Revealing Personal Anecdote5〈闇雲に走ってみようか〉
この落とし前はつけさせる。夜目に浮かぶ、あの男のシルエット。
スーツ姿の会社員風の男。20代か30代くらい。パパよりも若い感じだった。
私、ああいう人間は何があろうと許せない。この私が天罰を下してやるんだから!
***
夏休みの開けの最初の日。私は学校に行ってから家には帰っていない。もう辺りは真っ暗になってる。
もし、見つかったら補導されてしまうよ。だって私は中2だもん。
友だちの家に泊らせて貰うなんて出来るわけがない。迷惑かけたくはないし、第一、お家の人だっているのだからすぐに家に連絡されてしまう。
ならば今夜の寝床確保のためにウリするかって言うと私はやらない。世間ではパパ活とかって、本質を覆い隠す軽い言葉でオブラートされてるああいうやつ。
なぜならば、私は死んでしまったママに教えられて知っているから。
『あなたがその時にそれを悪いことだと思っていなくても、それは世間で一番蔑まされる行為とされている以上、それは未来の亜梨沙を不幸に導くのよ。もし、もしもこの先にそんなことを誘われても、絶対に周りに流されないで』
自分の体を大切に出来ない子は、本当の幸せにはなれないって。いつしか精神を病むように出来てるんだって。
病気で余命がわずかだと知ったママは、6年生の私には、まだ早いとは思うけれど、きっとパパでは教えられないからって、恥ずかしがらずに今のうちに聞いて欲しいと言われた。
『根源は深い所にあるの。一時小金を掴んだ所で、将来を通したらマイナスになる。ただ搾取され、心体とも傷つくだけだって大人の女性なら知っているのよ。亜梨沙がその時には悪いことだと思っていなくても、時が経つに連れ、世間の価値観が意識にすりこんで来て、ことあるごとに罪悪感を植え付ける。だからぼぼ皆、必ず心が病んで行く。よほどの覚悟を持って職業としている人でなければ後から後悔するのよ』
そうだよね、本当に好きな人が出来た時に、その人に引け目なんて感じたくない。
ママとは色々、指切りげんまんしたんだ。
優しい人でいること。困った人がいたら出来る範囲でいいから手を貸してあげること。友だちとお金の貸し借りはしないこと。ご飯をちゃんと食べること。歯を丁寧に磨くこと。体もお部屋も清潔を保つこと。お片付けすること。宿題をすること。挨拶すること。周りに感謝を忘れないこと‥‥‥
目一杯あれこれ言って来たけれど、結局は、周りの人も自分も大切にして私に幸せになってね、ってことだと思う。母親の愛って特別だと思う。ママ、ずーっと大好きだよ。
私はママの教えを守ってきたけれど、ここに来てただ一つ私が守れなくなったことは、パパと仲良くすることだった。
パパは酷い。
ママが亡くなって2年も経っていないのに。
夕食に招きたい人がいるって、朝の出がけ間際に言われたの。今夜は素敵なレストランを3人分予約してあるからねって。少しぎこちなく躊躇したパパの声。
ピンと来た。
私には耐えられない。新しいお母さん候補を紹介されるのは。
『・・・行ってきます』
それだけ言って、学校に向かった。
出がけに言われたから、家出の用意はなにも出来てなかった。持ってたのはスマホに入れてた約二千円だけ。
半日で学校が終わって、私は古着屋で安い洋服を買って着替えなきゃなんなかったし、コインロッカーも私にとっては結構な金額だったし、ファストフードでセット食べて暇つぶしもしたからもうお金無い。でもどうしても家には帰りたくなくって公園に来た。
そのまま暗くなって、遊具のトンネルの中に隠れていたんだ。そのままうつらうつら眠っちゃったんだけど、子猫の声がどこからか聞こえて来て起きたんだ。
声を辿ったら、公園の遊歩道のワキの植え込みの隙間にダンボールに入れられた子猫が4匹捨てられていて。
可哀想に。こんなに可愛いのに。この子たちのために私に何か出来る?
私には何もないから何もしてあげられなくて、せめてお水を汲んで飲ませてあげただけ。
私だって夕食は抜きでお腹ペコペコだったんだもの。
このままではいたくないし、パパに謝ってこの子たちを連れて家に帰ろうか悩んでいた。家で飼って貰いたいけど、無理なら私がお世話をしながら里親を探してあげたい。
私が家に帰って、パパの彼女に会うことを承諾すれば、それくらいはお安い御用で許してくれるはず。
私は、この子猫ちゃんたちのためなら、それくらいはガマンして出来そうな気がした。
ただ、それにはすごい決断が要って、私はなかなか心が決められなくって。もう、こんな夜遅い時間だし、帰ったらきっとすごく怒られるってのもあるけれど、やっぱりパパを許すのはママへの裏切り行為だって思うとどうしても・・・
私は天国のママに聞いてみることにした。
もし流れ星を見れたらそれはママのお告げだから、あのネコちゃんたちを連れて家に帰ろうって、太い木の幹に凭れて座りながら夜空を見上げていたんだ。
ぼんやり夜空を眺め、いつの間にか真夜中を過ぎていた。
──あっ! 今、流れたよっ!!
ママが今、私にネコちゃんを連れて帰りなさいって言ったんだ・・・
私はおもむろに立ち上がって、カーゴパンツのお尻を払う。
───帰ろう。
決心が固まった刹那。
こんな真夜中に、誰かがこっちに来る気配がした。私は怖いから木の幹の後ろに隠れた。
蛇口の水が流れる音がした。
そっと覗いて見ると、会社員風の男が、砂場の向こうにある水飲み場の脇の手洗い水道を使ってる。どんな人か確かめるにはここからではやや遠いし、顔も年齢も暗くて良くわからない。
靴が汚れたの? お行儀悪く片足を縁に乗せて、靴裏を流してるみたい。
犬の散歩マナー悪い人がいるもんね。アレ、道端で踏んだのかも。ご愁傷様です。
どうでもいいけど、こんなかわいい女子中学生が一人公園で野宿してるなんて、夜中に公園で靴を洗う不運を纏うような知らない男に知られるわけにはいかない。
一旦、幹の裏側に引っ込む。大丈夫。私の存在は知られてない。心臓がバックンバックンする。
知らない男に変態なことされたら大変だ。私は身を護らないといけない。いまだ現れてないけど、これから現れる予定の私の王子様のために。
今さらだけど時間が時間だし、怖さマシマシだ・・・
サクッ サクッ サクッ サクッ‥‥‥
マジ?・・・足音がこっちに向かって来てる? こ、怖いよ。
私は脚が嘘みたいに固まって、うまく動けない。
あっ! あの人。
男は捨てネコちゃんたちに気がついたんだ!!
横目で見えた。私から斜め後ろに男の位置が変わったので、私は幹の周りに沿って90度ほどモゾモゾ移動して身を隠す。
なんてタイミングなの? 私がようやく決心出来た途端に、あの人に先に拾われてしまうの?
そうだとしたら残念だけど、あの子たちが飼い主さんを得て幸せになれるならそれでもいいや。私は帰る理由を失ったけれど。
そう、思っていたのに────
***
その時は何が起きているのかわからなかった。何か不気味な音がしたのだけれど。
男が去って、ネコちゃんたちがいた場所を見に行ったら────
ウソ・・・
ウソだよ。こんなの。
私は認めない。認めるわけないじゃん。これはただ悪夢じゃん?
***
私は砂場に放置されていたシャベルで、植え込みの根元に穴を掘る。
ここなら誰かに踏まれないと思うし。
ガシッ ガシッ ガシッ ガシッ
地面硬いし、根っこが邪魔して手が痛いけど、何とも思わない。これは私への罰なんだ。
涙が止まらないよ。私がもっと早く決心出来てたら───
私は、哀れな骸を、持っていたフェイスタオルに包んで、掘った穴にそっと入れた。私の止まらないポトポト落ちる後悔の涙とともに。
私が、いつまでもいなくなったママにすがって、自分のことも自分で決められないグズなお馬鹿だったからこんな結果になった。
土をかけ、その辺で毟った草をかけて堀り跡を隠した。烏や犬に無碍に掘り起こされないように。
この子たち、まっすぐ天国に行くよね?
私は私が許せない。それ以上に許せないのは────
あの黒っぽいスーツの会社員風の男ッッッ!!! あいつ、許さない! 絶対にッ!!
***
「部活早めに終わったからまだ6時にもなっていないのに。暗くなるの、いつの間にか早くなったね。春奈ちゃん」
「ほんとだね。横の公園の中、暗いと木々が不気味に見えるよね。‥‥ねえねえ、亜梨沙知ってる? この界隈の噂。夕べおすすめで流れて来たんだけどさぁ‥‥」
「ん? なになに? 聞きたーい!」
「ふっふっふ・・・この公園の周辺に、"RIPPER GIRL" いわゆる "切り裂き少女" が出没するらしいよ。それ、猫耳つけたネコ娘なんだって」
「・・・えっ? ナニソレ? リッパーガール・・・えっと、初耳かも。それ、どんな・・・? 幽霊系? 妖怪系? それとも・・・」
「知らんけど、妖怪系なのかな。わかんない。ネット情報によると、そのリッパーガールに出会うと、ナイフで首狙われるらしいよ。今んとこ未遂とかって。『お前は靴洗ったか?』って聞かれるから、助かるワードは "洗ってない" だったけ? 昔、口裂け女っていうのがいたらしいから、仲間じゃね? ちなみにそっちは "ポマード" って3回言うと助かるんだって。単なるネット上の噂だけどね〜」
「えー、ほんとに? ・・・出るのこの界隈なんでしょ? 春奈ちゃん、怖い?」
「ううん、全然。大丈夫だって。襲われるのは会社帰りの男だけらしいよ。亜梨沙もうちも女子中学生なんだから、もしいたとしても猫耳リッパーガールからはノーマークじゃん」
「クスクスッ・・もちろん、だよ? うふふ、そのリッパーガールとやらは、案外すぐそこにいたりして、ね・・・?」
────仕方がないよ。春奈ちゃん。だって私、あいつの顔がわからないんだもん。怪しい人は手当たり次第当たるしかないんだよ。