わたし、神様の嫁でした
「えっと、ディミヌエンドさん・・・・様」
「はーい?」
「あなたは、神様、ですか?」
「うん!この世界で神様やってマス♪」
お茶らけた口調に、力み切っていた体の力が抜ける。
へたりと地面に座り込んだまま、頭の中を整理していると、色素の薄い金色の瞳で、ディミヌエンドがわたしの顔を窺う。
「ぼくに会いたかったんだよね?」
神だと言った彼は、口元のほくろを上げた満面の笑みで、わたしの手を取った。
その笑顔の中にたまに見える、何かを含みえた表情が、わたしから返す言葉を封じていた。
「おいで」
その言葉と同時くらいに、わたしの足元が宙に浮いた。
魔力で降りようと試みたけれど全く歯が立たない。
そのことをあざ笑うように、ディミヌエンドはわたしを見下げて微笑んでいる。
彼の徒ならぬオーラに完全に気圧されていた。
佇まいからして普通の魔法使いではない。
取られた手を離すことができず、ふたりで浮遊していく。
白一色の空間の中を上がっていくと、突然、周囲が闇に包まれた。
一点の光もない深い闇。
得体のしれない恐怖で、手を握る指が力む。
私の反応を横目に見ながら、綺麗な唇から微笑みとともに囁きがおちる。
「やっと、会えた」
わたしの体が羽のように吸い込まれていき、彼に体を擁され、空の匂い。風の匂い。自然の匂い。すべての安心する匂いに包まれた。
長い髪の毛はさらさらしていていい香りがする。
ディミヌエンドが、指をパチンと鳴らす。
すると、つぎの瞬間、黒一色の空間に宇宙空間が広がった。
「これは・・・・」
「この星を包んでいる異空間。宇宙だよ」
遠くでは、惑星がくるくると回り、月と太陽が自転している。
頭上を隕石のようなものが通り過ぎていく。
チラチラと光る星、煙のように流れるオーロラ。
今まで見てきたどの風景よりも、荘厳で美しいと思った。
漆黒の闇の中に在るのに、足元にある星のおかげで眩しいほど明るい。
あまりに荘厳な空間に呆気にとられていると、ディミヌエンドが、わたしの顎を指でつかみじぶんへと集中させる。
「王と王妃の本当の最期をみて、どうおもった?」
そういわれて初めて、さっき見た光景がフラッシュバックする。
血の匂い、鉄の焦げるにおい、人の匂い、土の焼ける匂い。
すべてがまざまざと蘇り、涙が零れそうになると、再び彼の細い指が頬を伝う。
「王族の一員として、誇りに思います」
「きみを置いて逃げたのは事実なんだよ。それでも?」
「それでも、です」
彼は何も言わず、白いまつげの目を伏せた。
やがて表情を変え怪しく微笑むディミヌエンドの顔に不穏さが漂ったことに身構える。
「リーガル国王妃、リリア・ハイムに告ぐ。ルルーシュ一族の契約不履行により、禊として我の願いを叶えろ」
瞳に、暗く濁った水のような揺れを湛えている。
ディミヌエンドは、わたしを見定めていた。
言葉自体は命令なはずなのに、彼の威厳を纏ったオーラと清廉な声で、優しく労わられるような感覚があることが不思議だ。
「ルルーシュ一族はわたしと契約した。魔力をもつリリアを捧げる代わりに、ローズリー国の平和を守ってほしいと」
何を言っているのかわからなかった。
わたしを神にささげた?
混乱し、目線をとどめる場所に思案していると、ディミヌエンドがふわりとわたしを抱きしめ、耳元に口を寄せ囁く。
「彼らはきみを神に売ったんだ」
「わたしを売った?」
「そう。きみは、神様のお嫁さんになる「はず」だった」
「およめ・・・・さん?」
「そう。ぼくのお嫁さん」
悪戯っぽく微笑むとわたしの額にこつんと額を合わせた。
その表情は、先ほどまでの柔らかい笑顔ではなく、悲しそうだ。
「ローズリー国は数百年に渡って、契約通りわたしが護っていた。しかし、当代の王は、今までの恒久的な安定をじぶんたちの実力であるかのように胡坐をかき始めたんだ。そして、わたしに提案してきた。供物をささげる代わりに、森羅万象、全ての災いから護ってほしいと」
「神に奉献する場合、儀式が必要です。そんな儀式聞いたことがありません」
「人命を捧げる儀式は、血がつながっていれば独断で行える。王室や王族の類であれば、政の有事に血縁縁者を捧げるのは慣習的な考えだからね」
「そんな・・・・・」
ということは、父上と母上は、勝手に神にわたしを捧げたという事になる。
嫌なきもちが込み上がって、胸の奥に苦い思いがこみ上げた。
「君主たるもの、成長を止めてしまえばただの耄碌。やがて王と王妃は、戦や国の基盤をきみとフォースタスにすべてを委ね、主君としての矜持の在り方を変えてしまった。彼らの最期の勤めを見ていても、アレは民を統べるべき器ではなくなっていた。きみを捧げると言いながら一向に渡さなかった。理由は簡単だ。もはや、きみに依存する他に、王族としての威厳が保てない状況まで追い込まれていたんだからね」
ディミヌエンドは、わたしの手を取り歩き出す。
宇宙空間ではあるのに、足は踏みしめられ、酸素もある。
重力で圧死するような苦しさもないし、太陽の暑さもない。
――――これは幻覚。
もしくは幻影を作り出している。
それも、特大級に精巧で、緻密な空間だ。
「わたしは、成人の儀の終わりと共に、きみをわたしの元に連れてくるように言った。しかし王は、きみの力と求心力を手元から離すのが惜しくなった。それだけきみが、彼にとって有益な働きをしていたんだろう。王は、フォースタスをつかって魔力壁を張り、わたしとローズリーの土地を強引に切り離した。その影響で国からわたしの守護が剥がれた。その結果、リーガル国から付け入りやすい国正となったわけだ」
「そんな・・・・・」
「信じられないよね?きみにとって彼らは優しい父上と母上なのだから。しかし、その実は盲目的な権力者。神の手を借りながら、じぶんたちがその力さえも優位に動かせると無上の神であると錯誤し、死んだ」
吐き捨てるように言い放つ。
抱かれた彼の腕にぎりぎりと力が入っているのが伝わってくる。
「リリアに会いたかったよ。ずっと待っていたからね」
目を細め愛でるような視線でわたしを見つめる。
この人が、神様。この世界を創った人。
―――だとするならば。
「わたしが転生者なこともご存じなんですか?」
「知っているよ。前世で苦しんで死んだのに、転生しても苦しみの中にいるなんて。運命とは不可測なものだね」
ディミヌエンドは自嘲気味に笑う。
だけど、わたしの心は晴れやかだった。
「でも、わたし、この世界で魔法使いになって、幸せです」
前世では、社畜のような扱いを受け人権なんてなかった。
生きている心地もしない。
そんな毎日しか記憶になかった日々からこの世界にやってきた。
ここでは、魔力を持ち、魔法が使え、人に必要とされる。
そのことに幸せを感じているのは事実だ。
しかし、目の前にいるディミヌエンドの瞳は曇っていく。
「伝統の修行は大昔にわたしが廃止した。にも関わらず、リリアに魔力があるとわかると、王はいとも簡単に掟を破りってきみに受けさせたんだよ。あの修行も、戦争の為に魔道具や魔法を創らせられていた過去も、きみは赦すと言うのかい?」
言語化するとすごく残酷に聞こえた。
たしかにそうだ。
思い出してみれば、子供に向ける愛情表現にしては過激だし一歩間違えれば虐待にも見える。
トラウマがないわけではなかった。
「でも、そんなことも忘れるくらいに、いろんな人に出会えました。修行中はシオンやフォースタスがいてくれたし、魔法使いとなってからも、たくさんの人に支えられました。わたしが戦争に使われていたことは、正直ショックです。何も知らなかったから。だけど、もう、終わった。わたしの代で終わらせます。終わったのなら、新しく始めるだけだと思うんです。わたしは、それを始めたいと思います」
「なにを?リーガルを奪取してローズリー国を再建しなおす?それとも、リーガル妃殿下として、何かを成し得たいと?」
「再建しなおします。そのために、わたしには力が必要なんです」
「今のこの国に神の庇護はない。ぼくは剥がされてしまったからね。精霊や自然力、土地に着く魔法使いの気によって辛うじて守護されている状態だ。きみの味方は、生きているもの以外いないよ」
「この土地を、守護してくださいませんか?」
汲み取るように、彼の腕が優しくわたしを引き寄せる。
「ぼくはさっききみに命令したんだよ。そのお願いを聞くのが先なんじゃない?」
「そう・・・・ですよね」
「あの世界に迫っている現状を話そう。そちらの方が早急だ」
ディミヌエンドは、足元の惑星に体を下ろしていく。
ぐんぐん近くなる青い星を見ながら、底知れない空間の広さに肌が粟立った。
「シュライスには苦い過去がある。常人には理解しがたい深い闇に包まれた混沌とした過去だ。その苦渋の経験を原動力に彼は動いている。しかし、これ以上いくならば止めなくてはならない」
「なにか起きるのですか?」
「彼に感化された各国の要人たちが深淵から目覚めたように戦に動き出している。このままいけば、世界全体を巻き込んだ大戦争になる」
ディミヌエンドは足元に手を差し伸べた。
すると手のひらから細い光が線のように落ちていく。
線がぶつかり、点を突いた瞬間。
惑星が火を噴いたように赤くなり、紙に火をつけた様に炎が焼け広がっていく。
「七年後、世界は業火に焼かれ、生物はすべて死に絶えるだろう」
燃え切った惑星は、消し炭となって崩れ落ちていった。




