2国貴族のノーブル・サロン(2)
黙ったままのエミリオは、揺れる樫の木の椅子に座ったまま、まるで赤子をあやすようにわたしを抱いている。
怒ったエミリオがいつもこうなることを、わたしは迂闊にも忘れていた。
「ねぇ。リリアはあの男のどこが好きなの?」
耳元でエミリオがつぶやく。
どう返答していいかわからなかった。
今まで男の子の話を相談したこともないし、好きな人の話なんて彼にしたことがなかったからだ。
「ここから先は、あいつを殺すことを考えようよ」
彼の悪魔のような囁きに導かれ、心が揺れる。
「シュライスは、自分が幸せになりたいだけだ。ぼくにはわかる」
エミリオがわたしを抱きしめる腕を強めたのがわかって、おもわず体が強張る。
「あいつが死んでも、ぼくがリリアのそばにいるし、みんなもいるんだから。やっていけるよ」
答を出そうと後ろを見ると、潤んだ瞳のエミリオと目が合ってしまって、思わず口籠ってしまったけど、決意は言っておこうと心を改めた。
「わたしが大魔法使いなるまで待ってください」
エミリオは、つらそうな表情を崩さずにわたしをぎゅっと強く抱きしめ、首元の顔をうずめる。
「ローズリーを復権したいんでしょ?」
「はい」
「ぼくは、きみがこれ以上傷つく姿を見たくないよ」
泣きそうな声で懇願してくるエミリオに胸が痛くなる。
ふいに鳴った、コンコンと叩く音に振り返ると、その音の主はウイリアムだった。
「皆様がお待ちですよ」
そう言われて、ウイリアムに連れられ、エミリオと共に二階に上がっていく。
◇◇◇
◇◇◇
「リリア妃殿下。ならびに、エミリオ・グレンデル様をお連れいたしました」
ウイリアムび弓を引いたような清々しい声と共に、扉が開かれる。
一瞬まぶしい光が差し込み、目を凝らす。
現われた、数メートルはある長机を囲んでいるのは、ローズリー国とリーガルの貴族たちだ。
その上座正面には、腕を組み、こちらを見定めるように眺めるシュライスが座っている。
わたしは、彼の目をしっかりと見ながらお辞儀をした。
「遅くなり申し訳ございません。陛下」
「構わないよ」
軽くシュライスに首肯したエミリオが、椅子を引き、ローズリー側に座るよう目配せしてくる。
同伴で入室している身で断るのも今更すぎて、わたしは彼に従うように座った。
わたしが座ると、入れ替わるようにシュライスが立ち上がる。
「これより、貴族会議を始める」
机の中央に向かってシュライスが指をかざす。
「天象」
彼の呪文と共に、机の上に様々な紋章がくるくると回りながら現れた。
「まずは、リーガル国の王室貴族。ハイム家当主シュライス。王弟ロイド。並びに、妻、リリア」
黄金色に輝くユリの紋章がきらりと光りながら、頭上に立ち昇っていく。
ツタの絡まったユリの花は、リーガル国の紋章だ。
シュライスが言い終わるか否かの境に、息を切らした様子のロイドがわたしの隣に座った。
彼が正面に目配せし、軽くうなずく仕草をすると、シュライスは満足そうに口角を上げて返していた。
「兄上に頼まれていた「仕事」がなかなか終わらなくて」
わたしの耳元でロイドが悪戯っぽく囁く。
軍師の仕事なのだろうか。然して詮索することなく、彼に笑みを返す。
「古い名家順に紹介しよう。まずは、オクタビアン家」
水色に染まった紋章が水飛沫をあげ、キラキラと輝きながら、ある人物の頭上に移動していく。
輝く紋章の下にいるのは、白銀の髪に深海の青のような瞳の青年。
瞳の中に野心を秘めた様な鋭さで周囲を見渡したあと、静かに椅子から立ち上がる。
「アーサー・オクタヴィアンです。家督の名を受け継ぎ、白銀の騎士という騎士育成学園を経営しています。同時に、ソレイユ軍直参に従事している。ローズリー国の貴族という誉れ高き方々とお会いできたこと、大変光栄に存じます」
紹介が終わった刹那、シュライスが指をはじくと、紫の煙が立ちあがり、蜷局を巻いた蛇の紋章が現れ、男の頭へと移動していく。
「忍びの一族、マローダー家」
長い黒髪を紫に色に染められた長い爪先で絡ませながら、にやにやと笑う男は、大きな緑の瞳を細め、気だるそうに立ち上がった。
「マローダー・ヴィアーレ。シュライス様の忠実なしもべであり、下僕でございます」
蛇のような狡猾さを含んだ瞳が、全員を舐めるように眺め見ていて、おもわず背筋がぞっとしてしまう。
「リーガル国内の唯一の王室マギア「銀の学校」の学校経営を一手に引き受けている、ルーファス家」
グリーンの葉の紋章がキラキラと光りながら移動していく。
照らされたのは、綺麗な栗色の髪に大きなリボンをした漆黒の瞳の美少女だ。
「ロゼッティ・ルーファスです」
静かな口調で短く言い放ち、大きな瞳を閉じた。
彼女の閉口と共に、黒と金に縁どられた羽の様な紋章が移動していく。
「そして、魔王ルシア家の末裔 ヴィクトル・ルシア」
名前が呼ばれた瞬間、室内にどよめきが起きる。
「ルシアって、世界を崩壊にまで追い込んだという伝説の?」
一筋の冷や汗を流したウイリアムが、恐る恐る目線を移した先にいたのは、艶やかな黒髪に、燃えるような赤い瞳と金色の瞳の双眼の青年だった。
きつく瞳孔を絞り、不満そうな表情で一点を見つめている。
「世界を崩壊させたのは彼の先祖。ヴィクトルは優しいいい子なんだよ」
シュライスに「いい子」と称されたヴィクトルは、口をとがらせ、挨拶の代わりだと言わんばかりの大きなため息をついた。
「以上が、リーガル国内で健在する名家の当代当主たちだ」
わたしは、シュライスの周囲を取り囲むように座っている、リーガル貴族たちの面子の威圧に圧倒されていた。
強者独特の自信と矜持に満ちている。
彼らに呑まれてはならないと、気合をいれて立ち上がる。
「ローズリー国の貴族をご紹介いたします。まずは、ウイリアム・ガーデラ。彼は代々、この国の水源を守っています」
いきなり名前を呼ばれ、あわあわと謎の声を発しながらウイリアムが立ち上がった。
「う、ウイリアム・ガーデラです。どうぞよろしくお願いいたします!」
ひっくり返った声でそういうので、くすくすと笑いが起きる。
「シオン・ヴェレダ。わたくしの右腕です」
右腕、と言われ、全員がシオンの顔に視線を注いだ。
「おい。なんだよ右腕って」
その光景に狼狽えたシオンが、わたしに抗議の耳打ちをする。
「・・・・なんとなく。肩書です」
わたしの応えに、ため息混じりの息を吐いた後立ち上がる。
「王室魔法使いのシオン・ヴェレダだ。シオンでいい。魔法発注や貿易関係は、必ずオレを通してもらう。融通は利かない。よろしく」
業務的な口調でまくしたてるように述べ、ドカリと座った。
「フルーデ・ルドラ。武器への精通が高く、彼の創る武器は精度が高いです」
無言のまま立ち上がったルドラが、大きな体を折って挨拶する。
「エミリオ・グランデル。ローズリー国軍統帥です」
穏やかな顔のエミリオが立ち上がると、リーガル貴族全員の目が彼に向けられた。
視線の中に含まれた怪訝や、図るような空気を我がモノともせず、品よく微笑み返す。
「王室魔法使い兼統帥のエミリオ・グランデルです。よろしくね」
「グランデル家と言えば、国家予算を凌ぐ財産権者の一族と噂されていますねぇ。それだけ莫大な力を持ちながら、なぜ、先の戦争では、資金提供はおろか、前線にも立たなかったのか?実に不思議ですねぇ」
マローダーが嬉々としながら話す姿を、エミリオは鷹揚な視線で見据えた後、薄く嗤って見せた。
「財産を持っていようがなかろうが、ぼくは一介の貴族で、そしてただの男だ。命を賭けて与する相手くらい、選り好みしたっていいだろう?」
一瞬たりともスキのない完璧な微笑みを崩さないエミリオの顔を、マローダーは不興を隠せない表情で見るしかないようだった。
「では、リリア王妃様自ら不戦を命令したと?」
アーサーの公式かつ礼儀に則った利発な声音に、わたしはおもわず反射的に応えてしまう。
「そうです。戦下に置いて、国が逼迫した状態になった場合、ローズリー国の政治協定において、大賢者と、それ以下魔法使いのみが戦争に参加し、それ以外は参戦の無理強いはさせないようにと定めています。魔法使いは、魔力の強い者たちほど縛ることはできないことは全世界周知の事実。ゆえに、彼らによる裁量ではありません」
「ローズリーには大魔法使いの力に匹敵する力を持つ、王室貴族がいるはずだ。この国を守護しているはずの彼らが、未曽有の事態において戦争にすら参加しなかったのは、彼らの瑕疵が原因ではないのか?」
ヴィクトルからの尖りのある言葉に押し黙っていると、シュライスが傲然とした視線で周囲を睥睨する。
その視線に、室内が凪をうったような静けさを取り戻す。
「きょうの会議の議題は、みんなで仲よくしよう、なんだよね。貴族同士いがみ合っていては、国民の向くべき指針がブレてしまう。きみたちは、国民の代表だと言うことを、肝に銘じて発言してほしいと願っているよ」
シュライスの言葉に全員が小さく首肯する。
「早速だけど、リーガル国の貴族協定の要綱を更新しようと考えているんだ」
シュライスが机に手を添えると、筆記体が生き物のように蠢きながら文章を綴り始める。
「年に一度の定例会は既存のまま残して、二国間の交流が図れるイベントがほしいんだよね。なにか提案があれば意見がほしいんだけど」
その言葉が終わった後、隣にいたシオンから、嘲弄的な微笑みの雰囲気が流れてきた。
彼からすっと伸ばされた手を見て、わたしはおもわずシュライスに目線を合わせるが、薄く細めた視線のまま黙示に待機しているのを見て、止めなかった。
けど、止めたほうが良かったのかもしれない・・・・。
「陛下!魔法トーナメントしようぜ!」
「・・・・ふふ」
シオンの言葉が室内に木霊し、シュライスのひそかな笑い声が聞こえたが、室内は、信じられないくらい静かだった。




