軍師の傷とボスの過去(シュライスサイド有)
はだけた軍服とワイシャツの間からは、軍師の名に恥じない筋肉のついた肌が見える。
彼の端正な顔と、少し荒くなった息が目と鼻の先まで迫っていた。
「(何が起きているの?ロイドってこんな感じの子だった!?一人称ぼくじゃなかった!?)」
抵抗してみても、ロイドに捕らえられた腕はびくりとも動かず、余計に狼狽えるわたしを見て、嘲うようにふっと笑みを見せる。
「姉上、おれを見て?」
そういって、軍服のボタンを外していくのを目をつぶって抵抗した。
「ち・・・・ちょっと待って!!ロイド!!!ダメ!!!」
「・・・・おい。目、開けろって」
「嫌ムリ!近親は無理!!!」
「はぁ?そんなんじゃないって。目開けて」
「・・・・変なことしたら叫ぶからね」
「いいよ」
そう言われ、開けた目に入ってきたのは、ロイドの胸板だ。
しかし、その体中についた深い傷を見た途端、わたしの口から小さい悲鳴が漏れ出てしまう。
「驚いた?おれが軍師になるまでに、戦争でついた傷だよ」
傷跡をたどるように指でなぞっていく。
胸からお腹にかけて斜めにつけられた大きな傷を筆頭に、腕や首元にも無数の傷跡があって、それは長年かかっても完全には消えそうにない深いものだった。
「父上は、兄上を王にするため命を粗末に扱うことを禁じ、戦争に駆り出すことはしなかった。代りにおれが戦争に赴き、陣頭指揮をとっていたんだ。戦争のいろはも知らないガキが、剣と馬さえあれば騎士ごっこができる。それが、前代のリーガル国の戦法」
わたしを解放し、傍の椅子に体を預けて項垂れため息をつく。
ロイドの悲しげな目は、当時を思い出しているように虚空を眺めていた。
「兄上の代になってからのリーガル国は平和だ。心底平和だ。だからこそ、戦いしか知らないおれにとっては退屈でしょうがなかった。父上が死んだ後の腑抜けかかった兄上にも嫌気がさして、寄宿舎に入る口実を作って国を出た。戦えないなら、おれの存在は必要ないからな。でも、ローズリー国を攻め落としたと聞いて、喜び勇んで帰国した。蝶よ花よと護られていたあの兄上が戦い、傷を負い、血を浴び、人に憎まれ、蔑まれたのだと思ったら、笑いが止まらなくなった。やっと、兄弟で分かり合える日が来たと思った。けれど、帰国してすぐにおれの目に入ったのは、幸せそうな兄上の姿だった」
項垂れたまま、ぎろりとわたしを凝視する。
「兄上がローズリー国に執着する理由は、あなたがいるからだ。国王も王妃も殺した理由は、あなたを自分に執着させるためだったのはおれから見てもわかる、でも、靡かなかった。それどころか、魔法のレッスンなんて生ぬるい言い方で王を丸め込み、大魔法使いになる儀を行い、その資格を得たと聞いた。妃殿下の身分でありながらのこの謀反に近しい行いを、軍師として看過するつもりはない。これ以上動くのであれば、あなたを国賊として扱い、ローズリー国民を追放する」
警告だ、そう伝えてくる険しい形相のロイドを見つめながら考える。
ここですべてを吐くことは賢明ではない。
そう答え付け、悟られぬようわたしから口火を切った。
「わたしは、王妃としての勤めを果たすための必要なことをしているだけです。私利私欲や、まして国賊の汚名を着せられるような謂れはありません」
「なら、大魔法使いになる必要って何?いまでも国の中ではふつうに強いんでしょ?兄上がいるんだし、これ以上王妃が力を持つことをリーガル国民は望んでいないと思うけど?」
「望むと望まざるにかかわらず、これはわたしの成すべきことです」
「成すべきこと?あなたの成すべきことは、王妃として兄上を支えることだろ」
「・・・・違うのよロイド。違うの」
言いたい。
でも、ディミヌエンドとの約束を彼に言っていいのかわからなくて、口籠る。
その様子を見眺めたロイドは、嘲うように鼻を鳴らす。
「はぁ。まぁいいよ。そちらにはフォースタスって最強の手札がある。彼に挑むなんて馬鹿げてるし、大魔法使いになるのって、全属性の召喚魔法がうまくいかなきゃ正当な力は出せないんでしょ?しばらくはおとなしいはずだから、今回は大目に見てあげるよ」
立ち上がり、乱れた服を整える。
その間も、彼の視線は訝しんだままわたしに注がれていた。
「貴族会議には、ぼくも出席する。もし、ローズリー国に着いて発言するなら、用心してね。リーガル国の貴族は全員、暗殺や護衛の訓練を受けているから、何かあった場合の安全は保障できない。ぼくのおすすめは、不必要な行動や発言は避け、兄上の傍で淑らしくすることかな。これでおれの授業はおしまーい。お疲れ様。姉上」
何も応えられることなく、出て行く彼の背中を見送る。
◇◇◇
◇◇◇
「・・・・・おい」
「ひゃぁ!!なに?!」
耳元で聞こえた第三者の声に心臓が跳ねた。
その声の主は、ワイシャツに緩やかなパンツ姿のいかにも部屋着な服装を纏ったアルドだった。
「な・・・・なんでここに?」
「ここはおれの部屋だ。陛下から好きに使えと言われて、仮眠をとっていた」
「じゃぁ、話も全部聞いて・・・・?」
「断片的にだが、聞こえた。大魔法使いがどうとかの話辺りから」
「結構聞いてたんですね・・・・」
「ローズリー国を復権するつもりなのか?」
アルドの問いかける様子は、訝しむものでも従順を強制するものでもないことはすぐ伝わってきた。
けれど、彼は、アンダーヴィレッジのボス。
余計なことを喋れば、シュライスに伝わるのは分かっている。
「顔は雄弁だ。押し黙っていてもすぐわかるぞ」
アルドが口を押えつつ微笑むのを見て、隠すことの方が怪しまれると考え直し、頷き返した。
わたしを眺め見つつ、軽くため息を吐き出す。
「(そういえば、アンダーヴィレッジにはジャトの目という神器があるとディミヌエンドが言っていた。彼なら何か知っているのかもしれない)」
わたしは王妃然とした顔に引き締め直し彼を見据えた。
「アルド・アルトゥール。神器ジャトの目を持っていますね?」
「・・・・はい。わが国で管理しております」
「それは、いまどこにありますか?」
「わたくしの持つ杖の宝玉として誂え、肌身離さず持っております」
「リーガル妃として、その神器を渡してほしいとわたしが言ったら、あなたはどう答えますか?」
「・・・・・・・・・・・・本気か?と問います」
「その心は?」
「神器ジャトの目の魔守り人は、おれだからです」
そう言われ、言葉を口籠る。
わたしの驚いた顔が可笑しかったのか、細く息を吐いて笑みを見せた。
「サプライズだったか?」
「いえ・・・・なんだか、意外だったので」
「おれみたいなやつに呪いがかかっていることが?」
にやりと笑い、ベッドサイドから取り出した杖の先をわたしに向けた。
そこには、青藍色の大きな宝石が埋め込まれている。
キラキラと光る内包物すら美しくて、心奪われそうだ。
「ジャトの目は、シンフレスカの遺した通称「邪心の瞳」と呼ばれる魔性石。その由来は、妖艶な佇まい、そして彼が愛した海の女の青い血を模したと言われるこの青藍色からきている。が、呪いはこの由縁とは別だ」
アルドは自分の胸元を乱雑にはだけさせる。
そこには、五芒星と数字が書かれた入れ墨のようなモノが入っていた。
「おれは、前リーガル王室のSSランクの傀儡奴隷だった」
「傀儡奴隷?」
「簡単に言えば、王室御用達の殺し屋だ。魔力を持たないおれは、先代の王の政の旗振り言葉でもある「全国民魔法使い宣言」にあぶれ、行き場を失った。両親は流行り病で亡くなり、周囲で生き残ったのはエンツォだけだった。ある日、城から使者がやってきて、国の為に働ける子供はいないかと探しに来た。頭脳や腕に自信があったおれは王室に取り入り、護衛役としての任を授かることができた。当時の王は、おれの働きを評価して、王室付きの護衛に昇格してやると言ってくれた。しかし、ふたを開いてみれば、王族や貴族たちからの殺しの依頼を引き受ける、ただの暗殺兵器として雇われただけだったんだ。何の後ろ盾も持たない貧民育ちのガキでも、金と寝床と食事を少々、一つまみの恩情の言葉をかけてやり続ければ、立派な殺人兵器の出来上がりってわけだ」
ワイシャツを首まで着込み、傍にあったスーツを羽織る。
アルドの口調は淡々としていて、まるで他人の物語を語っているような雄弁ささえある。
「下賎の者から民草、貴族、王室の者。厭わず殺し続けて五百人。そこから先を数えるのが嫌になって、この城を出た。孤児となったおれは、当時のリーガル国の中に秘かに形成されたシンジケート「シャノワール」を作っていたカイン・アルトゥールに拾われ、おれと同じような魔力を持たない者や虐げられたものを集めて、アンダーヴィレッジを建国した。リーガル領内に在りながら、本国よりも民の数を保有し、富める者も貧しい者も等しく平等に生きるチャンスと価値が生まれる国にしたい。おれの願いのまま、アンダーヴィレッジは拡大しつづけていった。そのことをよく思わなかった前リーガル国王が、ジャトの目をおれに託したんだ。友好の印に、と」
怒りで顔が歪んでいき、白魚のような指が拳を握って手に食い込んでいる。
当時の想いを懐古するようなその様子に、息を飲む。
「ジャトの目は、おれの想いを吸い込み続けるように青藍色を濃く染め続けている。おそらく、あの日以降続く、おれの心の中の怨嗟がそうさせているのだろう」
「あなたの呪いとは、リーガル国そのものなのですね?」
「はい」
「では、その呪いをわたしが解くことができたら、ジャトの目をわたしに渡していただけますか?」
「妃は、これを何に使うおつもりなのですか?」
「世界を救うために使います」
「・・・・・は?」
見開かれた目の奥がぽかんとしている。
「いまは何も言えないけれど、世界を救うため。そして、自分の為に使います。決して悪用は致しません」
「そ、そうか」
納得がいかない様子のアルドは、真剣に諭すわたしに気圧されつつも頷いてくれた。
「呪いを解く方法は、あなたの心の解放が必要なんです。どこか、心が執着している場所や、人はありますか?」
「おれが執着するものなど一つしかない。アンダーヴィレッジだ」
「では、貴族会議が終わってから、アンダーヴィレッジに入国します。あなたは国王ですよね?許可をいただけますか?」
「一人で来るのか?」
「そのつもりですけど」
「・・・・・シュライス陛下の仰る通り、じゃじゃ馬だな」
「何か言いました?」
「いいえ。なにも」
「後ほど、使者を送ります。今日のお話は口外しないように。いいですね?」
「ご随意に」
アルドが恭しく頭を下げたのを見て、わたしは部屋を後にした。
◇◇◇ ◇◇◇
「声をかけなきゃよかった」
リリア妃殿下とロイド様がおれの部屋に入ってきたことにも驚いたが、まさか神器の事を話されるとは思っていなかった。
頭を掻きつつ、部屋に備え付けられたバルコニーを見る。
部屋の中からは死角になっていて、こちらから向こうは見えない。
リリア妃殿下はほんとうに魔法使いなのか?
「あの」気配に気づけないなんて。
おれは、死角になっている場所まで歩いていき声をかけた。
「シュライス、出てきていいぞ」
ベランダに背中を持たれ、右手にワインボトル、左手にワイングラスという、貴公子の顔に似つかわしくないのん兵衛スタイルのシュライスが、地面を見つつ、項垂れていた。
「ぼくは悪運が強いみたいだね、アルド」
しょげた顔で呟く顔は、まるで棄てられた子供のようだ。
「らしいな」
「大魔法使いになる資格か。そりゃぁ、あれだけぼろぼろにもなるよね。王様なのに、なんで気が付かなかったんだろうなぁ」
「愛は人を鈍らせるからな」
「こんなに愛しているのに、鈍っているのはぼくだけかぁ」
グラスに残っていた僅かな酒を煽り、空を見上げる。
日の高い時間に酒を煽る王なんて見たくないだろうが、今の彼にとっての酒はいい薬だ。
そうおもって、アンダーヴィレッジでもなかなか流通しない高級酒を渡してやった。
「(もうほぼ残ってないけど)」
「アルド。リリアを頼んだよ。ぼくは、父上のような覇者の道を選ぶつもりはない。彼女の目的が何なのか。わかったときに沙汰を下す。それまでは、ぼくのお姫様なんだからね」
「ご随意に」
チラリと見えた、シュライスの目に宿り始めているのが次なる一手への策だとわかったとき、おれの中で盛大なため息が聞こえた。
面倒なことに巻き込まれた、と。




