壱 眠気と、冬の体温と
ふと、目が覚める。
甘い空気の香りと、それをかき消すかのように重く響く頭痛。
遮光カーテンの隙間から覗く眩いばかりのハッピーエンドという現実。
遮っているカーテンが無ければ溶けてしまうと錯覚するほどの。
起こす気の無い身体、それに反し早く開けろと窓を鳴らす光と雪が、音のしない空間に響いては、頭を、全身を、犯していく。頭痛で、キャパオーバーにも近い自分だけを。
何時もは何も感じないはずの、その光と音が今日だけはやけに優しい気がして、届くはずもない『それ』に無意識と手を伸ばした。
それは、無意識に。
……あぁ、寒いな──雪遊びをしたくなる温度だ。
なんて、外に出ることを嫌う自分にしてはアクティブな思い付きを後で考えよう、と放棄した。
黒く、影を孕んだカーテンを左右に引く。窓の結露からか、少し湿っていて。
もう、冬だ。
改めて、そう感じる程……思っていた通りの光景が、自分の前に広がる──目の奥に鈍い痛みを伴って。
遮光カーテンの良いところは、自分を溶かす光から守ってくれるところだが、唯一の欠点をあげるとするならばその光にしっかりと向き合うと痛みを感じるところだ。
世間一般で言うと外の明るさで目を覚ますことが出来ない、という所も欠点だそうだが、自分はそうは思わない。
少しでも光があると眠れない自分には、最高の欠点──魅力的が過ぎるとも言える。
眠りが浅いのだろうな、何故かは、眠りを妨げている原因は。
自分の頭の中では分かっているつもりだ。多分。
これは、曖昧にしておこう。
は、と吐く息が白く残って広がる、寒い場所特有の現象。
それは、室内とは思えないほどに冷えていることを物語っていた。
赤く染まった指先を擦り合わせ、ほんの少しだけ発生する熱に縋り付く。
それだけでは暖まることなんて無いのだけれど。
寒いので、またどうせベットに戻るだけと、サイドデスクに放置された眼鏡を掛けることは無かった。
少し足下がぼやけるが、自分の家なのだから大丈夫だろう。
服装も、そのままで。
寝室のドアを開ければ、カーテンの開いていない薄暗い廊下が見える。
廊下で使われているのは遮光カーテンでは無いため、薄い明かりが透けて入って来ていた。
目を覚ましたあの暗さよりは、朝を感じる。カーテンを開けなくとも、足下が見えないわけでもない。
元々眼鏡を掛けていない故にあまり見えていないのだし。
けれど、何となくカーテンに手を伸ばしていて、何時のまにやら眩しくて。
(だからと言って、何があるでもないけど)
意味も無く、目の奥が鈍く痛められる。
生まれてもう十四年経つものの、この光には未だ慣れない。
自分がもっと幼い頃は慣れていたのかもしれないが、家から学校へ行く以外で出なくなった今、直接見るまでもなく眩しいと感じる。
床に差し込むぼんやりとした光をただ見つめ、目を細めていた。
それからどれくらい経っただろう、端から見れば一人で立ったまま床の光を見つめ続けるおかしな人で、それでもそんな自分を端から眺める人は居ない訳で。一人暮らしのようだが、仕事で親が居ないだけである。
ちなみに今日は日曜日だ。
……何をやっているのか、と問われれば何か意味のある行為では無かったし、さりとて何も考えていなかったわけでもない。
何を考えていたのかと言えば、まぁ、生産性のないことなのだけれど。
──雪が降ると、酷く虚しくなるのはどうしてだろう。
何故、こんなにも。そんなことばかり。
(向いてないな。外を見るのも、感じるのも)
床を眺める──正しくは光だけれど──それは、窓越しに外を眺めるのとは似て非なるもので、確実に『家の中』とは違う感覚をもたらしてきたり、形容しがたい感情を、運んでくる行為。
外は嫌いだ。
それでも、外に出て、雪に囲まれるのは好きだ。
雪に埋もれて、楽しいと感じるのも。
私の外が嫌いというのは、外が嫌い、という単純なこととは少し違うのかもしれなかった。
……まぁ、そんなことはさておき。
階段を降り、誰も居ないしんとしたリビングに足をのばす。
リビングのカーテンも開いていないことから、両親は二人共帰ってきていないらしい、廊下のカーテンも空いていない時点で薄々気づいていたけれど。
そのままリビングを素通りし、洗面所に向かい色々済ましていく。朝の準備と言うやつか。
この辺は、機械的にこなしていくだけ。特に何の気持ちも湧いてこない。
少しはねた後ろ髪をひとつに括って、それを終わらせた。
顔を洗った為か、少し眠気が薄まった気がする。
薄まったというだけで、眠い事には変わりないけれど。
取り敢えず水分を取ろう、となんの迷いもなくキッチンに入り、冷蔵庫にあるペットボトルを取り出した。
飲み慣れたジャスミンティーが喉を通る。
流石に冷蔵庫から出したばかりでは冷たくて、体温を更に下げている、そんな感覚に陥った。
冷たい飲料は苦手で、あまり自発的に飲むことはない。
それが冬であれば尚更。
冷蔵庫から出しておけば常温に戻るだろうとも思ったが、生憎室温も低いのである。
あまり変わらないでも、出しておくに越したことはないとそのまま持ち帰ることにした。
(もう、すること無いし寒いから戻ろう)
再び階段で自室へと戻る。朝御飯代わりのバランス栄養食も手に。
お腹は空いていない。食べた方が良いことは分かっているけれど、朝御飯はあまり食べないのだ。
両手が塞がっているため、少し行儀は悪いが、完全に閉じられていない扉を足で軽く蹴り開ける。
自室のデスクにペットボトルと朝食擬きを置き、今度はしっかりと手でドアノブを押し閉めた。パタリと音を立てて扉が閉まるのを、何故か見届けて。
ふと目に入った、デスクにあるノート。正しくはスケジュール帳だ。
ずっと前から何も記載されていない、無意味なスケジュール帳を開き、『寒い』と一言だけ書く。
これで満足だ、と思っているのか否か、書いたばかりで乾いていない文字を擦る。
インクが擦った通りに線を引き、親指を汚した。
──去年の今頃は、練習でスケジュールがびっちり埋まってたのに。
そんなことを考えても今更だ。
部活は辞めた。練習なんて無意味だから。才能がないのに、練習なんて。
は、と嘲笑を込めて息を吐く。
……夢に向かって努力できるのも、才能である。