わたしの恩人は第一王子でした
神との契約を終え、現世に戻ったわたしは、ディミヌエンドの言った通り、体中血まみれになっていた。
いつついたかわからない無数の傷口から大量に流れてしまった血を、気が遠くなる頭で自覚する。
フォースタスに抱きかかえられながら、死ぬのだなと朧げにわかるほど、体が言うことを利かない状態だ。
倒れ込むように神殿に入ると、横たわったわたしの体を、細かい光の粒が体を包みこむ。
しんしんと光が体に浸透していくさまを、虚ろな意識の中でただ眺めている。
あれから、どれくらい経ったのだろうか。
酸素を吸い込むたび、肺が軋むように痛む。
輸血が魔法では追い付かないと、フォースタスが造血薬を精製してくると言って、魔法研究施設に向かった彼を待つことになった。
帰るまでの間、わたしは体力温存することに集中している。
神殿の中は、荘厳な煙が覆っている。
急病や急患がいる場合は封鎖されるため、誰かの顔を見ることもない。
幼いころ。
何か嫌なことがあると、神殿の煙で涙が隠れるので、この場所でよく泣いていたことを思い出し、おもわず笑みがこぼれた。
ぼろぼろの体なのに、昔を思い出せるだけの余力があることに安心してしまうなんて、不思議な気分だ。
暫くすると、だれもいないはずの神殿の中を歩く足音が聞こえた。
フォースタスが来たのかと、片目を開けて音の方向を確認する。
しかし、彼にしては細身の黒いブーツと黒のマントの裾がひらひらとゆれながらこちらへ向かってきていることに、体が強張った。
「あーあ。だいぶ無茶なことしてますね。だいじょうぶですか?」
聞き覚えのない声が神殿中に響き渡る。
「だ・・・・れ・・・・?」
体を起こすが、まだ血の足りていない体は、力なく転がる。
もし、敵であれば、これ以上スキを見せていられない。
「ここには・・・・・どうやってっ・・・・?」
訝しみながら、自力でもう一度体を起こそうとすると、黒いマントの男は、わたしの体を自分の胸元に引き寄せた。
服からは、葉巻の香りと、森の香薫が混ざったような匂いがする。
「ただ事じゃないね。動かないで」
自分の手をわたしの手の上に重ね、聞いたことのない呪文を唱え始める。
あまりに早口で唱えるので、なんの魔法か見当もつかない。
その魔法は、彼の手からじわじわとわたしに伝線し、やがて体を温めていった。
「ゆっくり深呼吸して」
耳元で穏やかに響く声に促されるまま深く呼吸をする。
心臓の奥が熱くなり、血の巡りが戻っていくような感覚が蘇っていく。
冷たかった手に温度が戻り、酸素が体全体に巡る。
ぽかぽかとした体に安心して目を開けると、そこには、銀髪で、ペールグレーの瞳を持った男性が見えた。
「(誰かに似ている・・・・)」
「よし。もう大丈夫」
彼は、わたしの体を神殿の柱にもたれさせてから、踵を返す。
「・・・・ありがとう」
いまだ力の入らない口をぱくぱくさせて出した気弱な声だが、お礼だけはと絞り出すように伝えた。
「いいよ。またあとでね。お姉さま」
親しみやすい笑顔でにっと笑うと、マントを翻し、漂う煙の中に消えていった。
またあとで、と、お姉さま、と言われたことが気になったが、やっと温かくなった体が心地よくて、わたしはそのまま眠りにおちた。
目が覚めると、わたしは自室に運ばれていた。
服もネグリジェに着替えさせられている。
「お体の調子はいかがですか?」
お茶の入っているであろうカップに手をかざし、魔力を込めている最中のフォースタスが、わたしに声をかける。
「もう大丈夫です」
魔力でキラキラと輝くカップをぼーっと眺めながら返事をする。
フォースタスの魔力が入ったお茶は、どんな傷にも効くのだ。
「あちらで何が起きたか話していただけますか?儀式であれだけの血を流すなど、前代未聞です」
「手足の一本くらいは、もげる覚悟でしたよ」
「・・・・・比喩のつもりでした」
「わたしが弱いからいけないのよ」
「リリア様は十分お強いです」
「何十時間も眠りこけているって、自己再生能力が弱いってことでしょ」
「どんなに偉大な魔法使いでも、回復には時間がかかります」
そう諫めると、フォースタスはわたしに手をかざした。
ほわりと温かい光が体を包み込む。
「大魔法使いの儀は、成功ですか?」
「はい。正式に証明をだすために、魔力検定にかけますが、わたしの見立てでは、成功かと」
「わたしが・・・・大魔法使いに・・・・」
ふつふつと感動が沸いてくる。
でも、ディミヌエンドの言う通り、使いこなせなくては意味がない。
「大魔法使いの証はなにかあるの?」
「召喚獣の召喚です。火・水・土・風、それぞれの上級召喚獣を召喚できれば、一人前と見做されます」
「傷が治ったら修行をお願いできますか?」
「傷が、完全に治りましたら承りましょう」
先生の顔になったフォースタスから、受け取ったお茶を飲み干す。
彼の顔を見ながら、これからやらなくてはならないことを考え、深いため息が漏れる。
言うか迷う。けれど、伝えなければならない。
「ディミヌエンドと契約を交わしてきました」
その名前をきいたとたん、フォースタスの肩が震えた。
明らかな動揺。
彼は向き直り、困惑した様子でわたしを見る。
「契約の内容は?範囲は?不履行があってはいけません。解除条件とペナルティは?書き留めて証を残さなければ。神とて、二言はないはず」
手帳を取り出し、真面目な顔でわたしから聞き出す準備をする。
フォースタスの変わらない几帳面さに噴出しそうになったが、飲み込んで、表情を硬く戻す。
「その前に、あなたから聞きたいことがあるの」
「・・・・ご随意に」
「父上と母上が、わたしを神に売ったことを知っていたの?」
目を細めながら地面を見つめ、重たい雰囲気を肩に乗せたように項垂れる。
その様子が全ての答えだった。
「真実なのね?」
応えない彼の態度に追い打ちをかけるように問い質す。
彼は、固く閉じていた唇を綻ばせる。
「真実でございます」
胸の奥の柔らかい部分を、針でつぷんと一突きされたような痛みを覚えた。
彼が真実だと言うならば、今まで起きたことはすべて現実だ。
さっきまで痛みを感じなかった、怪我すらしていない部分が痛む気さえする。
フォースタスの声が怒りに震えていた。
そのことだけが、わたしへの救いだ。
「わたしは反対いたしました。王族で魔力を持つ赤子は人財。数百年生まれなかった逸材であるという理由だけで、リリア様の力を利用することは、人道に反している。神にくべるべき贄ではないと。しかし、当時のローズリーは、産業革命の中で貧困にあえいでおりました。他国の助言を聞き入れない王と王妃の独断専行主義では貿易も栄えず、国益も乏しかった。その影響から、国民の心は弱り、やせ細るばかり。手立てがなく、国将を不安視した王は、神を召喚する禁忌を侵したのです。わたしはそのとき、水源をミュゲに攻め入れられた戦の最前線にいたので、止められなかった」
フォースタスはわたしに近寄ると、大きく温かい手で頬を覆った。
「あなたを守れるのはわたししかいなかったというのに」
悔し気に、目を潤ませる彼の温かい手に触れながら、わたしはこの人に守られていたのだとわかる。
実の親に神に売られようと、それを反対し、守ろうとしてくれた人が一人でもいた。
その事実があるだけで、いまは十分だ。
「フォースタスは、わたしに秘密を打ち明けられる?わたしは、あなたに秘密を打ち明けることができます。家族、のようなものだから。少しづつでいい。ルシアとのことを、わたしに教えてくれませんか?」
ルシアの名前が出たとたん、わたしから目を背けるように視線を落とす。
不安げな瞳の揺れを見ていると、わたしの知らないフォースタスが見えた気がした。
わたしの方から彼の手を包み込むと、意外だったのか、驚いた顔でわたしを見つめる。
「これから、何が起きてもわたしを守ってくれる?」
「はい。命に代えても、リリア様をお守りいたします」
清廉な声。温かい手。わたしにまっすぐに向けられる瞳。
わたしは決意し、ちいさく呼吸をして、彼を忌憚なく見つめた。
「ディミヌエンドは、フォースタスとファウストにじぶんと契約したことを伝えろと言っていました。そして、わたしを導くだろうと。神器の在り処の見当はつきますか?」
「在り処を示した史実は残されていません。ですが、わたしが諸外国を回り、必ず在りかにご案内いたします」
彼の瞳の奥をまっすぐ見定め、わたしは清み声で彼に発問する。
「わたしを、この世界で一番強い魔法使いにしてください。できますか?」
わたしの言葉を聞いたフォースタスの目の奥が揺らぎ、眉根に力が入る。
彼はひざまずき、頭を垂れる。
「仰せのままに」
そう答えを聞いた次の瞬間、急に傷口が痛み出す。
「!!!!・・・・いったぁ、わき腹があぁっ!!!」
「リリア様?!大丈夫でございますか!傷口が開いたのかもしれない!あぁっそれよりももう一度神殿で治癒を施しましょうか!!いや、時間がない!いますぐ魔法で!!」
「大丈夫!だいじょうぶだから落ち着いて!」
そんなやり取りをしていたら、張り詰めていた空気が和んでいた。
フォ―スタスと顔を見合わせる。
「ぷっ・・・・もういいです!きょうはもう、真面目な話はおわり!」
「ふふ。そうですね。・・・・リリア様?きょうもお綺麗ですよ」
フォースタスが唐突にわたしを褒めたことを不思議におもっていると、彼は扉の前に移動した。
「陛下のご訪問です」
足音も聞こえぬ間からそういわれたつぎの瞬間、 扉がノックされた。
「・・・・なぜわかったの?」
フォースタスはドアノブに手をかけたまま、「ひみつです」と小声で囁いた。
開かれた扉の向こうには、眉を八の字にした、明らかに心配していました顔のシュライスが立っていた。
「・・・・っリリア!」
焦った様子で叫び、小走りで部屋に入ると、飛びつくようにわたしを抱きしめる。
きつく抱きしめられ、息ができなくなりそう。
だけど、わたしを抱きしめながら小刻みに震えるシュライスに、嫌とは言えなかった。
彼の肩越しに見える、メイドや執事の凝視する目が痛い。
「・・・・体は?」
「平気です」
「怪我の具合は?」
「よくなりました」
「心に影響は?」
「回復しました」
「――――――よかった・・・・」
込める腕の力を緩ませ、虚脱するように椅子にもたれる。
彼の目元を見ると、うっすらとクマが見える。
「陛下。こんなことでショックを受けていたら身が持たないですよ」
「じゃぁ、ぼくの体のためにも魔法使いをやめてほしいな」
「それは嫌」
「頑固だなぁ・・・」
頭に置いた腕越しに、ちらりとわたしを見たシュライスが笑った。
「わが主は、心に忠実なのです」
「きみの教育の賜物だね」
ため息交じりに肩をすくめ、フォースタスからティーカップを受け取る。
よくよく見ると、彼の服装はいつもと違っていた。
黒軍服で、腰には赤いタッシェを巻き付けている。
紋章の入った剣を携えた正装は、高貴な身分の人間と会うときの恰好なはず。
「謁見ですか?」
「親族が来ているんだ。剣が好きな奴だから一戦交えようとおもって着替えた」
「王族の方ですか?」
「今から紹介するよ」
シュライスが目配せしたその先には、銀髪の男性がいた。
にやりと上がった口角。ペールグレーの瞳。
――――見覚えしかない。
「どうもー」
「あ!!!!あなたはさっきの!!!」
わたしが大きな声で叫ぶ声に、全員の視線が彼に集まる。
シュライスが右往左往しながらわたしと彼の顔を交互に見返す。
「・・・・さきほど、危ないところを助けていただきました・・・・」
昔話によくありそうなフレーズを口走ってしまった。
「元気になられたようでよかった」
彼は颯爽とわたしの目の前に跪き、頭を垂れる。
「この身分ではお初にお目通りいたします。わたしは、リーガル国第一王子ロイド・ハイム。以後、お見知りおきを」




