七、結婚詐欺師に賭博の駆けひきなんて、十年早いんじゃなくて? 七
かろうじて顔と手足だけはやられてない。痛みをとおりこして感覚が麻痺しかかってきた。
「ああ……ようやく手をとりあって死ねますね。さ、私のテーブルへどうぞ」
「おい、勝手なこというな。さっきはカードから先にすませただろ?」
「その前はルーレットからだったじゃありませんか」
『残り一』
レメンとタズキが不毛そのもののいい争いをしている間に、私は彼女達の間をすり抜けた。ヤンブルは目を大きく見張ったまま言葉がでてこず、リバーガは椅子から腰を浮かせかけたまま口を半開きにしている。
あらかじめ強く決心していたからこそ、次の手が打てる。ガーゴイルの石像を前に、私は遊園地のときから持っているナイフで自分の左手の平を切った。皮肉にも、凍えかかっているせいで痛くない。血までかちこちだったらどうしよう、などと馬鹿馬鹿しい不安にかられた。
左手から滴った血がガーゴイルの頭にかかり、小さいながらも頼もしい炎がゆらめいた。
「ぎゃーっ!」
私ではない。ガーゴイルが悲鳴をあげ、頭をおさえながら台座から転げおちた。同時に、私の身体から氷が湯気をたてて消えていく。即座に元気になったのではないにもかかわらず、私は勝利を確信してさらに深い傷をもう一つ左手の平につけた。間髪を入れず鞭のように左腕を振って、姿勢を直しかけたガーゴイルにもっとたくさんの血を浴びせた。
汚ならしい灰黒色の煙を全身からふきあげ、ガーゴイルは動かなくなった。もう予想していたように、焼け焦げたガーゴイルは泡とともに消えた。黒いフロックコートをきた老人の死体が現れた。格好からして裁判官だとわかる。
肩で息をしながら、私は残り時間を目にした。一。ぎりぎりの勝利。体力も……。また意識が……。絵本が……。
『お前は悪い奴だ。だから死刑だと裁判官はいいました。どうして悪い奴だときめるんですかと彼女は聞きました。法律だからだと裁判官は答えました。そんな法律に賛成した覚えはあませんと彼女はいいました。それでも法律は法律だと裁判官はいいました』
母が示した頁には、法廷でむかいあう裁判官と主人公がいた。裁判官の顔は、稚拙ながらガーゴイルの死体から現れた人間のそれとすぐ納得がいった。
『なら法律を変えましょうと彼女はいいました。たとえ変えてもいま下した判決は変わらないと裁判官はいいました。世の中そのものが変わったらすむ話ですと彼女は結論づけて、裁判官ごと裁判所を焼き払いました』
絵本の頁がぐらぐらゆれた。私を膝に乗せたまま、頁を読み終えた母もぐらぐらしている。
「姐さん、起きろよ! 起きてくれよ!」
ヤンブルが私の肩をつかんでゆすっている。
「触らないでくださいませ!」
意識をとりもどしてすぐの台詞が罵声に近くなってしまった。
「すまねえ、だがどうなってしまうのか気が気でなくてよ」
『おめでとうございます。見事に階段の守護者を倒されました。目先の勝敗にこだわらず大局を見据える、これも公爵様のご長男とご次男による発案です。がんばればがんばるほど、皆さんの精神は苦難を乗りこえ鍛えられていきます。ああ、なんと下々の成長にご熱心なお二人であらせられるのでしょうか。また一つ、社会復帰に近づきましたね! さあ、ターミナルをだします。上へ進みましょう』
クソウザ……とても親切な物知りお姉さんのご評価を踏まえて、ターミナルが現れた。
「こいつらどうする?」
リバーガが、固まったままのレメンとタズキを右親指でぐいっと示した。
「レメン様、タズキ様。お二人さえよろしければ、お友達になりませんこと?」
「はぁっ!?」
私以外の全員が、私に同じ反応を示した。
「この刑務所は、独特のルールで運営されていますわ。少しでも運営している側に触れた方々がいると心強いでしょう?」
「触れたってさ、あたしはただ制服もらってルーレットやれっていわれただけだぜ。あとはあんたへの罰則くらいだ」
「私も似たようなものです」
「それはどなたに指示されましたの?」
「看守」
「私もそうです」
「それだけでも大事な手がかりですわ」
「レメンとかいったか、お前トピアを殺したがってるんだよな?」
リバーガが無粋な合いの手をもちこんだ。もっとも、どうせはっきりさせないといけない。
「殺したがってるんじゃなくて、心中したがってるんです」
「どのみち俺は反対だ」
リバーガはにこりともしなかった。
「どうして私と心中したいのですか?」
「タズキは骨と皮だけで好みじゃないからです」
「つまり、レメンは女同士で……」
「ヤンブル!」
リバーガが鋭くたしなめ、ヤンブルは首をすくめた。
「そのお話、おたがい自由の身になればじっくりできませんこと?」
まあ、そんなつもりはないのだけれど。
「えっ、いいんですか?」
「はい、あなたのお気持ちにもできるだけ寄りそいたいですし」
「ありがとう! ありがとう!」
あらかじめだますつもりなのはなんとも思わない。




