両親がいた部屋で懐柔されました
みんなに会えてほっとしたのもつかの間。
早々にわたしがメイドたちに連れてこられたのは浴室だった。
「王から求婚をされた女性は、婚前夜に身を清めたあと。王の部屋へ行く慣わしがございます」
最近名前を教えてくれたメイド頭のステファニーが説明する。
「これは、陛下のご命令ですか?」
「命令ではございません。しかし、陛下の母君もそのまた母君も受けてこられたハイム家に代々伝わる慣わしでございます」
乳白色のとろろとした液体に身を沈めると、濃厚な花の香りに包まれた。
「シュライス陛下も同じ沐浴をされております」
なぜそんな報告をするのかとおもったけれど、女の直感というのだろうか。
ステファニーが言わんとしている意図が分かった気がした。
恐らく、閨を共にしろうということだろう。
入浴を済ませるとメイドが部屋着をもってくる。
服の上にはメッセージカードが添えてあり、「小さな小鳥へ」というなぞかけのような言葉とともに「S」の封蝋が押されている。
Sからは部屋着が毎日届く。
それらは高級品だろうとだれもがわかる品ばかりで、きょうはシルク生地をたっぷりと使ったネグリジェだった。
わたしは、あくまで「命令に従ったから行くだけ」という既成事実を胸に、送り主の部屋に向かう。
二十歳の誕生日の前夜。
リリアはもう子供ではなくなるからと、最後に父と母が自室に招いてくれた。
雷が轟く夜、豪雨に揺れる夜、泣きたい日、なにかあるとこの部屋に逃げ込んだ。
窓から月の光がやさしく降り注ぐ大好きな部屋の主はもう父と母ではないことに小さな痛みを覚えながら、わたしは扉の前にたどり着くと、深く深呼吸した。
「失礼いたします。陛下、リリア王女をお連れいたしました」
「どうぞ」
内側から扉を開けたのはフェレスだった。
ラフなワイシャツにパンツ姿で目つきも鋭くない彼の様子は、夜ということもあって、穏やかに見える。
後ろでは白のパジャマに茶色のガウンを羽織ったシュライスが、傍らに分厚い本を数冊持ったままティーポットから紅茶らしきものを注いでいる。
ちらりと視線で合図する彼を見て、わたしは部屋の奥へ歩みを進めた。
部屋の中を帳の様に漂う家庭的な雰囲気。
父上と母上の住んでいた面影は未だに濃いままだ。
日に日に増える知らない調度品。
知らない色に、知らない物。
徐々陰りつつある残り香を確かめるように部屋全体を見渡していると、心の中からこみ上げるものがあった。
まだ、慣れそうにない。
「城内の書庫を拝見したら、素晴らしい蔵書の数々を発見してね。きみにも読んでほしくて持ってきたんだ。勝手に持ち出して申し訳ない」
申し訳ないと述べるその顔から微塵も謝罪の色は見えなかったけれど、彼の様子と声色一つで「謝辞」を演出できるのはシュライスの才能なのだろう。
「失礼いたします」
一言述べたフェレスがシュライスに一礼し、扉を閉める。
二人だけになったことに安心しつつ、ゆっくりと本のページをめくるシュライスの横顔を見ながら、大量の本に目をやる。
「何の本を持ってきたの?」
「ローズリーの家系図、自生する薬草図鑑、歴代の軍服の写真集だよ」
シュライスはそばにあった大きめのオットマンに腰かけると、まるで漫画の発売日に新刊を手に入れた少年のように熱心に読みふけり始めた。
テーブルの上には、見覚えのある二つのティーカップがある。
王と王妃が生前使っていたお気に入りのデザインのものだ。
エメラルドグリーンにバラの紋章。
ぐるりと金が一周するつくりは品があって、二脚揃うと仲睦まじく寄り添っているように見える。
湯気の立つティーカップを手に取ると華やかな芳香が鼻を抜けていった。
「良い香りね」
「気に入ってくれた?婚約披露の時各国に配ろうと思って作らせたんだ」
シュライスが茶葉の説明をしながら、満足げな様子でカップに口をつける。
「きみの名前を冠して「リリア」って紅茶にしたい」
「わたしの名前を?」
「リリアがぼくだけのお姫様だって世界中に教えられる」
シュライスが遊び人だとか女癖が悪いと聞いたことはない。
だけど、彼は綺麗な顔と甘い声で息を吐くように口説いてくる。
その度に心臓の早鐘に対応しなくてはならないわたしの身にもなってほしいとおもった。
わたしは「そう」と薄い反応で返しできるだけ平静を装ったあと、残りのお茶を煽り飲みながら、カップで顔を覆う。




