同じ穴の狢(フォースタスサイド)
欺幕の魔法の効果は数分間のはずだが、体感はその時間を優に超えている。バチバチと音が鳴りそうなほどの火花が体中を痺れさせ、わたしの体から飛び散っているのが証拠だ。
「(魔力暴走が起こるほど力を使うなんて何百年ぶりだったか‥‥?)」
大賢者だと大口を抜かして生きてきたが、器は人間と変わらないことをこういう時に自覚させられる。
「‥‥ふぁぁーあー。きみもよくやるよねぇー」
目の前で胡坐をかきながらあくびをする。大きな羽をぴくぴくと動かしながら、今では王と呼ばれている男が、枝のように細い指で空中に何かを書き始める。
「っ‥‥相変わらず‥‥おまえは‥‥絵心がないな‥‥」
動物とも人とも見て取れない生命体の絵。お世辞にも褒められない程の絵を見た瞬間、反射的に笑みがこぼれ、咽あがるような痛みに喘ぎつつ揶揄ってやると、目の前の蜂蜜色の瞳が嬉しそうに瞬いた。
「きみは芸術とは何かわかっていないようだね?芸術とは!爆発なのだよ!」
軽快に、そして癪に障るほどの陽気さでくるくる回って見せる。天空国の王にして、今回の件の戦犯に違いないかつての「悪友」は、嘲笑うようにオレを見下した。
「暫く見ないうちにきみの腕も鈍ったものだね?もう何人か、魔法を破って動き出しているよ」
「主の本懐を遂げさせるのがわたしの勤めだ。尻ぬぐいは政治にしてもらうさ」
「盲目も大概だぞ、フォースタス」
諫めるように言い放ち、蜂蜜色の瞳がぎゅっと濃さを増して睨んできた。レイ陛下などと呼ばれているが、わたしからすれば、この男の過去である一介の魔法使いだった頃から何一つ変わっていない。
「(甘ったれの、心の弱い、美しい男)」
羽を生やしているという特徴以外は人間と変わりがない、―――だが、全てが弱かった。
「今回は誰に虐められたんだ?」
「‥‥別に。誰でもないさ」
「(都合が悪いときにそっぽを向く癖は変わってないな)」
小柄な体と女のようにきれいな容姿が災いしたのか、昔のレイは、人間たちに殴られることが多かった。
今思えば武者修行のようなものだったのだろうが、1人で、しかも魔法すらまともに扱えない顔の綺麗な男が、場末の酒場にいれば何か起きる。
以来、機微が分かるようになるまで散々付き合わされた。久々に会っても一挙一動で察せる。
「マリアと痴話喧嘩か?それとも、神謀院のやつらに咎められたか?」
図星だ。ピクリと跳ねた肩越しにおれを眺める。この男と似ても似つかない、いまはオセアン国の主であり片割れの肉親ネレウスも、若い頃はよくこんな目でオレを見ていた。
蔑むでもなく、助けを乞うわけでもない。何も言わず、ただこちらを眺め見ながら「わかってほしい」と訴えてくる目だ。
この男が今よりも若く、ゆえに荒れている時期に引き合わされるようにして出会い、お互い何者でもない時期に出会ったリヒターと共に過ごした。
弱小国の用心棒、劣勢していく戦場の助太刀、瓦解寸前の国の守護など、修行と称して何でも受けていた。雇われるたびに居場所を替えていたのに、なぜかこの二人と出会う事が多かったのも親しくなった理由の一つだが、100歳を超えた頃、レイは忽然とわたしの前から姿を消した。
その後すぐ、天空国の国王になったと聞き、この男の正体を知った。
「さっきは、天使でも舞い降りたのかと思ったが。とんだ見間違いだったな」
「天使には違いないだろ?ぼくは、神の代行者だからね!」
羽が生えていることすら知らなかった。病気の母の病を治すために用心棒行脚し金を稼ぐただの魔法を使いだという嘘を質す機会もなく、わたしはいま、数百年ぶりにこの男と対峙している。
神の天啓を受けたという一族の始祖は、神の代行者である魂の審判という神託を授けられた。密裁で決められ、神より賜りし秘匿禁域に築かれたという天空国は、地上から離れた空に浮かぶ孤域国家を統治し、数百年の間、死んだ魂を弔い、地獄と天国へと魂を誘う「審魂官」という本務を全うしながら、善悪の是非を問わず、人間、魔法使いを受け入れ続けることで人口を増やし一大帝国を築いた。
「天空国の王ともあろう男がなぜ、闇に紛れ飛ぶ蝙蝠の真似事をしていた?正攻法でリヒターに謁見し、会いに来ればいいだろ」
「ぼくは王様なんだよ、もう自由に動ける身体じゃない」
口を尖らせ拗ねる癖も昔から変わらない。
「(余裕があるな)」
この男は策無く単独行動はしない。天空国では、王位継承の備えとしてあらゆる知略を詰め込まれ、統治の術を徹底的に叩きこまれる。
その王政教育は地上にも伝えられ、神に一番近い国が行っている教育ならば間違いはないと、各国が倣うようにその制度を取り入れたほど神聖視され、地上での王政教育の規範とまでなったことは記憶に新しい。
「(その結果、ロ―ズリー国の伝統教育という悪習を産んだのだが‥‥)」
人は、神と自分たちがそもそも別物だと理解しながらも盲目的に信仰してきた。にも関わらず神を模範し、あわよくば信仰の対象を取り込もうとできる愚かさをはらんでいる。
禁忌とされる魔法書には「神殺し」を行うための儀式に始まり神通力を奪うための、いわゆる黒魔術が存在していることを知ったのは、大賢者になってからすぐのことだ。
「(一介の魔法使いでは知る機会さえなかっただろうな)」
悪習を残した先人たちは罪を侵したまま死んだ。地獄と天国への採決をするのも、それを赦すのも罰するのも神だ。だが、世界が悪変を辿っていることには理由がある。
「(悪が裁かれず正義となる制裁が加えられていれば、死んでもなお、世界の改変も容易だ)」
それが力を持つ人間、例えば王族。魔力の強い大賢者に匹敵する魔法使いであれば、地獄に逝こうが、天国に逝こうが、神の手を借りれば干渉できる。
「(だとすれば、神も、この男も、腐っていることになるが)」
わたしの考察を裏付けるように現れた。目の前にいる、神の代行者とされる審魂官としての務めを放棄した国王が、このタイミングでこの国にいる理由は、数百年ほったらかしにしていた息子ではない。
「お前の狙いは国盗りか?」
蜂蜜色の瞳の奥が揺れながら蔑むように細くなる。本来の王然とした風格に移り変わっていく。その様を見ながら、微かにリリア様の気配を感じた。
「(時間を稼ぐか)」
そんな余裕も体力もないことは嫌でも分からせられるほど体中に走る痛みを耐え忍びながら、威風を帯びた王が近づいてくる。気取られぬよう平然と見ることに集中する。
右手を掲げると吸い付くように地面から鞘が顕われる。柄の部分に豪奢な金の装飾が施され、様々な文様が刻印され、古代文字が刻印されている剣身、その切っ先をわたしの喉に突き付けると、端正な顔を歪ませ不気味な微笑みを向けた。
「秤剣と言う。ぼくの愛刀だよ」
「‥‥騎士の真似事でも始める気か?」
揶揄るわたしの言葉すら癇に障るのだろう。眉根を寄せ不愉快だと言わんばかりにわたしを睨みつけ、切っ先をじりじりと肌に突き付ける。
「この剣は国が建国されたときに神から託された。いわゆる神器だ。魂と罪の重さを量り、善悪の審問を行うと同時に記憶を閲覧し沙汰を下す」
「お前も趣味が悪いな。神からの授け物に拾い子の名前を冠すとは」
「拾い子ではない。契り子だよ」
どこか狂気を含んだ声音で言うこの男は、もうわたしの知っている男ではない。その確信は彼にも伝わったようで、その答えだと言わんばかりに力を入れた切っ先を立て、わたしの肌に傷をつけた。
「このまま首を斬るか?」
「んー、そうしたいところなんだけど、神との盟約によってぼくはこの世界で人を殺めることを禁じられているんだ」
刃から滴る血をすくいあげ自分の剣身に塗り付けて見せる。シュライス陛下を見た時と同じような得体のしれない熱を帯びた狂気を見ながらも、透き通る瞳に憧憬が揺れていた。
「おまえは、おれと同じだ」
記憶をなぞりながらうわ言の様に呟くわたしの言葉に、レイの眉が不機嫌そうに引きつる。
「‥‥なにが?」
「所詮、我々は同じ穴の狢ってことだ」
「きみとぼくでは格が違う」
「そうだな、レイ国王陛下」
揶揄ってやると、わたしの顎を粗雑につかみ取り、目の奥を合わせるように顔を寄せる。
「跪け。大賢者フォースタス。リリア王妃との盟約を破棄しわたしと契約しろ」




