零
ぼんやりと、夢を見ていた。
それは、私の理想であって、その名の通り夢であって。幸せだと、感じて。
何故、夢から覚めると、切ないのだろう。
夢とは儚い物で、それが美しいと、誰かが言っていた。
『儚い』という漢字は、人の夢、と書いて儚。
意味は、沢山あるらしい。
一、消滅しやすく、脆く、長続きしない。
二、不確定であって、当てにならない。実現が難しいこと。
三、何のし甲斐もなく、無益である。
四、大したことではなく、これといって取り立てるまでのことではないこと。
……夢は長続きせず、実現が難しく、無益でやり甲斐もなく、大したことでもないということか。
そう考えてしまうのは、単に自分の性格が悪いだけなのか否か。
夢とは不思議なもので、決まって忘れていく。
それが儚いと言うもので、美しいと、その誰かはそういうことを言っているのか。
それは、果たして美しいのか、自分には分からない。
一見美しいように聞こえる『儚い』が、意味を知りあまり良い言葉には聞こえなくなってしまったからか。
──儚くて、忘れてしまって、どうしてそれを美しいと言える?
美しいものは目には見えない──別の誰かはこう言っていたが、夢は、見えていないのだろうか。
その別の誰かにとって、所詮、夢は美しいものではなかったということか。
分からない。
自分が何をしたいのかも、何者であるのかも、夢も、全て。
私は、何になりたかったんだろう。
きっと、なりたいものなんて無限にあった。
いつの間にか失くしていて、落としていて。
それに気付かず、拾うことも、探すこともしなくて。
それが『大人になる』ということだと、勘違いして。
じゃあ夢を叶えた大人は、大人ではないのかと問われれば、それはそれ、としか答えられないだろう。
よく大人が子供に言う、うちはうち、よそはよそ、みたいなものだ。
夢を追いかけ続けられるのも才能。
その通りだと、思う。
いつのまにか失くしている。そんな、私みたいな人間もいるのだから。
中学生の分際で、何を言うかと、これからじゃないかと、言われるだろうか。
私は、叶わない夢を見るのは、『儚い』と、そう思う。
全ての事柄には『才能』というものが付きまとうのが決まりだ。
だから、もう夢は見ない。
夢を、追いかけもしない。
自分に才能なんてものはなくて、夢を見たところで叶わなくて、それは儚くて。
──でも、夢を見られない自分は、もっと大したことのない、儚い人間で。
そう思うから、余計に自分が痛め付けられて。
いつからかは忘れてしまったけれど。
夢で、何を見ていたのかも、目が覚めれば一つも、微塵たりとも覚えていない。
それが悲しいともはじめは思っていたのかもしれないが、そんな感情は捨てた。
持っていても、仕方のない感情だったから。
持っていても、どうしようも出来ないものだったから。
自分は普通で、平凡で居られればそれでいいと、諦めていて、でもその諦めですら居られなくて。
普通にも、何か特別を持った人間にもなれない。
どうしろと、言うのだろう。
神様を信じているわけでもないが、神様は、私をどうしたいのだろう。
神様は、こんなちっぽけで無価値な人間を、認知しては居ないのだろうか。
どうでもいいと、見捨てられてすらいるのだろうか。
私が、『悲しい』という感情を、持っていても仕方無いからというだけで、簡単に捨ててしまったように。