四、クサいし吸われるし疑われるしでさんざんでございますわ! 五
全てに共通しているのは、絵があまりうまくないことだった。頁もぼろぼろだったように思う。安物だったからだろうか。
『この人には特に気をつけないとだめよ。弱い者いじめをお仕事にしている、怖くて乱暴な人だから』
私を膝に乗せた母は、さかのぼって開いた絵本の頁に描かれた一人の人間を指した。
目の部分だけを開けた細長い三角錐の帽子が顔を隠し、首から下はマントですっぽり覆われている。帽子から靴まで黒づくめ。唯一、マントからでている右手には大きなペンチを持っていた。ペンチからは血が滴っている。
さすがに恐ろしくなった私は、絵本から顔を背けるようにして母にしがみついた。母は私の髪を優しくなでながら絵本を閉じた。
『この人はね、拷問係っていうのよ』
母はそうしめくくった。
『残り一』
「ぎゃあーっ!」
甲高い悲鳴で我に返った。急に身体が軽くなり、反射的に振りむくとコウモリが断末魔をあげながらのけぞるように倒れた。そのむこう側にはヤンブルがいた。リバーガから盗んだ剣を持っている。
「こりゃかなりな名剣だなぁ。化け物でも一発だ」
おどけながら、ヤンブルは剣をニ、三回振ってコウモリの血を刃から飛ばした。
「あなた……」
「おおっと、ケガの手当てをした方がいいぜ。血まみれじゃないの」
そうだった。たった今までコウモリに血を吸われていた。布でもなんでも、とにかく傷口にあてて止血しないと。
「あれっ!?」
ヤンブルがすっとんきょうに驚いた。声こそでないが私も同じだ。
コウモリの死体が、ヘルハウンドのときと同じように泡に包まれて消えた。死体が人間のそれになるのも変わらない。もっとも、この場に現れたのは黒づくめの衣服を身につけた誰かだった。夢にでてきた拷問係そのもので、ペンチまでいっしょ。
「な、なんだこりゃー!」
叫んだままぽかんと口に空洞を作ったヤンブル。そうだ、ヤンブルは地下七階にはいなかった。だから、初めての体験になる。私は違う。一回目はさすがに仰天したものの、二回目は探求心のほうがより強くなってきた。
『拷問係は、犠牲者を殺してはいけません。なぜかというと、拷問が続けられなくなるからです。だから、犠牲者をわざと回復させます。回復したらまた痛めつけます』
母が語っていた絵本の内容が脳裏によみがえった。ヤンブルを無視して、拷問係のかたわらに膝をついて座る。衣服をあさったら案の定、小さなビンがでてくる。疑う余裕なんてあるわけない。蓋を開けて中身を飲んだ。
たちまち傷がふさがり、身体の内側からほとばしるように力が湧いてきた。背筋を伸ばしながらたちあがり、ショックから覚めないままのヤンブルをじっと眺めた。
「まず、助けてくださったことには感謝します」
「あ、ああ」
「しかし、私を結婚詐欺師と言いましたよね」
「そりゃあ……」
ぱぁんっ! 私の平手打ちがヤンブルの頬を捉えた。少しばかりかかとをあげねばならなかったものの、ちゃんと届いた。
「な、なにすんだよ!」
「私は貴族です。盗賊風情の侮辱など許すつもりはありません。本来ならそこのペンチで舌を引き抜くところですよ」
拷問係のペンチを右人差し指で示すと、ヤンブルは左手で頬を押さえながら注目した。
「猿芝居もいい加減にしとけ! だいたいあんた、丸腰のくせに……」
二発目の平手打ちがヤンブルをだまらせた。
「私の美貌に寄ってくる殿方が多すぎたのは事実です。いちいち相手にはしていられません。それを逆恨みして、適当なでたらめを言いふらしている方が時々いらっしゃるだけです」
適当なでたらめをならべた私に対し、ヤンブルは思わず一歩あとずさった。
「あなたの早耳とやらもその剣ほどではなさそうですわね」
けなしつつも、さりげなくヤンブルの自尊心をくすぐってやった。




