忘れていった酒・1
ヒューイは首を竦める。
頭上を鎌が通過していった。
「あぶねえあぶねえ……っと」
鎌を振るった張本人を短剣の柄で手早く気絶させ、茂みに隠れる。もちろん、大切な品を忘れることはない。茂みに手繰り寄せる。
彼はどこの国にも属さない、いわゆる『何でも屋』と呼ばれる組織に入っていた。その仕事の一環で、今は魔の森にいる。
危険とは聞いていたが、ここまで追手がかかるとは思ってもいなかった。一人で受けて正解だ。
そう胸を撫で下ろしたヒューイは、後ろから肩を叩かれ、それをうるさそうに払った。
「何だよ、ウォル。奴に仲間が集るかどうか確認しねえと……」
そこまで言ってから、そういえばと思い出した。
ヒューイが可愛がっている弟分は、別の仕事でクレアスチア国の帝都に出向いている。
恐る恐る振り返ると、カマキリをそのままの比率で大きくしたような化け物が、特大の鎌でこちらの首を狙っていた。
「うわおうえぇっ!」
奇声を発しながら飛び退くと、間一髪でそこに鎌が振り下ろされた。
さっき気絶させた追手を見ると、残念なことに、他のライオンのような化け物がその場にしゃがみこんでいる。かなり気の毒だが、追ってきたそちらが悪い。
再びヒューイが鎌の化け物を見ると、そいつは鎌を熱心に研いでいた。
もちろん彼はその鎌の切れ味を自分の首で試そうとは思わない。よって、彼はさっさとずらからせてもらうことにした。
こっそり抜け出したヒューイは、自分が魔の森を抜け出したことに気付いた。
さらさらと草原の揺れる音が心地よい。空は雲一つなく、まさに最高の天気だ。
事前に叩き込んだ地図を頭の中で思い出す。そういえば『魔の森』の中心にぽっかりと空白があり、そこが『聖なる土地』だと聞いた覚えがある。
では、ここがその土地なのか。
ヒューイは草原の中央に何か白いものが見えた気がしたので、行くことにした。
それは墓地だった。真っ白の大理石で作られたそれらは等間隔に並んでおり、墓石にはこの大陸のものではない言語で何かが刻まれている。
何より、字が刻まれていようとなかろうと、それは荘厳な眺めだった。
ヒューイはしばし見とれてから、今回の依頼を思い出す。慌てて、依頼人の仏頂面をした男性から受け取った花束を取り出した。会った際、金髪碧眼なのだから、笑顔を見せれば美形に見えるだろうにと思ったのは内緒である。依頼人はどうやら騎士団の連中らしく、余計なことを言ったら斬られるかもしれないと感じたからである。
依頼内容は『聖なる土地にある墓の一つに、この花束を手向けてきてほしい』だ。
どれでもいいと聞いていたので、しばらくうろうろと周りを巡る。
やがて彼は、どの墓にも同じ花束が添えられていることに気付く。
しかし一つだけ、小さな小さな、そして可愛らしい花が手向けられた墓を見つけた。
その隣の墓がかわいそうな気がして、ヒューイはそこに花束を手向けてやる。
そして一歩下がり黙祷。
風の勢いが弱まったように感じたのは気のせいか。
「……うし。依頼完了、っと」
やがて黙祷を止めたヒューイは、森を突っ切る準備を始める。
その首筋に、ぶっとい剣が添えられた。
「……あ」
「何しに来た?」
やけに静かな声。高さからして女性のようだ。そして、剣もかなり扱える剣士のようでもある。
嘘を話せば即座に斬る、そういった空気を放っていた。
追手ではないようだ。
「……依頼を受けてた。ここの墓の一つに花束を手向けてくれってよ」
「へえ?」
女性の声音にひやりとしたものが混ざる。
「嘘だと思うんなら後ろを見るんだな。俺あ学がねえから名前は知らねえけどな。赤と白の花が綺麗だぜ」
ヒューイの話に、女性はためらってから剣を離し、本当に見に行った。
こっそり振り返って彼女の背中を眺める。太陽のような金色の長髪に見とれてしまったのは、後生誰にも話さないだろう。
しばらくしてから女性は済まなそうな顔で戻ってきた。
そのままヒューイの前に正座し、頭を下げようとする。
「うおい!? 何だよいきなり!」
「本当にごめん! またどこかの冷やかしかと思ったんだ」
まじまじと女性を見つめた。
「それぐらい、いいってよ。頭下げんでも」
「でも、済まない……」
彼女に尻尾があったならば、しょぼんと垂れ下がっていたのかもしれない。
やけに可愛い顔に、胸が動いた。
もしかしたら、これが運命の出会いってやつか?
それなら、自分がとる行動は一つだ。
「だからいいって。それよりあんたの名前は? 金髪にこんなに綺麗な金色の瞳のセットは初めて見るんだけどな」
早速口説き落としにかかる。組織一の女たらしと呼ばれる所以だ。百戦錬磨、敗けは一度もなかった。
なかったのだが、今回の相手はただ者ではなかった。
「俺? ジュン・タチバナって言うんだ。元々旅人だし、遠くで生まれたんでね。ここらで見なくてもおかしくないと思う。父からは髪と瞳の色を、母からはこの顔をもらったんだ」
「さぞかしお袋さんはべっぴんだったんだろうな。しかし、タチバナって名字もまた珍しいじゃねえか」
「旦那が東の最果て、日本生まれでね。俺もなんだけど」
ヒューイは倒れた。ジュンはいくばくの経験値をもらった。
「結婚済みかよ……!」
「え、何か悪かった? てか何でいきなり倒れたのさ?」
ここまで首を傾げられると、冗談ではなく本当に心配されているのかもしれない。
「……何でもねえよ」
長々と溜め息をついたヒューイはまた体を起こし、ジュンと同じ目線になった。
「で? なんであんたはここにいるんだ?」
「だからその旦那と、ダチの墓参り」
今度は前に倒れた。それから慌てて起き上がる。
「いや……ちょっと待て! この墓地はここらに人が住む前からあったって話だぞ!」
「うん。今住んでる人たちが現れる前にここで大きな戦があって、俺のダチはみんな、その戦で死んだんだ」
その言葉に詰まった。いくつか突っ込む点はあるが、今は突っ込める空気じゃない。
みんな、って。それじゃあんた、今一人なんじゃねえか。
ヒューイが思わずその言葉を飲み込んだとき、ジュンがふらりと立ち上がり、墓に向かった。慌ててあとを追う。
ジュンが立って見下ろしたのは、ヒューイが花束を手向けた墓だった。
「……まあ、こいつは何とか生き延びて、ばあちゃんになるまでしっかり生きたんだけどね」
腹立たしいらしく、荒い溜め息をついてから肩を竦めたジュンは、ヒューイの袖を引っ張った。
新章です。
…これは新章と言うのだろうか?




