忘れていった酒・3《邂逅・1》
「何だお前?」
「あまり気にしないでもらいたいな」
さらりと答えた人間は、見た目十四あたりに見える。声や適当に切られた短髪からして少年だろうか。
少年はウェイターが持ってきた酒類に顔をしかめた。一緒にコップも奪う。
「酒か。体に悪いぞ、ジュースにしろ。私も飲めない」
「人の飲み物を飲む気だったんかい!」
「あいにく酒には弱いのでな」
肩を竦めた少年は恐る恐る、と梅酒に手を伸ばした。
「……む。まあこれならいける」
「そうか。だったら俺の我慢が切れる前に瓶持ってどっか消え失せろ」
「断る。この席が気に入った」
そう言った少年の顔は早くも赤い。
少年は左手で拳をつくり机の上に置くと、その上に自分の顎をのせ、じっとヒューイを見つめた。
「何だよ?」
「……奴のことが好きなのか?」
思わず吹きかけた。慌てて彼女を探すと、ジュンはドリンクバーの近くで男共と騒いでいる。
「な、ななななな」
「図星か。あの容姿だ、昔からよくモテていたからな。そのくせ本人は天然だ、何人の男が『ずっと親友だよね』の台詞を食らったことか」
「やっぱり天然かよ……」
「神譲りの唐変木がわざとなら、それはそれでタチが悪いが、私はそんな恐ろしいこと、信じたくない。まあ気付かないのもどうかと思うが」
確かに、その気持ちは分かる。
ヒューイは猛烈に頷きながら、ちびちびと酒に口をつける。少年はむっとした顔で酒をなめた。
「しかしあいつの天然は、未だに直っていないようだな」
その話し方に、違和感を覚える。
「未だに?」
「ああ。私は事情があって、あいつとは面と向かって会えない。理由は聞くなよ。下らないからな。話そうとしたり、淳と私を会わせようとしたら、即座に殺す」
「物騒だな!」
「どうせ私は物騒な奴さ」
膨れた少年が、空いている右手を振る。
風が凪いだかと思うと、ヒューイのコップがすっぱりと切断されていた。
まるで刃物で切ったかのような断面だが、少年はもちろん素手だ。
「……手妻か?」
「勿論。私の手に触ってみろ」
切られるんじゃないかと不安になったが、好奇心には勝てなかった。恐る恐る触れてみる。
すると、触れる前になにか別の細いものにあたった。
「なんじゃこら」
「細いワイヤーだ。ビーズを通すものであったり、バイオリンの弦であったり、種類は寄せ集めだがな。使い方によっては、先ほどやったようにものを切断することもできる」
少年は物騒な笑いを浮かべた。
「自分の首で試してみたいか?」
慌てて首を振った。そんな恐ろしい真似は嫌だ。
「だろうな。だったら諦めろ」
にやりとその物騒な笑いを収めた少年は、ウェイターが運んできた豚の丸焼きに、ナイフを突き刺す。
そのままぐりぐりナイフをいじくり回す。
「しかし奴も頑固だ。私のことが言えるか。橘が死んでしばらく経つというのに、まだ再婚しないとは」
「おい……その言い方は亡くなったジュンのダンナに失礼じゃねえか」
「その旦那の遺書にあったんだ。俺のことはさっくり忘れろ、別の相手でも見つけてさっさと俺のときには行けなかった新婚旅行に行ってしまえ、ってな。そこだけざっくばらんに書かれていたのを覚えている」
どう突っ込もうか悩んだが、ある一文に不信感を持った。
「俺のときには行けなかった?」
「ああ。奴は病気持ちでな。一時マシになって外を出歩いた時期もあったが、大抵は中に、というより病院に籠っていた。何故かは知らんが、戦になれば一発で元気になっていたがな」
ふんと鼻を鳴らす彼はナイフで豚肉を引きちぎり、それを食べる。
「む、うまい。そう考えれば、橘はかなり可哀想なやつだった。正真正銘の人間だのに神様仏様と祭り上げられ、天才やら神童やらと崇められ、挙げ句の果てに暗殺だ。唯一、奴に華々しい時期があったとすれば、それは橘の病気が回復して外を出歩いた数年と、淳との結婚から死ぬまでの間か。ふむ、そう考えれば奴の幸せは人生の半分もあったのか。哀れとは言えんな」
「お、おい」
聞いていればかなり物騒な人生だ。
ヒューイはこの方、他人に拝まれたことなどない。子供のころも平凡の平凡、大人になってからもこの仕事はやって当たり前、といったものである。それを拝まれるなど、想像するだけで鳥肌が立つ。
しかも病弱とはまた寂しい。しかも最後は暗殺だと。
どこが哀れじゃないと言えるんだ。
「まあ、暗殺だとはいえ、奴はどうせ寿命がもうそこまで来ていた。持った方が奇跡と言うべきか」
「ひ、ひでえなあんた」
「どうせ私は私だ。どうなろうと変わるわけでもない。ただ……」
少年の表情が沈んだ。
「それをいつまでもぐじぐじと引きずる馬鹿がウザいだけだ」
ヒューイの視界の隅で、ジュンがびくりと体を震わすのが見えた。しきりに辺りを見回している。可哀想だが、声はかけない。
よく見ると、少年は赤ら顔だ。かなり酔ったご様子。
「私に結婚しろだあ? エラそーなこと言いやがって。だったらお前はさっさと再婚相手を見つけろってんだ。俺は一回結婚したし、娘も孫もひ孫もいるからいいの、じゃないだろうがあのカスが」
怖い。ここまで酔っぱらいが恐いと思ったのは初めてだ。
しかし、聞き逃せないような単語が入っていたのも事実だった。
「孫? ひ孫?」
「そうさ。奴が何年生きているか、知っているか? 千年は越えているぞ、千年。人間に見えたか?」
言われるまでは、ちょくちょく非常識な場面を見ながらも人間だと信じていました。
「淳は正真正銘、一番偉い神の娘だ。あの姿からすると、二十歳から歳をとっているようには見えん。称号は……なんだったかな、そうだ」
少年はぽんと手をうつ。
「確か『幸神』だったな」
「コウシン?」
「渾名は大体何か一文字の後に神をつけただけだ。私だと『死神』橘だと『闘神』だな」
また三人とも凄いあだ名だ。そしてどちらも物騒だ。
「つまり、ジュンは幸せの神様と」
「ああ。民衆からはそう呼ばれていた。奴が生き物に幸せを運ぶと思われていたからだろうがな」
少年の瓶にヒビが入り、そのまま砕けた。
「奴の苦労も知らずに。笑わせる」
ぞっとするような声に、体が動かなくなった気がする。
酒場の空気が遠い。




