神の欠片との対峙
――――パリンッ!!!
鋭利な音と共に剥がれるように落ちてきた。壁紙のようなそれの剥がれた向こう側には、現実世界でさっきまで居た塔の石壁が覗いている。
「空間が壊れ始めている。時間がありませんよ、リヒター」
「‥‥正気ですか?」
リヒターは厳しい顔のままエフィラ王を問い質す。
「ミュゲは穢れた。浄化するには相応の力が必要だ。それは、きみが一番わかっているはずでは?」
「大賢者のわたしでも瀕死になった。それほど伝授が難しい魔法だ。彼女が会得できる可能性は低い。それに、王の許可も下りていない」
「許可ならわたしが出そう。この魔法を初代君主に教えたのはわたしだからね」
ぴしゃりとそう言われ、リヒターの二の言を告げようと大きく開いた口が結ばれる。わたしの方に向き直ると、リヒターは値踏みするように上から下までわたしを眺めた。
「使役している匂いがしない。フォースタスから召喚魔法は教わっていないのか?」
「はい。でも、大魔法使いの儀は終わっております」
「王の庇護下にいたのでは、魔法の腕が訛っているのではないのか?」
「アンダーヴィレッジではなんの問題ございませんでした」
「はぁ‥‥あとから国交問題に持ち出すなよ」
「しないと、この血に賭けてお約束いたします」
確認するようにエフィラ王を見定めると、彼は応えるように首肯する。わたしの前に跪くと、リヒターはわたしを見据えた。
「この魔法は、ミュゲ建国から王家に伝わる秘匿魔法だ。本来ならば、次期王であるイルシュタイトが授けられるはずだったが、王の命令によりわたしが授けられている」
床に手をかざし魔法陣を描いていく。彼の小さな手のひらが返されると、パチンと弾くような音と共にミュゲ国の紋章が顕われた。くるくると回る紋章の光をリヒターが自分の元へと引き寄せる。
「律は、理と対になる秩序魔法だ。これを扱えるのは、大魔法使い、そして大賢者に匹敵する力を持つ者のみ。本来の使い方は、国の自浄力が弱まったときに補助力として作動させるが、今回に限っては【土着するすべての人、精霊、魂の浄化】のために使う」
「それは‥‥つまり‥‥」
言い淀むわたしに見守るような優しい眼差しを向け、エフィラ王が語り掛ける。
「全てを無に帰すということだよ。記憶も、思いもすべて消える」
「‥‥そんな」
「案ずるな。言葉は話せるし、学んだ魔法も使えるし、対人認識や外交などの一般的な記憶は残る。それ以外の喜怒哀楽から派生した記憶が消えるだけだ」
差し出された紋章の光を汲むように受け取った。仄かに温かく、小鳥のような鼓動を感じる紋章を見ながら、イルシュタイトやローゼンたちの顔が走馬灯のように流れている。
「土地を浄化する作用を持ちながら、人や精霊までもの律を正すことができる。だが、それ相応に反動があり、これに堪えられる魔法使いはそう多くはない。おまえの魂が耐えきれずに砕ける可能性の方が高い。それでも秘匿魔法を知りたいのであれば教えてやろう」
「大丈夫ですよリリア王妃。彼は話を盛るのが上手なだけなので」
「現実です。彼女では力不足ですから」
吐き捨てる言葉に反論する余裕はなかった。確かにその通りだったし、実力がないことも否定できない。祖国が滅んで敵国の領地とされた国の王族として、これほど惨めなものはない。だからこそ、このチャンスを逃してはいけないのだ。
「お願いします。秘匿魔法を教えてください」
決意が伝わったのか。リヒターは目を凝らしてわたしを見定める。
「いいんだな?」
「はい」
短い会話が終わると、リヒターは右手から杖を出現させた。豪奢な装飾が施された杖を自在に操りながら魔法陣の上で絵を描くように何かを記していく。書き終わると中央に立ち、杖先でこつんと床を打った。
「おまえだけでは不足だ。わたしも助力しよう」
忌憚なく言うと、リヒターはわたしの手を取り魔法陣へと招き入れた。入った途端、日差しのように温かい光が微睡むような居心地の良さを与えてくれる。小さく白いリヒターの手は信じられない程冷えていて、わたしは思わず彼の手を包み込み大丈夫かと視線を送った。
「問題ない」
微笑みながらそう呟き、リヒターは目を閉じた。
「わたしに続けて詠唱しろ」
「‥‥はいっ」
「わが名はリリア・ハイム」
「‥‥わが名は、リリア・ハイム」
「大賢者リヒター・ウルフレッドの赦免を蒙りこれを伝え奉る」
「大賢者リヒター・ウルフレッドの赦免を蒙りこれを伝え奉る」
「我に力を!秘匿解除!!」
「‥‥我に、力を!!秘匿解除!!!」
詠唱が終わると同時に竜巻のような風に呑まれ、その渦の中でもリヒターの手を離さないよう指に力を入れた。
引き千切られそうなほどの風と魔力量に立っているのもやっとだ。
「っ‥‥リリア王妃!ここから先は、おまえ自身との対峙となるっ‥‥誰に何を言われても、秘匿魔法を教えろと応えろ!わかったな!?」
「‥‥はいっ!!」
掻き消えていく声に応えた次の瞬間、必死につかんでいたリヒターの手の感触が煙のように消える。
「‥‥リヒター様?!」
風の音だけが耳を掠める。視界は黄土色の渦が永遠と巻いているのみで、その途方もない光景に絶望と心細さでわたしの心は支配されていた。前回の秘匿魔法を習得できたのは自分の力ではないことは自覚している。フォースタスの力と導きがあったから辛うじて得られたものだ。
「独りで‥‥ここから‥‥どうしたらいいの?」
まるで親に置き去りにされた子供のように、わがままに孤独感が襲う。一歩足を踏み込む事さえできない。憶病になった心はどんどん委縮し、わたしから熱を奪っていく。
「さ‥‥寒いっ‥‥」
冷えていく体をこすりながらその場にうずくまり、わたしはリヒターの言葉を思い出していた。―――何が起きても秘匿魔法を教えろと思い続けろ。
「‥‥秘匿魔法を教えてほしいの。だからお願い‥‥ここから出して」
祈る様に呟くわたしの声が届いたのか。永久に続くと思っていた風が一瞬で止んで黄土色の渦が掻き消えると、目の前に現れたのは、湖の上に浮かぶ祭壇だった。白亜地に金で施された装飾の聖堂は、無重力状態のように湖の上すれすれを浮いている。
「(魔法空間か‥‥それとも、異空間に入れられたのか‥‥)」
逡巡しつつ、吐息の音すら響いて聞こえるほど静かな空気の中、わたしは祭壇へと足を薦めた。
目を凝らすと、祭壇の目の前には聖櫃が置かれている。その周囲に置かれた燭台がそれらを守るように配置されていた。
「(何だろう‥‥なにかいる)」
聖櫃の中から、肌が粟立つほどの嫌悪感を感じた。目に見えない何かがこちらを見ている。得も言われぬ感覚に後ずさりながらも、わたしにはその正体の先に何かがあるという確信だけはあった。
「(魂を賭けてるくらいだもの。何が起きてもおかしくはない)」
頭上に浮かぶ満天の星空を落とし込んでいる湖面の底は真っ暗で、足を入れていいかさえ計れない。どう祭壇に向かうか迷っていると、聖櫃の蓋がごとりと動いた。
―――ガタッ‥‥ゴッ‥‥ガガガがガガガ!!!!!!‥‥‥ドボン‥‥
無理やり中から開けたのだろうか。工事現場のようなけたたましい音を出してこじ開けたられた重厚な蓋は、湖の中に落ちていき、その衝撃で水飛沫が上がった。湖面がゆらゆらと揺れる。
「(中から何か出てくる‥‥?)」
埃と砂が混じったもはや煙のような微塵の中で蠢く人影にびくりと肩が震える。
「だっ‥‥誰ですか!?」
思わずそう叫んでしまうくらい自分がこの場所に怯え、空間に呑まれている。ここにきて自覚してしまった自分の体が震えだすも、目の前で立ち上がる細い影に目を凝らすと、ぼそりと呟く艶のある声が聞こえた。




