寝返った宰相は相変わらず口が悪い人でした
馬小屋から出て城内に繋がる階段を登りきった先に、紋章の入ったタオルケットを両手に持った男が佇んでいた。
その姿に見覚えがあったわたしは、思わず小さく声を上げる。
「お帰りなさいませ。リリア様」
翠色の瞳と白い肌が目を引き、肩までなびく深緑の髪が彼の中性的な雰囲気を際立たせている。
男性にしては線の細い体を襟のつまった全身黒の平服で包んだ男は、儀礼的な声音でわたしの名前を呼んだ。
温かそうなタオルケットは、彼らしからぬ気遣いのでもってきたものだろうと察しはついていたが、彼の正体を知っているわたしは、冷淡な対応で拒否した。
「陛下にお渡しになったら?」
「あなたは朝から墓標へ献花に出られていたでしょう?いまはもう夕餉です。これ以上冷やすとお体に障ります」
「冷たくなった国民たちの亡骸よりかは些か温かいですわ」
彼はわたしの言葉に動揺することもなく、まっすぐにこちらを見やる。
翠色がぐっと濃くなったのがわかったが、怯む気は無い。
見据えながら小さく息を吐いた彼は、乱暴にタオルケットを肩にかけ、わたしの顔を覗き込むと、片方の唇端を緩やかに上げた。
「・・・・では、兄として進言しよう。おまえに体を冷やされると世継ぎに障る。さっさと中に入れ」
そう言うとさっさと踵を返して背中を見せたことに、わなわなと沸きだす怒りのまま感情をぶつける。
「あなたは町の惨状を見ていないの?クラウス。その上、世継ぎですって?」
「惨状は見た。あれだけ家屋がつぶれていれば、すぐに救出できない者もいる。それが戦争だ。そして、シュライス陛下はおまえに宣誓してくださった。これで無慈悲に死んでいった御霊は弔われる。おめでとうわが妹よ!晴れて戦勝国のお妃さまだな」
弧をかいた目に浅ましさが滲んでいる。
彼はローズリー国の宰相だったクラウス・プルミエラ。
先の戦争で早々にリーガル国に寝返った裏切り者だ。
兄といっても妾が生んだ子供で、母親が亡くなり天涯孤独な彼を不憫に思った王が宰相として迎えた。
結果、王の判断は正しかったと周囲が理解し始めたのは、クラウスが着々と教養を身に着け、王の右腕となって国家を動かし、ローズリーの政を管理するまでに才能を開花させたからだ。
魔力も持ち合わせており、属性は|智慧。
クラスはミドリディアだが、世界でも智慧の属性を持つ者は少なく、どの国でも争奪戦になるほど引く手数多。
その理由は、どんな相手でも意のままに動かす話術と狡猾な策、本質を見抜く鋭い洞察力、臨機応変に機転が利く立ち回りの賢さなど、いわゆる天賦の才に秀でているから。
加えて、彼しか扱えない魔法心眼は、心の内が読めるという宰相として動くには最強の武器を持ち合わせていた。
流れる川のように、滞りなく彼のおもうままに国が動いていく様は、幼いながらに怖かった。
だけど、彼の手にかかれば、国が隆盛に向かうことはほぼ確実。
正直、彼をローズリー側から失ったのは痛手だ。
「クラウス様。あまりリリアをいじめないでください」
シュライスがかばう様にわたしを後ろに下がらせる。
その様子をふんと鼻を鳴らして不満げに凝視し、クラウスは視線を背けた。
彼の態度を擁護するように微笑み眺めながらタオルケットを受け取る。
「わたしの宣誓は、一族に受け入れられたようですね?」
「はい。私にも伝わっていますので」
シュライスは小さく息を吐きわたしの方を振り返る。
「クラウス様には、きみの側近になってもらおうと考えているんだ」
突然の提案に「はぁ?!」と素っ頓狂な声がでた。
その声がおかしかったのか、シュライスはクツクツと笑う。
背後ではクラウスが錘のような面持ちでこちらを見ている。
裏切り者の兄が、わたしの側近?
「陛下に迷惑がかかるからと、おれから提案した」
深いため息をつき揶揄するように言うクラウスの言葉がやけに癇に障る理由は、親族やローズリー国を裏切ったのにいまさら身内側として発言しているからだろう。
喰ってかかろうとするわたしの言葉を遮る様に、彼は言葉をつづけた。
「おまえの心が弱り切っていることにおれが気が付いていないとでも?あの戦争で自分がどれだけの魔力と精神力をつかったか自覚しているのか?おまえは無鉄砲だし、後先考えずに魔法を使うし、神殿で体を休めれば魔力が回復して元通り~とか考えているほど無知蒙昧なのはおれがよく知っている。ローズリーは敗戦国だ。陛下の足手まといにならないよう、これからはおれがおまえを管理する」
「戦争が始まってすぐに行方をくらましていなくなったかとおもえば、シュライスのそばで剣を携えて、早々に寝返った人なんて信用するに値しません」
「よく考えろ、リリア。王も王妃も、作戦会議に参加することもせず、我々を鼓舞することもなく、現場はフォースタスとリリア任せ、下に就いた貴族魔法使いたちにも何も告げず、じぶんたちは裏に回した船で脱出する算段をファウストに任せていた。そのことを知ったとき、おれはリーガルに与することを決めた。王族が国民よりも先に逃げ出す国に命を張れる程、腐っちゃいないからな」
震える声に怒気を滲ませた彼に気圧され、思わず後ずさる。
彼の言う通りだった。
胸の奥から、王と王妃が脱出する姿を見たときの絶望感が蘇る。
「王と王妃さえ生きてくれれば国を立て直すこともできる」
一緒にいた魔法使いたちに諭され、二人が城から出て行く背中を見送った。
しかしその判断が、二人を死に追いやったと今でも悔恨の情が消えない。
「マリーとエリーは、おれよりも先にローズリーを見捨てて国を出た。あいつらよりはおれの方が幾分かマシだ」
クラウスが見下げるようにわたしを見ながら発した瞬間、横槍を入れるように鋭い光の矢が彼の睫毛を掠めるほどの近さで走り抜け、壁に深く突き刺さった。
「――――っ光矢?」
壁から溶けるように消える矢を見ながら、クラウスが脂汗を垂らす。
矢が放たれた方向を見やると、静謐な雰囲気を纏った男がゆっくりとこちらに歩みを進めていた。
「妹は大事にしなさいといつも言っているだろう?クラウス。いけない子だ」
「ファウスト・ルーデンス・・・・」




