主君と神
その影は大きく立ち上って動き出し、やがて壁のようにアルドの目の前に立ちはだかった。
フォースタスの漆黒の瞳に閃光がちらつく。その光が自分を看視していることにアルドが気がついていないはずはなかった。
「リリア妃殿下の護衛として入国いたしました。フォースタス・オスキュルテと申します」
「ようこそアンダーヴィレッジへ。大賢者殿がこの国に足を踏み入れてくださるとは光栄に存じます」
「アルトゥール家の功名は、世界の隅々にまでその威容を示している。あなたの名前を知らない人などこの世界にはおりませんよ。アルド・アルトゥール」
低く静謐な声が名前を読み上げたことに固まっていたが、アルドは顔を崩すことなく彼を真っすぐ見据える。
フォースタスといえば大賢者としての二つ名を持つことは誰もがわかってはいたはずだが、アルドを牽制する手段として黒いマントに黒い軍服という出で立ちに腰には帯刀して武装をしてもらった。
その効果は絶大なようで、アルドは未だに大きく目を見開いて驚いている。
「フォースタス、見てください。アルドからこんなに綺麗な花束をもらいました」
「良い香りですね」
仲睦まじさを演出しつつ二人で微笑むと、アルドが少し引き攣った顔で返してくれた。
「それで?この下賤の国に、大賢者とリーガル国の王妃が何の用ですか?」
「言ったでしょ?あなたの呪いを解きます」
「おれの呪いがわかったのか?」
「まだわからないわ。それをわかりたいから来たの」
「シュライスには言ったんだろうな?」
「‥‥‥言いました」
「なんだよその間は?」
「わたくしと共に視察の名目で、陛下には出行状を出してございます」
「アンダーヴィレッジに行くと書かれましたか?」
「いいえ。散歩、と書いてまいりました」
「‥‥‥お戯れが過ぎます」
アルドは頭が痛いと言わんばかりに顔をゆがめ、こめかみを抑えていたがわたしとフォースタスはにっこりとほほ笑むのみに徹していた。
「とりあえず、護衛を付けます。町の中を見て回られてはいかがですか?」
「ありがとう。そうします」
アルドの気苦労が滲んだ顔を横目に室内を出ると、見覚えのある金髪の男性が弧を描いた瞳で出迎えてくれた。
「エンツォ‥‥さん?」
「名前を憶えていてくださったのですね。光栄です。リリア王妃」
彼は自然な流れでわたしの手をとり甲に口づけをした。
女性に慣れているというよりも、女性を慈しむことに慣れているというほうがしっくりするその所作には、普段シュライスのような貴公子を相手にしているわたしでさえも頬が熱をもってしまう魅力があった。
「ぼくが運転手をします。行きたいところはございますか?」
「そうですね‥‥この国の名所をまずは見て回りたいです」
「アンダーヴィレッジは谷を掘削して作った国なので、名所と言えるほどの場所はないのですが、この国は多民族主義を掲げていることもあって、様々な様式や宗教が複雑に絡み合った文化が生まれました。そのおかげで国や国境を越え、身分差のない出会いが愛や恋を育み慈しむ。愛が生まれる国として有名になりました」
「身分は関係なく愛し合える国。素敵ですね」
「お気に召していただけそうですか?なら、愛や恋にまつわる名所にご案内いたします」
「お願いします」
エンツォが車のドアを開きエスコートしてくれて車のシートに腰を下ろし、見るとフォースタスお辞儀をしたまま佇んでいた。
「リリア王妃。わたしは、町の様子を見て回ってきます」
「一人で大丈夫?護衛を付けてもらった方が‥‥」
「昔一度だけこの国を訪れたことがあるので土地勘はございます。お気遣いなく」
フォースタスはアルドに首肯するとそのまま門の外へ歩いて行ってしまった。
「ローズリーの大賢者は強いんだろ?護衛などいらないはずだ」
「でも、アンダーヴィレッジは物騒だと聞くし‥‥」
「物騒なことは否定しない。だが、きみが思うほど荒くれた国でもないんだ。シュライスが後ろ盾になってくれて以来、貿易協定にも参加できているし輸出する際の手間賃なども法外に採られることもなくなった。国益は安定し、国民の生活も水準が保たれているおかげで安定しているんだ」
「そうなんですね‥‥よかった」
「それで?呪いを解く見当はついているのか?」
「はい。まずは、あなたの心に干渉します」
「おれの?」
「はい。そのためにフォースタスを連れてきました」
「なんだ。儀式か何かするつもりか?」
「その通りです。あなたの中に入って、呪いとなっている核を視ます」
「魔法と言うのはなんでもできるんだな。そんなことができるなら、シュライスの中に入り込んで奴の頭の中の回戦術でも暴いてみたらどうだ?」
「それは正攻法じゃないでしょ?わたしはシュライスに正攻法で勝ちたいの」
「真正面からあの常勝無敗の王に挑みたいと?」
「そうです」
アルドは鼻で嘲い、正気か?とでも言いたげにわたしを蔑んだ。
「おまえのその正攻法のための道具にジャトの目を使う気なのか?どうかしてるな、ロ―ズリーの第三王女様は」
「それ以外にも必要だと言ったでしょ?」
「ならその話をしろ。王女様の戯れに王家から託された神器を渡す気は無い」
「だから、神様がいるんだってば」
「はぁ?なんだその神様ってやつは。どこにいるんだよ」
「ここにいるよ~♪」
「・・・・・・・・・・・は?」
居るはずのない第三者の声が室内に響き渡ったことに呆気に取られていたが、アルドは素早く胸元から拳銃を取り出し声の主へ向けた。
彼の矛先を見ると、そこにいたのは足を組んで余裕の笑みを浮かべたディミヌエンドだった。
「ディ‥‥ミヌエンド‥‥」
「我が花嫁♪元気そうで何よりだよ」
ディミヌエンドはそう言いながら嬉しそうにわたしを強く抱きしめた。
甘い花の香りが漂い、これが現実なのだと思い知らされる。
一瞥すると、アルドが険しい表情を崩さぬまま彼へ銃を向けていた。
「ジャトの目の魔守り人。そのような愚行は寿命を縮める。やめておけ」
ディミヌエンドがそう呟いた瞬間、拳銃がバナナの皮をむいたようにさっくりと分かれ中から銃弾が零れ落ちた。
その様子をバックミラーで見ているエンツォは目を見開きながら瞠目している。
「おまえは何者だ」
「ディミヌエンド。この世界を創った神だ」
その言葉にアルドは絶句しつつも焦りの色を見せる。
ディミヌエンドの徒ならぬオーラと人間や魔法使いなどではない生気に気取られているようだった。
「きみの中は複雑な闇で篭絡されかけている。矜持の場所を見失っているんだ。それは国民なのか、味方なのか、相棒なのか。それとも、命を賭せる運命なのか。考えても無駄だよ、アンダーヴィレッジの君主。きみは、リリアと出会った。その運命は、ジャトの目を彼女に渡せと訴えているはずだ」
ディミヌエンドが洞察する。その言葉を黙って聞き入れたアルドは、深呼吸してから口を開いた。
「おまえは、彼女と契約しているのか?」
「そうだね、ぼくの花嫁だからね」
「花嫁?婚前契約を結んでいたのか?」
「今生ではなく、ぼくたちは一族の縁で結ばれている。シュライスのような略奪愛とはわけが違うんだ。説明は省かせてもらおう」
「なら質問を変える。世界を救うという彼女の話はおまえの入れ知恵か?」
「事実を言っただけだ。7年後、この世界は崩壊する。その前に世界を救ってほしいと彼女に頼んだだけだよ」
「自分は神だと言う疾患者や酒で脳が溶けた様な戯言はいくつも見てきた。お前が神だという証拠を見せろ」
「証拠か。還魂でもしてみるかい?」
「還魂?」
「カイン・アルトゥール」
ディミヌエンドの声がくぐもったように聞こえた後、煙がゆらゆらと車内を漂い始めその中から現れたのは私には見覚えのない男の人だったが、アルドの顔はみるみるうちに青ざめ血の気が引いていく。
次の瞬間、車が急ブレーキをかけて止まりドンと揺り返しが起き頭をシートに打ち付けられる反動で体が浮きそうになるわたしを、ディミヌエンドが庇うように抱き留めてくれた。
「おい!運転手!安全第一で走れ!王妃が乗っているんだぞ!」
「カイン!!カインなの!?」
運転席から身を乗り出し絶叫で名前を呼ぶ姿は何かに縋りつく子供のように見えて、煙の中から現れた彼がアルドとエンツォにとって大事な人だという事が理解できた。
エンツォに名前を呼ばれた彼は、ゆっくりと首をもたげて微笑みを返す。
「カインだ!ねぇアルド、カインだよ!!」
「本当にカインなのか?」
アルドは信じられないと言った様子で手で彼の顔を撫でた途端、指先に感じた感触に恐れおののいたようにのけぞって驚いている。
「肌が‥‥温かい‥‥」
「言っただろ?還魂だって。彼の魂をぼくの力で呼び寄せたんだよ」
「魂を呼び寄せた?そんなことが‥・・・」
「神様だからできるんだよ」
その言葉の説得力は目の前にいるカインと呼ばれ続けている男の人が明確にしている。
アルドは観念したのか、頭の中を整理するためなのか、目をつぶって深呼吸をした。
「カインは話せるのか?」
「現世との会話は禁じられている。何か言いたいなら伝えたらいい。彼は正真正銘のカイン・アルトゥール。積もる話もあるだろう?」
ディミヌエンドの言葉にアルドの表情が解けていく。
その証拠に、再び見開かれた目にはどこか幼さを帯びていたのだ。
「カイン、なのか?おれのことがわかるか?」
カインは微笑んだまま首肯する。その姿にアルドは満面の笑みになる。
「カインが死んでから大変だったんだぞ。おまえがいないアンダーヴィレッジを建て直すまでに10年かかった」
その言葉にカインは困ったような顔で申し訳なさそうに頭を下げる。
アルドは肩をすくめて笑っている。その穏やかな表情に、アルドにとってカインと言う人は心をすべて開ける人だったんだろうと想像させた。
「アンダーヴィレッジはシュライス陛下の後ろ盾をつけ発展を続けている。今では、愛の国などと謳われ、身分や種族も関係なく愛し合い慈しみあえる国として名高い。昔は血を血で洗うような国だったのに、今は愛だの恋だのと現を抜かせるほど平和になったんだ。それでも貧困はなくならないし、リーガルほどではないが差別は止まない。でも、子供は死ななくなったんだ。孤児や未亡人を保護するシェルターを作って全員が自分で自分の命を守る力を養える国にした。寂しいやつはおれが、この国が助けてやれる。そんな国になったんだ。カイン、これはおまえの遺言にかいてあった「平和」に近づいているだろうか?」
カインは頷きながら話を聞いていて、最後の言葉には深く頷き返していた。
そのことにアルドは、目を潤ませながら嬉しそうに笑っている。
「おれは、この国を豊かにすると決めた。エンツォと一緒にこれからもこの国を護っていく。あんたがおれたちを家族にしてくれたように、おれも国民を家族だと思って共に生きていきたい。それができる国にしていきたい。こんな俺を、おれたちを、見守ってくれるか?」
カインは、口をパクパクさせ何かを伝えたがったが何も聞こえないことがわかったのか、今度は深く深く何度も頷いて見せた。アルドは潤む目元を拭うことなくカインと目を合わせ続けていた。
その表情が幸せそのもので、見ているこちらまで幸せな心地にしてくれる。
「さぁ、時間だよカイン。お別れを言って」
ディミヌエンドに促されて、口を大きく開け「またな」と動かして見せた。
「あぁ。またな。カイン」
アルドの言葉と共にカインの体が煙のように消えていく。
やがて砂塵のようにすべてが見えなくなっても、アルドとエンツォは彼がいた場所をまるで蜃気楼でも見たかのような顔で見つめ続けていた。




