八、ここのカウンセリングなんてアテになりませんわ! 私、とうに自分の気持ちを把握しつつありますの。 二
どうせ勝手についてくるし。やっぱり置きざりにすればよかった。
ドアを開けると、細長く薄暗い廊下がのびていた。人一人分の幅しかない。タズキのうしろ姿もあった。
『そのまま通路を進んでください』
導かれるがままに、私は歩き始めた。
『三五六。肉体的な損傷・後遺症なし。精神・人格に異常発見』
耳で聞く音声ではなかった。私の頭のなかに、じかに届いてくる。相変わらず物知りお姉さんの声で。血が炎になる云々は無視されたようだ。それにしても、ヤバすぎる診断だ。あまりひどすぎてかえって好奇心を覚えてしまった。
『治療プログラムを実行します』
治療? 大きなお世話だ。にもかかわらず、お告げと同時に環境ががらっとかわった。木目調の茶色い壁に囲まれた小さな部屋で、いつの間にか背もたれのない丸い椅子に座っている。
正面には、質素だが背もたれのある四角い椅子に回復師とおぼしき一人の男がいた。もっとも、だらしなく太っているうえに辛うじて豚よりは人間に近い顔だちをした老人だ。もじゃもじゃの黒い髪はのび放題になっていて、顔の下半分はマスクでおおわれている。衣服は刑務所の制服と似たようなものを身につけていた。体格は私よりはるかに大きいものの、どこかぶよぶよしている。
「こんにちは、三五六。治療を始める」
いきなり回復師らしき男はいった。かろうじて聞きとることができるがらがら声だった。
「はい、よろしくお願いいたします」
ここは調子をあわせるほかない。
回復師らしき男は、右手を上着のポケットにつっこんだ。手をだしたかと思うと、細い糸を持っていた。糸の端には見たことのないお金がつるされている。まんなかに穴をあけた銅貨のようだ。
「あなたはねむくなーるねむくなーる」
私の前で穴あき銅貨をぶらぶら揺らしながら、回復師らしき男は低い声でつぶやいた。
「さ~目をあけていられない。眠りの世界へ……」
眠るどころかますます目がさえた。魔法かなにかのつもりなのだろうけど、乳児でもきょとんとするくらいだろう。
「あらあら早起きさんねぇ」
がらがら揺れる馬車のなかで、母は上機嫌に私をあやした。むかいがわの席には父がいる。背が高く、筋肉モリモリで黒い髪をしている。父はこんなに体格がよかっただろうか? 私が幼いうちに死んだのでよく覚えてない。とにかく私の頭ははっきりしている。それだけは間違いない。
私は甘えて母にもたれかかった。母の身体からは、どこか薬品のツンとくるにおいがした。下から見あげると、かさかさの白い髪が頭をおおっている。おまけに白衣姿で、脇の下には『三四二』と青い字で刺しゅうしてあった。
なんの気なしに、私は自分の手足をみた。白く細長い。もう十二、三年もすれば男どもを手玉にとるようになるだろう。いや、すでにそうしているか。
「もうすぐつくぞ」
短く父はいった。窓から外を眺めると、家や街まみはどこにもない。道のきわまで生い茂った木や草花がどこまでも続いていた。ああ、今日は森までピクニックにきたんだ。最大の楽しみはお昼ご飯で、ふだんは母といっしょに私も作る。今日だけは母が一人で作り、中身は知らないままだ。
馬車が止まった。母はドアをあけ、私の手を引いて外にでた。大きなトランクを手にした父が続いた。
父がうしろ手に馬車のドアをしめて道にたった。はしゃぐいで走りだそうとするのをやんわりと母がとどめ、父が私のあいている方の隣にくると同時に馬車は回れ右して去った。
私達は、奥へ奥へと歩いた。枝にとまった鳥の鳴き声や根から根へとはい回るトカゲの姿がいちいち私の好奇心を刺激したが、足を休めはしなかった。




