国を棄てた姉妹が吸血鬼を連れて帰ってきました
夕方から控えていた謁見には、遠方から来る各国の主要人物が主だ。
わたしたちに一目会おうと謁見申請が殺到していたため、時間を延長して受け付けたのだと言う。
ロイドが一国づつ精査した書類を、玉座に座るシュライスに渡した。
「本日の謁見は、貿易協調のある中小国を優先します。しかし、一国、例外がおります」
突然、ロイドが口籠り、気まずそうに目を泳がせる。
「どうした?」
「いや・・・・その・・・・王妃の身内の人間?というか・・・・」
「わたしの身内?」
「・・・・・マリーとエリーというご令嬢からの謁見請願書がございまして・・・・・。貴族院や元老院の捺印がされ、封蝋にはバラの花。ぼくの所感ですが、亡命されたお姉さま方かと」
その名前を聞いて、わたしは、持っていたティーカップを落とす。
「リリア様!」
フォースタスの声が聞こえて我に返ると、地面近くでカップが受け止められた。
「ご・・・・・ごめんなさい」
魔法で静止しているカップを拾う力もないほど、放心していたことに気が付く。
叫びだしそうな口を手で覆い、呆然となった。
「リリア」
やさしい声に反応する前に、シュライスに抱き寄せられた。
――――落ち着け。だいじょうぶ。心の中で何度も唱える。
恐怖や嫌悪とも違う。
けれど、家族に会える喜びはない。
背筋を這うぞわりとした悪寒。
血液が逆流するような嫌な感覚とが、交互に体中を支配していた。
動揺する心落ち着けたくて、思わずシュライスの軍服の袖口をつかむ。
わたしの仕草を見たシュライスは、峻厳の眼差しでロイドを見やる。
「貴族院と元老院の捺印を授かるには徽章が必要なはずだが?」
「所轄に確認したところ、この二人は貴族の身分であったという回答でした。その証である徽章も持ち合わせていたと。――――魔法鑑定」
ロイドが手をかざすと、目の前にふわりと、どこかの国の紋章旗が顕われる。
ひらひらとたなびく旗には、十字架の旗章が描かれていた。
「・・・・・シルヴァニア国」
旗章を見定めながら、シュライスが訝しんだ。
十字架の旗章。
わたしに見覚えはない。
でも、教科書に載っていたかもしれない。
フォースタスの顔を見ながら、記憶朧げに思い出す。
「吸血一族か。これはまた、酔狂な男を選んだものだ」
形の綺麗な唇で煙管を吸い、細く煙を燻らせ、タレルが蠱惑的の微笑む。
「・・・・・おい。拝謁室は禁煙だ」
ロイドが口を尖らせつつ彼の煙を仰いだ。
「この中には薬草しか詰まっていない。煙に害はないよ」
「そういう意味じゃない。空気を読めって言ってるの」
相変わらず、タレルはロイドを一顧だにもしない。
彼はわたしを見据えると、煙管を消した。
「これは、外交戦争だよ。仕掛けられたね、お姫様」
「・・・・まだ、敵と決まったわけではありません」
「彼らは魔法紛争で、フォースタスや他の大魔法使いたちによって封印された。だが、術者の与する国が崩壊し、矜持が乱れ、魔力が弱ったおかげで、封印が解かれたと聞いたが・・・・」
タレルがフォースタスを一瞥する。
魔法紛争とは、人間と魔法使いによる戦争。
ここ数百年の間で一番長く、苛烈な戦争の事だ。
人間に与する魔法使い。
魔法使いに与する人間。
人間を護る人間。
魔法使いを守る魔法使い。
それぞれの立場、それぞれの居場所で、戦争が起こり始め、それは全世界に広がったという。
「あの戦争を止めたのは、大聖女エリシアだった。自ら人柱となり秘匿魔法、終焉で世界をゼロに戻し、浄化を施したから、今の我々は生きていられる。彼女は、テレーズを生んだばかりだったからね。守るものが在る者は、潔い」
ロイドが魔法で出した紋章旗を、煙管を振って消し去る。
「吸血鬼は、人ならざる者。起源はわかっていませんが、少なくとも、今いる吸血鬼たちは、元は人間であった者が多いはずです。その証拠に、彼らには微力な魔力しか備わっていない。その恩恵か。終焉は、彼らを自然魂として扱い、浄化しなかった。戦争で疲弊し、人間も魔法使いも余力のないことを知っていた彼らは、これを好機と捉え、容赦なく人を襲い始めた。そのことを危惧した神が、レイ様に神託を授けたのです。シルヴァニア国を封印しろと」
フォースタスが、憂悶に満ちた声で話した。
「当時は、大聖女も大賢者も死んで間もなかったからね。大体の手練れは、封印の儀に駆り出された。そして見事、封印ができたわけだが、ローズリー国が崩壊したおかげで、フォースタスの術が剥がれ、封印が解かれた。解かれたのは戦後。第一・第二王女が亡命した時期と重なるね」
「眷族になった兆候は?」
「様子を窺いましたが、見た目ではわかりません。ですが、今日、共に謁見請願書に連名しているのは、シルヴァニア国の第一王子・第二王子です」
その言葉に、室内の緊張が一気に増した。
この国に、吸血鬼がいる。
得体のしれない怖さ、妖しさ。
興味が入り混じった興奮がわたしのなかを駆け巡る。
けれど、険しい表情を緩めないフォースタスやシュライスを見ていると、その事実は凶報に等しいのだろうとすぐ察せた。
「ほぉ。今やリーガルの名を聞けば、平伏す効力さえある覇権国家に、黎明の獣が入り込んだか。大した度胸だ」
再び煙を燻らせるタレルを横目に見ながら、わたしは決意した。
「お通ししてください」
わたしの言葉に室内中の視線が集まる。
ロイドは、瞠目しつつ、くちをパクパクさせていた。
「・・・・い・・・・いいんですか?」
「わたしは妃です。吸血鬼であろうと、謁見を拒む権利はありません」
「彼らの目通りを赦せば、シルヴァニア国諸共、正式に迎賓することになります。・・・・姉上?慎重にご判断ください」
ロイドは焦りながら、懇願するように諭してくる。
でも、もうわかりきっていた。
あの二人の事だ。
今回会えなければ、手を変え品を変え、どの道対峙することになる。
わたしはまず、聞きなれない吸血鬼一族というものから手を付けることにした。
「では、ここにいる皆に問います。吸血一族とリーガルの交流に、メリットはあると思いますか?」
わたしの真剣に見開かれた目に応えて、シュライスが瞬時に一考を口にする。
「吸血一族は森深くに住み、斯様な昼間に現れることは少ない。戦力には欠ける。ぼく個人としては、永久の時を生きているいう彼らの能力には興味があるし、同盟を組めば十分な援護は任せられるとおもっている。しかし、伝承は紛い物ではない。人間が捕食対象なことは変わっていないだろう。お姉さまたちが彼らと関係を持ったのだとすれば、既に眷族になっている可能性が高い。それでもいいの?リリア」
シュライスにそう言われて、決意しかけた、心が揺れる。
国を棄て、両親を捨てた人たち。
戦後間もない中、国に戻ってこれると言う無神経さ。
そして、貴族となるために吸血鬼一族の一員になるという強かな生き方。
好きになれる要素が一つもないけれど、血のつながりだけはある。
天秤にかけてしまえば、会わない方がいいに決まっている。
でも、言ってやりたいこともある。
悶々としていると、扉が開かれた。
「リリア妃殿下。我々をお供に、いかがですか?」
コツコツと、速足で近づいてくる足音の主は、ファントムとファウスト先生だ。
「おじさまと、先生?」
あまり見ない組み合わせに首を傾げた。
「ファウスト先生は酒が強くてな!酒場で朝まで飲み明かしていたら、仲良くなった!」
豪快に笑いつつ、華奢なファウスト先生の肩を力強くたたいた。
煤を掃うようにその手を掴むと、にっこりと笑む。
「あなたは、一度もわたしの稽古に来ませんでしたからね。仲良くなるも何も、初対面みたいなものですよね?ファントムおにいさん。あなたが勝手に飲み過ぎた分の支払いは、お屋敷に請求いたしますね」
ぎりぎりと聞こえる骨のきしむ音に、ファントムおじさんは大げさに腕を振り切った。
「・・・・・面目ない」
仲良くなれたようで、何よりです・・・・・。
ファウスト先生は、わたしのそばに寄った。
「あなたと同様、わたしは彼女たちの剣の先生です。顔を見れば、何を考えているかわかります。同席してもよろしいでしょうか?」
その優しい眼差しに、わたしは迷わず「はい」と首肯する。
「おれも同席する。あいつらへの牽制くらいにはなるだろ?おまえは毅然としていればいい」
力強いファントムおじさんの言葉に、背中を押されてわたしは新たに決意した。
「お願いします」
わたしの言葉を皮切りに、室内が慌ただしく動き始める。
女王の玉座に座る。
シュライスも玉座に座り、扉の近くの臣下に目配せした。
杖底を打ち鳴らす、謁見開始の合図の音が響き渡る。
「シルヴァニア国。ブラム・デーリッヒ様。並びに、オーフェン・デーリッヒ様。次いで、マリー・デーリッヒ、エリー・デーリッヒ様」
静謐な雰囲気を纏って現れたのは、体格剛健な男性だ。
光沢のある黒のシャツに、毛艶のいい多毛の毛皮を肩にかけている。
黒髪に真っ赤な瞳の片目には、皮の眼帯をつけている。
その後ろを、第一王女だったマリーがしおらしく現れた。
見覚えのあるその姿に、室内がざわめく。
次いで入ったのは、白銀の髪に黒のメッシュの入った髪を揺らした聡明そうな男性。
薄青い瞳光らせ、グレーの軍服に身を包んでいる。
彼の後ろを、第二王女だったエリーが追うように入ってきた。
美しく妖艶。明らかに人外の雰囲気は、室内の空気を一変した。
わたしと同じく、吸血鬼自体を初めて見る人も多いのだろう。
皆の注目が集まる。 彼らの蒼白な膚色は、昼間の陽光に照らされ、より一層白さを増している。
その光景は、一枚の絵画のように見えた。
黒髪の男性が、シュライスの目の前に跪いた。
「お初にお目通りいたします。わたくしの名前は、ブラム・デーリッヒ。シルヴァニア国の第一王子でございます。この度は、我々の謁見を承諾していただき、恐悦至極に存じます」
次いで、異様なほどの笑みをたたえた、マリーが口火を切る。
「お久しぶりでございます。シュライス陛下。そして、わが妹、リリア」
不気味なほどの猫なで声。
嬉々すら滲ませながら、わたしの名前を呼ぶマリーの顔は、戦前と変わらない。
心中で、だれかを嗤うことができる人の顔だ。
そのことに、ひどく心をかき乱されはじめていた。
乱されてはいけない。そう、自分に言い聞かせる。
次いで、白銀の髪の男性と共に、エリーも跪く。
「オーフェン・デーリッヒ。シルヴァニア国の第二王子でございます」
「エリーにございます」
「シルヴァニア国からリーガル迄、はるばるようこそ」
シュライスが労いの言葉を述べると、ブラムが顔を上げた。
「一代割拠の領主となられたシュライス様と、その伴侶であるリリア王妃のご誕生をお祝いできることは、この上なき名誉にございます」
わたしの名前が出たことに、内心ドキリとした。
けれど、気取られないよう、面持ち厳しくする。
「お初にお目にかかります。シルヴァニア国第一王子、第二王子、そして、マリー様、エリー様。丁重な祝詞まで賜り、恐縮に存じます」
わたしの声など耳にも入っていないのか、マリーは前置きもなく進み出る。
その行為に、不穏が漂う。
「リリア!わたくしたちを許してほしいの!」
「どうなさいましたか?マリー・デーリッヒ様」
「わたくしたちはローズリーを亡命した。それには、理由があるの!!」
お涙頂戴といわんばかりに、涙声のマリーの声がこだまする。
これは、彼女の必殺技だ。
このテクで、どれだけの王子を落としてきたかは、王室の者以外知らないだろう。
「わたしたち、脅されていたのよ!」
エリーが叫ぶ。
これも、彼女の常套句だ。
姉の後に続き、すぐさまじぶんも便乗する。
二段階の効果を狙っている。
「あの戦争の中、わたしたちは、リーガル国の騎士に捕まったの。彼らは、わたしたちに魔力がないことがわかると、慰み者にしてやると襲ってきたわ。必死でフォースタスやファウスト先生、そしてリリアを探した。けれど、あなたたちは、戦場の最前線に出てしまったと聞いて、逃げる以外手立てがなかったの。召使は死に、護衛もいない。この状況では、無駄死にするだけ。そう思って、国外へ逃亡した。王室の人間として、誇れるべき行為ではないとわかっていたけれど、仕方がなかったのよ」
「そうでしたか。わたくしの見当違いだったのですね。おまえらが、何週間も前から荷を積みだしていたと聞いていたので、てっきり計画的なものなのかと」
その声の主に、二人は形相を変え、ぎろりと見やる。
クツクツと笑いながら、クラウスが二人を眺めていた。
「く・・・・クラウス・・・・」
「わが愚妹よ。良く生き永らえたな。さすが、稀代の性悪だ」
「あなたに言われたくないわよ!!早々に寝返ったくせに!」
「逃げるよりましだ」
クラウスは鼻で嘲笑すると、未だ治まらない笑いをこらえていた。
「わたしたちは逃げたのではない!逃げ延びたのです!あなたに会う為に!信じて!リリアっ!」
マリーとエリーの咽び泣く声を聞きながら、演技なのか、真実なのか。
判断しようと考えていると、隣からシュライスの眼差しを感じた。
凝視し、わたしの応えは待てと伝えているように見える。
視線を交わし、わたしが首肯すると、彼が口火を切った。
「怖いおもいをなさったのですね。王として、謝罪いたします。ときに、マリー様。その騎士の軍服は、何色でしたか?」
「・・・・・い、色?えっと‥‥青、だったかしら」
「その色は、王であるわたしの指揮下にあるソレイユ軍の者だ。わたしの軍の信条は、女子供には手をかけないことなのです。掟を破った場合は、全員死んでもらってきた。もし、その話が真実ならば、この国の主君として看過できる事態ではない。お二人を脅した騎士探し出し、目の前で、わたし自ら処刑します。ですから、どうか、泣かないで」
シュライスの顔から笑みが消え、凛然な表情に変わったことに、マリーは震えている。
「え・・・・えっと・・・・・そう!黒の軍服だったかもしれないわ!」
「黒の軍服は、わがピュレテーレ軍の軍服です。わたしも兄上と同様、規律を重んじる性でして。もし、わたしの直属の部下だったら・・・・あぁっ・・・・自責に念に駆られそうだっ!!ショックで眩暈がしてきた・・・・・。これでは、手元が狂って、その場にいる全員、処刑してしまいそうだ・・・・・」
ロイドが大げさによろめいて見せる。
王と王子の一世一代の演技を真に受けたマリーは、あたふたと動揺していた。
二人の動揺はわかりやすい。
合図を加えながら、視線で会話を始めるのだ。
彼女たちをあえて視界に入れず、彼らのつぎの手を待っていると、横から足音が響いた。
「謁見控え室は、総窓で陽光が辛かっただろう?魔法を使っているのか?」
待ってましたと言わんばかりに、ファントムおじさんが声高らかに野次る。
その姿を、ブラムが細めた目で見つめた。
「シルヴァニア王室貴族の我々は、底辺の吸血鬼とは能力が違うため、皆様のお考えになる野蛮軍功や弱点は当てはまりません。ゆえに、人と変わらぬ生活を送っております」
「ほぉ。それはまた興味深いこと」
ファントムおじさんが顎を触りながら、ブラムと視線を交錯させる。
すると、機を見たファウスト先生が、歩み出た。
マリーとエリーの目が、その姿にくぎ付けになっている。
悲憫にも似たファウスト先生の表情を見て、二人の視線は地面に落ちていく。
「王と王妃の御前ですよ。顔を上げなさい」
戒められ、マリーとエリーは前を向いた。
その顔は見るからに焦っている。
「王と王妃の御霊は、丘の上の墓地で眠っておられます。その隣には、シュライス陛下が立てられた、ローズリー国民たちの亡骸を安置した石碑がございます。二人に情の一念が残っているならば、手を合わせてから帰りなさい」
そう言われても、マリーとエリーはファウスト先生の顔を見ない。
しかし、わたしからは、彼女たちの焦燥がはっきりと分かった。
彼女たちの性根は腐ってると今日まで思っていたが、まだ人間的な感情は残っているのだなと、すこし安心した。




