首輪をつけられて怒られました
部屋の隅に控えるように立っていたファウスト先生とクラウスに歩みを進めると、ファウスト先生が腕を広げて歓迎してくれて、わたしは一気に気が抜けた。
「立派でしたよ、リリア。いい子ですね」
ファウスト先生が子供を褒めるように頭をなでながらそう言うので、リーガル人しかいない室内なことを忘れていたわたしは、すこし恥ずかしくなる。
そして、視界の内にいる気難しそうな顔のクラウスの目線は、次第にわたしの背後にいるシュライスへと移っていたのを見逃さなかった。
挑むような訝し気な視線は、クラウスが本気になったときの目だ。
「どうかなさいましたか?」
シュライスの柔和な声音が広がると、一斉に彼の視線を辿った大臣たちの目線が、クラウスに注がれる。
凝視の視線をもろともしないクラウスは、外野に興味はないと言った不機嫌さを纏いながら目の前にいる王だけを見据えている。
応じるよう見開かれたシュライスの金色の瞳が徐々に細まる。
二人が牛歩している隙にと、ファウスト先生がわたしの耳元に顔を寄せた。
「フォースタス先生はご無事です。ローズリー貴族たちは魔法研究所に従事し、恙無く生活しています。ハーネストクラスの三人も健勝ですよ」
じわりと胸の中があたたかくなった。
走馬灯のように思い出され、涙で目の前が潤む。
宥めてくれるファウスト先生の横にいたクラウスが、泣き出しそうなわたしの顔を横目で諫めたあと、小さくため息をついていた。
やがて張っていた虚勢を解き、うなだれる。
張り詰めていた空気が緩んだ瞬間、シュライスが口火を切った。
「大臣たちが晩餐会を用意したようなんだ。メイドを付き添わせるからから、リリアは礼服に着替えておいで」
心なしか嬉しそうな声色なことはわたしの心にひっかかりはしたけれど、何時間もかけて調印し、恨みつらみを押し殺した作り笑顔で消費した体力をごはんで回復させる方がいまは得策なので、わたしは彼の前で恭しく頭を下げた。
「承知いたしました。陛下」
「ぼくも準備ができたら迎えに行くね」
そう言い残すとシュライスは数人の大臣たちを引き連れ、部屋を出ていった。
わたしたちの一連の話を、外野のように聞いていたファウスト先生とクラウスは、眉根を歪めながらその背中を凝視する。
「あの男の面構えは読みずらい。純真なようでその実、悪逆なことを情動以外の感情でやってのけてきた気概がある」
クラウスは眉根にしわを寄せながら逡巡し、消え入るシュライスの後姿を見ているが、わたしは口を尖らせて彼に反論した。
「でも、クラウスはそんな王に与したくてリーガルに寝返ったのでしょう?」
「あの男に仕えているのではない。戦勝国だから仕えているだけだ」
クラウスが何のためらいもなく反論したので、それ以上何も言えずにいると、ファウスト先生が静かに口を開く。
「王たるもの、臣下や側近、ましてや他国の者に心中の思惟を見破られるようでは一国の沽券に関わります。稀有な美貌を使い、民衆の支配者として相応しい人格者であると信仰させることは、王家の威信を保つための処世術でもある。彼はそう簡単に尻尾は出しませんよ」
「その清廉君主の鑑で、リーガル国内では銀騎士の称号を持つ腕前である陛下の剣の教師となったということは、ローズリーの戦法もご丁寧に手ほどきなささったのでしょうね?センセイ」
棘あるクラウスの言葉を意にも介さず、ファウスト先生は蠱惑的に笑いながら零すように返事をした。
「さぁ。どうでしょうね」
もし、ファウスト先生が、ローズリーの戦い方や魔法の扱い方、そして召喚魔法などをシュライスに伝えているとしたら、わたしたちにとっては確実に敵になる。
二人の間でどんな契約が行われたかわからないが、注意は必要だとはうすうすおもっていた。
「軟禁ではなく、自室で食べる三食の食事と、アフタヌーンティーにハイティーつきの生活が保障され、一日六時間の剣の稽古をするだけで、市民平均の一か月分のお給金が毎日配給される。満ち足りていて、傍から見れば優雅で幸せだ。しかし、ある日わかるんですよ。小さくほころんでいく己の怠慢と堕落に。そして、図るようになる。わたしはフォースタス様の一番弟子で、リリアを筆頭とした王族、その他親族たち全員の先生だ。そこにはもう揺るがない矜持が出来上がっている。誇りや名誉を売り払うほど、わたしは酔狂ではありませんよ」
クラウスはふんと鼻を鳴らすと、何も言わずに部屋を出て行く。
わたしは、まっすぐな視線でクラウスの背中を見送るファウスト先生の澄んだ紫の瞳が揺れているのを、ただ眺めていた。
温かい眼差しが彼の顔から消えない限り、わたしはファウスト先生を信じようと思った。
それが愚かで隙のある選択だったとしても、転生してきて心細かったわたしに生きる術を教えてくれた先生であることは変わらないのだから。
間を図ったようなタイミングで、メイド頭を筆頭とした数人のメイドたちが、わたしの前で一斉に跪く。
「自室にお召し替えを用意させていただきました。お手伝いさせていただきます」
「・・・・わたしの許可なく部屋に入ったの?」
「リーガルのしきたりですので」
「一人で着替えられます」
「申し訳ありません。付き添いは陛下からのご命令ですので」
業務的な言葉を並べ立てる彼女たちを感情的な自分の言葉で押さえつけるのは違う気がして、ファウスト先生が宥めるようにわたしを見やるのを視線に入れながら、黙っていたら流れるように出てしまいそうな反論を飲み込んだ。
メイドたちを横目に、後ろを気にせずわたしは自室を目指した。
明かりが灯った自分の部屋は、外出中に手入れが施されたのか、埃一つないほどきれいに清掃されていた。
部屋にはユリの花が飾られ、華やかな香りが部屋中を包んでいる。
寝室のベッドの上には、繊細なレースが施された見たことがない白のドレスが置かれていた。
「陛下からの贈り物でございます」
先頭に立っていたメイドが、後ろで忙しなく動きながら説明する。
手で触るとすぐわかるほど良質なオーガンジー生地の上から、首周りに幾重にもなったチュール生地のフリルが施され、光る石が品よく散りばめられた、まさに夜会用のドレス。
「ご準備いたします。こちらへお座りください」
促されるまま化粧台に座ると、見たことのないブランドの化粧道具が並んでいた。
「リーガル国産で最高級化粧品をお持ちいたしました。今後、お肌に慣れていただきたいので、使用させていただきます」
「わかりました」
芳しい花々を閉じ込めた様な香りがする白粉。
肌に乗せると品よく色づく頬紅。
蜂蜜を閉じ込めた様な光沢感のあるグロスのような口紅。
仕上げには、部屋にあるユリを体にまとわせたかのような花の香水を振りかけられた。
白のドレスに身を通すと、撫でつける生地の滑らかさにおもわずうっとりする。
支度の全てが終わり、部屋に置いてある大きな鏡の前に立って自分の身なりを確認するとメイドたちが鏡越しに覗き込んだ。
「とてもよくお似合いですわ!」
メイドたちは口々にそう言って拍手したが、なにか大仰で、わたしは儀礼的な微笑みをぎこちなく返す。
でも、白いマシュマロの様に仕上がった肌に、ピンクの頬、茶色の瞳が際立つように上げられたまつげと品の良いアイライン、リップで潤んだ唇は、プロ技術の賜物だと唸る程の出来栄えだったことは、さすがだなと思った。
見計らったようにドアが三回ノックされ、室内中の視線が扉に注がれる。
「陛下がお迎えに参りました」
その一声に、メイドたちが扉の横に整列し、身だしなみを整え始めた。
彼女たちからしても、シュライスは羨望の相手なのだろうな。
そんなことを考えながら、わたしは「どうぞ」とだけ返す。
扉が開かれた瞬間、部屋に充満していた香水とは違う爽やかな香りが入り込む。
その変わり様に、息をのんだつぎの瞬間。
扉の向こうにいたのは、白のシルク生地のワイシャツに同系色のパンツ、赤のサッシュを腰に巻き、貴公子然とした雰囲気のシュライスだった。
メイドたちの熱気と、沸き立つようなざわざわを肌で感じる。
わたしも、その佇まいの美しさに絆されつつあった。
髪は洗い立てのようですこし湿気を帯びている。
それさえも演出なのではないかと思うほど、彼本来の品を引き立たせる材料にしていた。
鏡の前にいたわたしの後ろに立って両肩に手を添え、こちらを覗き込む。
彫刻のようにきれいな顔を耳元に近づけ、わたしにだけ聞こえるような微声で囁きかけてきた。
「きれいだよ。リリア」
わたしの視線を捕らえるように目を離してくれない。
その行為に、思わず体温があがった。
それに、いい香りがするから、鼓動が煩い。
「・・・・ありがとう」
「ぼくが選んだドレスを着てくれたんだね。うれしいな」
初めて会った時と変わらない無邪気な顔でそういわれると、簡単に否定はできなくなるからずるい。
鏡越しに見えるメイドたちは、両手を胸の前で組みながらキラキラした目でわたしたちを見ていたので、わたしは恥ずかしくなって振り切るように自室をでた。
「早く行きましょう!」
「リリア?ちょっと待って!」
呼び止められて振り返ると、シュライスは自分の胸ポケットから細く繊細な何かを取り出した。
「きみに似合うと思って持ってきたんだ」
嬉しそうにそう言うと、わたしの首に手を回してシュライスがネックレスをかけた。
胸元を飾るトップチェーンには、リーガルの紋章とユリの花が刻印されていた。
紋章の入った装飾品は、王族の人間、または国にとって重要な人間以外は身に着けてはならないと言う暗黙のルールがある。
それを思い出したわたしの胸の中は大混乱で、はじめてシュライスからもらったプレゼントに勝手に顔がほころぶ。
その瞬間、シュライスの顔越しに、待ち伏せでもしていたのかと思うくらいタイミングを合わせて現れたのはクラウスだった。
まるで、この世で因縁がある相手を見つけた様にこちらを凝視している。
彼は勘がいい。
そして、寄宿舎で一緒だった時代、わたしがシュライスを好きだったことを知っている。
わたしが浮足立っているなんてわかったら、何を言われるかわからない。
クラウスの姿を見たとたん、感謝の言葉とは真逆の言葉がわたしの口から飛び出す。
「・・・・わたしに首輪でも付けたつもり?」
その言葉にも引くことなく、シュライスはわたしを見ながら目を細める。
「気に入らなかったなら、引きちぎってくれて構わないよ」
「そんな野暮なことを淑女にさせるのがリーガルのしきたりなのですか?」
儀礼的な言葉に切り替わったことに、シュライスの眉が怪訝に吊り上がり、わたしに合わせて口調を変えた。
「失礼。ならば、わたしが引き取りましょう」
「パーティーが終わってからお渡しいたしますわ」
「わかりました。では、参りましょう」
シュライスが差し出そうとした手をとることなく、わたしはクラウスのそばを通り過ぎる。
上から下まで眺めまわした後、射貫くように視線を合わせてきた。
こういう時の彼は、油断できない。
「リリア。晩餐会は貴賓室だよ」
わたしの後を追いながら、シュライスが行く先を教えてきた。
その後ろでは、メイドたちがひそひそ声で話しながら蔑むような目線をわたしを見ているのが見える。
素直にありがとうと言えなかった。
クラウスに弱い自分の度胸のなさに嫌気がさした。
今度会ったらちゃんと言おう。
ドレスの事も。ネックレスの事も。
そんなことを考えながら足早に階段をおりていたそのとき、突然視界がぐらりと歪む。
慣れないドレスの裾を踏み、体がバランスを崩したことに気が付いたときにはすべてが手遅れだとわかった。
使用人たちが、驚いた顔で受け止めようと走ってきていきているのが見える。
この城の階段がすべて大理石でできているのはわかっていた。
このまま落ちて頭を打てば死ぬ。
「・・・・死ぬ? 」
(―――――死ねる )
そう思った途端、わたしは不思議なほど静かに目を閉じた。
心なしか体は軽くて羽が生えたよう。
このまま死ねれば、母と父のいる場所に行ける。
そう思った途端、もうすべてがどうでもよくなった。
「リリア様!!!」
「リリア!!」
「あのバカ!!」
今、バカって聞こえた。
きっとクラウスだな。
その声に混ざって、シュライスの声が聞こえた気がした。
「さようなら」
小さく呟いて、わたしは覚悟を決めた。
どれくらい経っただろう。
しばらくしても何の変化もない。
前世で死んだ時は、死んだとはっきりわかったのに。
痛みがないし、苦しくもない。
その状況に違和感を覚えていると、だんだんと柔らかい体温がわたしの体を包んでいることに気が付き始める。
「リリア様!」
「あぁ!呼吸音が聞こえた!よかった!」
いろんな人の声と、閉じた瞼の向こう側に煌々と降り注ぐ光を感じる。
天国の光かな?
おそるおそる目を開けると、最初に飛び込んだのはシュライスの顔だ。
眉根にしわを寄せ、心配そうにわたしを見る顔が見える。
「ぼくが誰だかわかる?」
「シュライス・・・・ハイム・・・・?」
名前を呼ぶと、シュライスが深いため息をつく。
「ほんとうに。きみは独りにできないお姫様だ」
少し怒った声音でそういうと、わたしの額を指ではじいた。
思いのほかの痛さにわたしは顔を覆って耐える。
「いたいいっ・・・」
「痛覚はあるようだね。なら大丈夫だ」
体を起こして確認すると、わたしは階段下でシュライスの腕に抱きとめられていた。
だけど不思議なのは、大理石でできた数十メートルはある階段を転げ落ちたわたしを彼が助けられるはずがないことだ。
「なんでわたしを助けられたの・・・?」
「いまのきみは悪い子だろ?いい子になったら教えてあげる」
シュライスはわたしを抱き上げたまま立ち上がり、丁寧に床に下ろしてくれた。
周囲に集まってきた大臣や貴族たちが彼に拍手を送りながら、わたしに怪我がないか確かめるように心配を伝えてきた。
彼らに相槌をうちつつシュライスの顔色を窺う。
表情はさっきの怒り顔のまま固まっていて、わたしの視線に気づくと口を開いた。
「リリア・ハイム。今夜は、ぼくから一瞬たりとも離れないように」
シュライスはすこし鋭い目つきで忌憚なく言った。
これは命令だ。
わたしは、謝罪を顕す代わりに、今夜は従順を装うことに決めた。
触らぬ神に祟りなしだ。
「・・・・申し訳ありません。陛下」
「手を腕に」
そういわれ、シュライスの腕に手を添えて貴賓室に入った。




