大賢者とわたし
城内でも底冷え厳しい北の塔に人が近づくのは稀だ。
「悪いことをすると北の塔に閉じ込めるよ」
そう脅されるほど怖い場所でもあった。
部屋はあるのだが、使用人やメイドたちが使う棟も兼ねているので広い部屋はない。
ローズリー国の大賢者であり、過去にはこの世界を掌握までした魔法皇帝でもあった彼を置くには忍びない。
彼を一刻も早く解放したくて無意識に急ぎ足になる。
「そんなに急がなくてもフォースタスは生きてるから大丈夫だよ」
背後からゆっくりと歩みを進めながらシュライスが叫ぶ。
なぜかついてきてしまった彼を横目に、フォースタスが軟禁されているという火の鳥の彫刻の彫られた扉の前にたどり着いた。
「公務はよいのですか?」
わたしの質問に答えることなく、シュライスが扉に手を触れる。
すると、扉全体が仄かに光りだした。
「解除」
呪文に呼応し、扉が開く。
中に入ると、大柄の男性が驚いた様子でわたしを見ている。
「リリア王女!!!」
わたしの名前を叫ぶ、黒瑪瑙色の長い髪の端正な顔の男性。
片目にモノクルメガネをかけた深黒の瞳がひどく揺れている。
「・・・・申し訳ありません」
苦苦し気に悔恨を口にする彼を見ていると、胸が張り裂けそうなほど痛くなる。
「・・・・謝るのはわたしのほうです。この国の象徴である大賢者を、こんな場所に閉じ込めてしまった。王室の人間として謝罪いたします」
「わたしのことなどどうでもいい!お怪我は?不調はございませんか?」
フォースタスはおろおろしながら、いろんな角度からわたしを見る。
その様子が懐かしくて、思わず微笑みがもれた。
大賢者は、持ち得る知識、魔力、知見、すべてが規格外で、一説には神の生まれ変わりとも言われている。
大魔法使いとして君臨したのち、数百年に及ぶ禊の洗礼を経て魂を浄化し、神の加護を与えられた魔法使いのみが成ることができると言われているが、その実態はわかっていない。
ただ、彼が一介の魔法使いだった時代に、魔法皇帝として世界を掌握し暗黒時代を作った張本人であるという史実は、この世界のだれもが知っている。
彼がローズリーに来たのは、わたしが転生してきてすぐのことだった。
暁の時間。
わたしは、バラの香りと血の匂いで目覚めた。
ただ事ではないと思い匂いを辿っていくと、門前に傷だらけになった男性を見つけた。
衛兵とともに彼を運び込み、神殿で治療を施した。
数か月もの間眠ったまま起きることはなかったが、目を覚ましたとたん、自分を助けた人間に会わせてほしいと申し出たという。
会いに行くと、長い髪を結わえ、端正な顔立ちを顕わにした男性の姿があった。
鈍色の軍服に身を包んだ姿は気品にあふれていて、数か月前とは別人だった。
彼はわたしの前に跪くと、誓いを立てるように静謐に話す。
「わたしの名前はフォースタス。大賢者です。リリア・ルルーシュ。わたしは、この魂をあなたに奉仕すると決めた。何なりとお申し付けください」
この日以来、彼はわたしのそばで国を支え続けてくれている。
大賢者が一つの国に与することは珍しいそうで、父上も母上もとても喜んでいた。
彼は、ローズリー国での役割が欲しいとときには家庭教師、ときには執事、時には魔法の先生を自ら買って出て、三王女に教えを説いてくれた。
本や教科書よりも詳しく、数百年前の歴史や知見を話す彼の授業は楽しくて、レディとしての作法、品の良い所作、しきたりやマナーなども彼から教わった。
その傍ら、地上最強と言われる魔力と覇権をもって、戦争を未然に防ぐ戦線協定の役割も果たしてくれていた。
幾度も彼の一言で、他国からの進軍が治まり戦争が鎮火してきたのを目の当たりにしながら、賢者たる由縁に感動していた。
これだけすごい人なのに、周囲には平等に優しく接しながら、平民にも貴族にも分け隔てなく力を貸してくれる。
悲しいときも、つらいときも、うれしいときも、幸せな時も、いつもそばにいてくれたもはや家族のような存在。
温もりのある低い声で諭し、話があるときは、高い背をわたしに合わせ屈みこんでくれる。
大きな手は、繊細なお菓子を触るみたいにいつもやさしくわたしの手を包んでくれた。
「戦場に駆り出すあなたを止めず、父上と母上の最期を見せてしまったこと。そして、敗戦後、お傍でお守りできなかったこと。後悔の念に耐えません」
背中を落とし、床を見詰めながら言葉を零す。
大きな体を小さくするフォースタスが見たくなくて、わたしは彼の手をとり顔を上げてもらう。
「明朝、わたしはリーガル国の王妃となります」
フォースタスの瞳がわたしの背後を射貫くよう凝視した。
その矛先がシュライスなことはわかっているけれど、彼を諭すように話を続ける。
「王室貴族たちにはもう伝えました。これから国民と面会に行き、彼らにも説明します。わたしが妃になった同日、ローズリーの民は身分に関係なくすべて解放される。そのとき、あなたには彼らの行く道を照らしてあげてほしいのです。フォースタスのいう事ならば、みな異論はないはずだから」
「わたしは反対です」
彼の瞳の奥に炎が宿っていく。
背後と目の前にある敵意の視線に挟まれながらも、わたしは彼を説得することに集中した。
「王女としての最後のお願いがあります。結婚式に来てほしいの」
沈んだ瞳に光が射しこみ、震える唇が動き出す。
「・・・・身に余る光栄にございます」
潤んだ瞳は底が見えそうな程透き通っていて、その綺麗さにわたしまで泣きそうになった。
「わたしのハレ舞台なのよ。あなたにはそばにいてほしいのです」
「ご随意に・・・・」
「・・・・ありがとう」
フォースタスの悲哀に満ちた目は潤んでいた。
この目を、あと一秒でも見ていたら、泣き叫びだしそうだ。
「フォースタス・オスキュルテ。きみが従えている魔道騎士団は、明日の式が終わり次第、解放する。君の身も自由だ。希望があれば、以前と同じ称号のままリーガル国で従事させよう」
シュライスの提案に眼光を光らせ、今にも魔法を放ちそうな危険な雰囲気を漂わせた。
「おまえはこの国をどうする」
「きみには関係ないよ」
「リーガル国は王の躾が成っていないな。わたしをリーガルに与させる?滑稽にもほどがある」
「婚約に関してはきみの許可は必要ない。だけど、祝福してほしいんだ。ぼくは必ずリリアを幸せにする。それをそばで見ていてほしい。ぼくからきみへの命令はそれだけだよ」
「お前に言われなくても、彼女から離れる気はない」
「そうだろうね。部屋中に結界を張らせて、扉にも封印を張っているのに、リリアの周囲には常にきみの気があった。これからは堂々と彼女を護れるね」
言葉とは裏腹に穏やかな顔で微笑みかけたあと、背を向け出て行った。
わたしがフォースタスの手を強く握ると、応じるように彼も返す。
「あなたが生きていてくれてうれしいわ」
深黒の瞳が垂れる優しい微笑みの彼を見ていると、その向こうにある懐かしい過去が蘇り思わず泣きそうになるので、話題を変えることにした。
「ちゃんとたべているの?」
「はい。三食きっちり」
「体は?なまるんじゃない?」
「看視付きですが、日に一度外出はしております」
「夜は寒いでしょう?明日まで辛抱してくださいね」
「ありがとうございます」
世間話を一通り終え、沈黙が流れるとフォースタスが耳元に顔を寄せる。
「何者かの手によって、他国による理が敷かれました。既にレティシア様が神殿に向かい事態を調べておられます」
理は国の規範を変えられる。
一大事だというのに、わたしは気が付けなかった。
「そんな・・・まさか・・・・」
「無理もありません。常にシュライスがあなたの周囲を看視し、勘づかれないよう、外域との間に強力な結界を張っていますから。術者は相当な手練れですが追跡が間に合っておりません。わかり次第ご報告いたします」
再び訪れた沈黙は重い。この部屋を出たくない。
そんなわたしの気持ちが伝わったのか、フォースタスが諭すような顔でわたしを見る。
焦る気持ちを押し込み、後ろ髪惹かれる思いでドアの外へ出た。
「列席用の正装は届けさせます」
「畏まりました」
頭を下げるフォースタスの姿を見ながら、名残惜し気にドアを閉める。
少しやせた体。線の細くなった指。
節々に見た様子の違いに胸が痛んだ。
理が敷かれたのはシュライスの命令だろうか。
なぜ、いま?
頭の中が沸騰しそうになった時、横からため息が聞こえた。
「恋人同士みたいだったね」
シュライスは窓の外を眺めながら眉間にしわを寄せている。
横柄な態度と言葉に、彼をおいて歩き出す。
「彼はわたしの家族です。昔から知っているでしょ」
「・・・・リリアを守るのはぼくだけでいい」
「フォースタスは私を守ってくれた実績がある。あなたにはまだない」
吐き捨てるようにそう返事をすると、シュライスに抱き留められる。
もう夜、とはいっても、この棟には人が生活する部屋が幾つもある。
兵士やメイドがいつ来てもおかしくはない。
周囲に弱みを見せない彼らしからぬ行動に驚きながらも、彼の早鐘のような心音が心配になる。
「シュライス?」
「王妃になるのがいやなら、明日、ぼくを殺していいよ」
「それは、正当な勝利とは呼ばないわ」
「そうだろうね」
「わかっているなら、二度とその言葉を吐かないで」
「・・・・・ごめんね、リリア。許して?」
叱られた犬のような顔で反省している。
なるほど。これが「あざとい」か。
彼が自分の武器を熟知しているのは、最近になった身に染みている。
「国民に会いに行きます」
踵を返したわたしの目の前に、先を阻むようにクラウスが現れる。
おもわずシュライスを見るが、微動だにも反応しないところを見ると、彼の命令で来たのだろうと覚った。
「王妃さまの警護を仰せつかりました」
ぶっきら棒に言った後、気怠そうにため息をつく。
その傲慢な態度にわたしは釘をさすことにした。
「国民を裏切った反逆者はご遠慮いただけるかしら」
「感動の再会を邪魔するつもりはない。安心しろ」
クラウスはそう言い残すとマントを翻して先を進んだ。
わたしは睨むようにシュライスを見る。
「ぼくは頼んでないよ。彼から言い出したんだ。クラウス様はリリアの事が大好きなんだよ」
「へぇ・・・・」
わたしもぶっきら棒に答えてから、前を行くクラウスの背中を追った。




