忘れていった酒・3《邂逅・2》
ヒューイは遠い喧騒に顔を向けることはできなかった。
ただ、語る瞳を見つめる。
「奴がどれほど人間の為に身を粉にして働いたか知らないくせに、いるだけで幸せを呼ぶだと? はっ、そんなやつが本当に実在するなら見てみたいわ。あいつは……あいつは……」
そこまで言った少年は、いきなり涙を流し始めた。本気で慌てる。
泣き上戸なのか?
「おい、大丈夫か」
何があったかは知らねえが、という、次に口にしようとしていた言葉が消え失せた。
「あいつは……あいつはなあ……世界で一番幸せから遠かったんだ」
少年は泣きじゃくりながら、なおも話し続ける。
「ガキの頃に親父のせいで働き始めて、次は母親と妹が自殺だ。危うく巻き込まれかけたのをあの人に助けられ、橘にも出会って、仕事もするようになったと思えば、その上司が暗殺だ。そしてその犯人らを倒し、橘と結婚して娘を産んだと思えば、今度はその橘が暗殺だ。その犯人と主犯格をぶっ飛ばして、娘の結婚を見た次の日に、上司が次々戦死だ。しっかり飄々と生きていたあの人だって、あっさり逝ってしまった。唯一残っていたのは私と淳だけ。冗談じゃなかった」
必死に涙を拭っていた少年は、ヒューイの服をつかんだ。
「今じゃ私もあいつの側にいてやれない。頼む、本当にあいつは独りなんだ。結婚しなくてもいい。あいつの側にいてくれ!」
絶叫に近い大声だった。酒場の人間がみんなこちらを向いていてもおかしくない。
少年の悲痛な心境が理解できたわけではない。ヒューイは何も言えなかった。
「……俺はな。ただの人間のチンピラだ。ジュンとずっと一緒にいるなんて無理だ」
その言葉に少年はうなだれる。
「でもな。生きてるかぎり、そしてジュンが俺の近くにいるかぎり、俺は奴の味方であり続けるぜ」
「……それは少し無責任ではないか? 近くにいるかぎりなど」
「うるせ。俺にだって生活はあるんでい」
言い返すと、少年はくすりと笑った。
何故か胸が跳ね上がった。
「……はれ?」
「何かあったか?」
「いや。大したことじゃねえと思う」
いや、本当は大したことだろう。ヒューイが同性にときめいたのは初めてだ。
そんなこと、ヒューイは話さない。
彼は立ち上がった。
「お前、瓶砕いちまったろ、代わりに下戸でも飲める酒を用意してやる」
「ありがとう」
ドリンクバーに向かう。赤玉と呼ばれる酒をコップに入れて席に戻ると。
少年は消えていた。
「……あり?」
砕かれた瓶も残っている。涙のあともある。しかし、肝心の少年がいない。
「おーい?」
もちろん出てこない。
と、少年が座っていた場所に、紙が置かれていた。
『ありがとう。礼といっては何だが、金貨をやる。大したものではないが、お守りにはなる。後生大事にとっておけ。もちろんこれも奴に言うなよ』
何とも質素な手紙だ。紙の下に古い金貨が出てきた。
「なんじゃこら。つうより、赤玉どうするんだよ?」
とりあえずヒューイが金貨をポケットに放り込んだとき、ジュンが戻ってきた。
戻ってきて、首を傾げる。
「あれ? 君、今までどこにいた?」
「ちょっと前に赤玉取りに行ったが、それより前は、ずっと席に座っていたぜ」
ジュンはますます不思議な顔をした。
「俺、ずっとドリンクバーのあたりにいてたけど、君とすれ違ってないよ? それにちらちら君の方見てたけど、いつの間にか消えてたじゃないか」
ヒューイは絶句した。
「……化かされたか?」
「はあ?」
テーブルを見ると、切断したコップが無い。先ほどまであった、砕かれた瓶も無い。
改めて、呆然とした。後ろからジュンにつつかれた。
「どうかした?」
「…………何でもない」
少年のことをバラしてやろうかとも思ったが、彼が何者か分からない以上、やめた方がいいだろう。
口をへの字にしたジュンは、赤玉を見て目を丸くした。
「まさか君、下戸?」
「んなわけねえだろ!」
ジュンは笑いながら席につく。
少年が座っていた席に。
「俺も下戸は見たことないけど、本当に酒があんまり飲めない奴っているんだよ」
「へえ」
まさか、さっきまであまり酒が飲めない奴と会談していたとは言えない。
「どんな奴なんだ?」
「かーわいいねえちゃん。ちょっと中性ぽい顔立ちの。よく少年に見間違われた」
せっかくなので赤玉を飲もうとしていた手を止めた。
先ほどの人物を思い出す。
私と言っていた。
おや?
「酒が大の苦手でね。無理矢理飲ますとすぐ酔って、泣き出して、そりゃもう可愛かったんだよ。しかも酔っ払って武器のワイヤーで物切りまくるし」
確信した。あいつだ。
つまりヒューイは、同性にときめいたわけではなかったのだ。
少し安心した。同時にあいつに同情した。
「そりゃまた大変だな。え、そいつは今どうしてるんだ?」
そして彼が聞くと、ジュンはきょとんとした顔で見返した。
「何言ってんの? さっき見たじゃないか」
まさか、会談を見られていたのか。
「……どういうこった?」
「だから、ほら。墓地」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
「……はい?」
「君が手向けてくれた墓。あいつなら今、あそこに眠ってるよ」
「…………」
ヒューイはそのままぶっ倒れた。




