笑い声が室内に響き渡り、ルーデンスはいも言われぬ不気味さを感じたが、ボルサリーノを被り皮の手袋に指を通す頃には、マローダーに冷淡な目線で無言のメッセージを送っていた。
その視線をかわす様に扉の向こう側に控えていた部下に連れられ、マローダーは去っていく。
「どいつもこいつも腐りやがって」
自分にしか聞こえない程小さな声で吐き捨てるようにつぶやくと、ルーデンスは足早に部屋を出た。
◇◇◇◇
◇◇◇◇
「助けてくれ!たのむ!」
薄暮時、草木が休息に身を委ねようと鎮まる中、この静謐な空間に似つかわしくない濁声が闇を劈く。
鉄材の擦動音と悲鳴の声とともに、鋭利なものを床へ戯弄しながら擦る音が響き渡り、仕立ての良い光沢がかった焦げ茶の革靴が、緩いリズムで貧乏ゆすりを立て続けていた。
「なんでぼくがきみを助けなきゃならないの?何のメリットもないのに」
精悍な顔と濃いグリーンの瞳を泣き叫ぶ男に向けながら、ウェーブがかった黒髪を指で遊ばせ、片手に携えたい刃物を手持無沙汰な手つきで床を擦り上げながら、ネコが啼くような甘い声で発問する。
「アルトゥール家の女に手を出したのは悪かった!だけど、おまえのためでもあったんだヘドニス!最近は貿易でも幅を利かせていて、リーガル国と密通して偏在的な条約に持ち込んだりしてやりたい放題だろ?このままじゃおれたちのシマの上りが少なくなる!」
「それで、女をネタに彼らに強請を働いたって?ぼくのために?」
「そうだよ!」
「へー。ぼくのためにやったのなら仕方ないねぇ。よくやった、偉いね~レオ。ご褒美だ」
冷たい石畳の上で服を引き裂かれたまま羽交い絞めにされた男に笑顔を送ると、長い脚をしならせ顔面に思い切り蹴りを捻じ込む。
「かっ‥‥はぁ‥‥っ」
鈍い軋裂音と共に男の歯が床に零れ落ち、鮮血がぽつぽつと無機質なグレーの床を紅に染める。
「他組織の領域に入って生きて帰ったものはいない。アルトゥールがなぜおまえを生きて返したかわかるか?」
鮮血に染まった男の顎を強引に持ち畏敬の念がこもったグリーンの目で男に詰問する。
切れた唇をパクパクと動かしながら男は喉奥から声を出す。
「おれを、おまえに、殺させるため・・・・?」
「ぶっぶー。きみにはまだ生きる価値があるってことさ。よかったね。三下♪」
「そ‥‥そうなの‥‥か?」
血だらけの顔で男が嬉しそうに微笑むのを見送るように眺めると、彼はもっていた刃物で彼の目を躊躇なく突き刺した。
「―――っ・・・・ぎゃゃあああああああああ」
断末魔のような叫びが響き渡り男の声が金切り声の様な声音に変わった瞬間、刃物を引き抜き胸元のハンカチーフで刃先の血を拭う。
「応急処置でいい。仕置き室に数日置いておけ」
扉近くに居た部下に冷気を帯びた白い目で感情なく指示を出すと、彼は外へ出た。
夕日が落ち、気温が下がったアンダーヴィレッジの寒さは格別に堪える。
部下の一人が急ぎ足で持ってきた黒のカシミアのコートを着こみ、目の前でドアを開けて車に乗り込む。
「ふぁ~」
緊張が解かれ虚脱の声をあげて座席に沈み込む。
彼の視線の先には、静寂と共に重厚な革張りが施された本をめくる男と、忙しなく捲られる本の紙を擦る音が耳に入るが、気にすることなく運転席に目を配る。
「ホームまで行け。迎えはきっかり90分後」
「畏まりました」
車が発車し緩やかな揺れに身を任せながら、グリーンの瞳を閉じて心からの深いため息をつく。
「仕置きは会合の後でよかったんじゃないか?ヘドニス。鉄の匂いがスーツに付いているぞ」
明らかに不敬だと言いたげな面持ちで首をもたげる男が、ヘドニスをきつく見定め、読んでいた本を閉じる。
「彼らはボスだよ?隠しても勘づかれるさ」
「アルトゥールの女とは、エンツォ・アルトゥールのシマの喫茶店の女か?」
「あの子はカイン・アルトゥールが拾った孤児だからね。その辺の流浪児とはわけが違う。あんな女に手を出したことが知れれば殺されちゃうよ」
「俺たちの調教の甘さ、締め付けのゆるさ、組織の士気の低さ。前々からの山積をおまえが放蕩三昧を辞めずに見過ごしたつけが回ったんだ」
「放蕩って‥‥ちょっと女のコの家に滞在していただけだろ?」
「おまえのちょっとは数か月。おまえの少しは1年だ。そろそろ身のほどをわきまえて組織の規範になれ」
「もーいいってぇー。アルトゥールに勝てるわけないよぉぉぉ」
駄々をこねるヘドニスの顔を見ながら不快だと言わんばかりに眉間に皺をよせる。
「そんな顔するならおまえが指揮をとればいいだろ?ナンバー2なんだから」
「俺のやるべきタスクは決まっている。おまえを肯定し、おまえを庇い、おまえを後方支援する。それ以外は踏み込まない。そういう約束だろ」
「そうでしたぁ~すいませんでしたぁ~」
説教を聞きつつヘドニスは口を尖らせ本格的な拗ねに入ったとほぼ同時に車の揺れが緩やかに制止する。
運転手がドアを開けると、凍てつくような冷気が車内に忍ぶように入りこみ二人は思わず身震いした。
ヘドニスは、放たれたドアの向こう側に伸びたオペラ劇場へと続く長い道を、ぼーっとした空虚な目で見つめている。
「ねぇ、ランティス。ぼくもうここで死んでもいい?」
「駄々をこねるな。ただ会合に行きたくないだけで死体が増えられたら迷惑だ」
何時もの戯言。言葉遊びだと思い軽口で返したが、沈黙が嫌いなヘドニスが返事を言い詰まる様子に、読んでいた本を閉じて興味深げに彼を見る。
「悪いやつをいくら殺してもちっとも愛されない。ぼくたちはこの国の為に手を汚してきたっていうのに、みんなそれが当たり前みたいな顔をして平気な顔でぼくたちに唾を吐く。これって、明日も明後日も来年も再来年も続いていくってことだろ?」
「この国が建国してまだ100年にも満たないんだ。無理もない」
「あー死にたい!この年になって年下のイケメンボスから説教されるこの人生おわらせた~い!」
大きな声で叫び倒したヘドニスは勢いよく車を降りた。
「おい、ヘドニス。リーガル国のリリア王妃とそのお目付け役が入国したと部下から報告があったぞ」
「アルトゥールが目的だろ?どうせ」
「そのアルトゥールが、リリア王妃と大賢者を連れてここに向かっている」
場の空気を一清するように告げられ、ヘドニスはあからさまに顔をゆがめながら、盛大なため息をつく。
「まじかー。王妃様とか緊張するー。何話そうかなぁ。彼氏いますか~?とか?好きな食べ物は何ですか~?とかから始めたほうがいいよね?」
「お目付け役に殺されるぞ」
「そっかそっかぁ~」
ヘドニスは背中越しにでもわかるほど肩を揺らして笑いをこらえていた。
いつもの癇癪か、それとも妄想の中で遊んでいるのだろうとランティスは気にせず本に目を落とす。
「ぼくはヘドニス・ベルベッタだよね?ランティス」
意味ありげに低くなった声が気になったランティスは、窺うように彼を一瞥する。
「そうだと記憶しているが?」
「ぼくは商人としてこの町に流れてきて部下1000人を超えるベルベッタ家という組織に作り上げた。それってすごいことだよね?」
「あぁ。多分な」
「ぼくはすごい。だから褒めてもらわなくちゃ。王妃様に」
定められたように続く道を歩いて行くヘドニスの後姿をランティスは奇妙に縺れ合う感情に胸を浸らせながら見つめた。




