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5 対価


 

「つまり、あれこれ繰言を申したけれど、お前は復讐のための力が欲しいのね」


 騎士は人外に理解を求めなかった。諦念の表情で瞑目し、ため息のように漏らした。


「そう捉えて頂いて構いません」


 魔女は暫く考えを巡らせた。彼の望みを表面上叶え、その実人間の国を弱らせるようにしてやる必要がある。


「対価が要るわ」


 魔女は告げた。


「魔女は対価なしに働くことはない。それくらいのことは知れているのでしょう」


騎士は神妙に沙汰を待っている。

 彼には教養があった。暗い森の魔女が幾度となく血のインクで歴史書を書かせた存在だと承知していた。悪魔に魂を売り渡すのも魔女に魂を売り渡すのも元々が同じような話だが、殊更暗い森の魔女にあっては二度と浮かばれない定めの中に転がり落ちることだろう。

 しかし、現実問題として彼が縋ることができるのは暗い森だけだった。ほかの魔女の居処へ行くには旅支度は足りず、人の助けを借りることはできなくなってしまった。


「おまえに力を与え、おまえの望みが結果を得たあと、命尽きるまでわたしの従僕になってもらいましょうか。それが対価よ」


 魔女は、この対価は取り過ぎていると承知していながら口にした。内心では__森の意志に気取られないほどの内心では__騎士が対価に恐れをなして逃げ出してくれはしまいかと微かに期待していた。

 騎士が逃げれば、魔女はただ人を退けながら安穏としていられる。人間の国に動乱を引き起こすなどという大それたことを成すには多大な労力が必要だ。森で過ごす時間のほとんどを大いなる意志のくどくどしい人間への敵意に晒されて、魔女本人の心はいっかなその気を失っていた。反抗というには希薄だが、消極的には自分の役目を全て放棄してしまいたいという衝動に従ったのだ。

 騎士は難しい顔で押し黙った。いいぞ、逃げ去るがいい……。涼しい顔の下で魔女は思った。


 しかし、双方にとって不幸なことに彼には他に道が残されていないのであった。


「暗い森の魔女よ、貴女がそう仰るならその通りの対価をお支払いします。しもべにするでも取って食うでも、我が身一つのことならば支払えないということはありません」


 魔女は対価を示した。騎士はそれを是として支払いを約束した。こうなってしまったら魔女は契約を履行するしかない。そういうふうに生まれついた生き物だからだ。

 騎士がそこまで追い詰められていると理解できていれば違うやり方もあったかもしれない。しかし、魔女の感性では彼の窮地を正しく汲み取ってやることはできなかった。

 魔女はどこであれ誰であれ、自分の魔法を恃むことができる。そのうえ、取引で動植物の力を借りることもできる。街中にでも放り出されない限りは生きていけるようになっているのだ。

 さらにいうならば、そんなことは想像だにしないほどに魔女は自分の生まれた土地から動かないものだ。


 土地を持った貴族が一生を土を耕すのみで終える農奴のことを理解できないように、魔女も普通の人間のことは理解できなかった。それだけ大きな隔たりがあった。


 自ら言い出したこととはいえ、法外な対価を受け取ることになってしまった。散々言い聞かされてきた人間の悪徳と同じことをしてしまったのではないかと魔女は内心で慄いたが、今更取り消すことはできない。

 せめて法外な対価に見合うよう、彼の望みを叶えてやるために働かなければと魔女の心はキリキリ痛んだ。人間と同じ汚らしい精神性を自分が持っているかもしれないなどと、考えてはいけない。





 騎士の去った王国では表立って変化はなかった。

 王都の賑わった通りにも、商人たちでごった返す関所にも何も変わったことはなかった。

 ただ、騎士が去ったその日に国中の警邏、および騎士たちには人相の添えられた触書が密かに知らされた。その名と人相は、少なくとも王都の近くでなら知らぬ者はいなかった。

 オリヴィエ・ド・シュバリエとは騎士の名を自らの行いで勝ち取った高名な騎士であって、そこらの詰所に「生け捕りにせよ」の文字とともに見ることは生涯ないであろう名である。

 多分の驚きとともに、噂は密かに国中に広まった。

 そして、噂好きな者たちは酒場なんかの社交場に行っては、騎士が一夜にしてお尋ね者になった理由を推測して楽しんだ。


 今のところは誰か高位貴族の愛人か、そのような立場の女と駆け落ちしたに違いないというのが通説だった。彼は武芸でも名を馳せていたが、ことそれなりの地位にある女たちには男前で有名であった。自分の屋敷に転がり込んで来たら密かに庇ってやろうと決意を固める奥方というのは、表立っては誰も口にしないが、なかなかの数だった。


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