4 身に余る願い
暗い森の魔女と誉のない騎士 4身に余る願い
目覚めた瞬間から、騎士の態度はしっかりしていた。身分のある人物に仕えるのに相応しい教育を受けていただけでなく、胆力も備えているらしい。
それとも、武芸者ならこれくらいでは動揺しないのだろうか。わたしなら必要ないのにわざわざ闘争を求めるようなことはしないだろうし、精神構造が根底から違うのかもしれない。
淹れてやった薬草茶には手をつけようとしない。当然、魔女を警戒しているのだ。ごく普通の、ほんの少しだけ気分を落ち着かせる効果しかないお茶なのに残念だ。
「人間が一体何の用があって森に来た? 相応の覚悟をもってこの森の土を踏んだのでしょうね」
一応、警告だけはしておいてやる。今もわたしの耳に森が悪意を囁いている。
「無論です。まずは貴女に礼を述べさせてください。気を失っていた私を助けて下さってありがとうございます」
騎士は礼儀正しく謝辞を述べた。魔女は殆ど嘲笑った。馬を故意に暴れさせた張本人に畏まっている間抜けさは、侮りを覚えるには十分だ。
「私は、魔女の助力を求めて来ました。権力に固執し道を誤った主人を弑し奉りたいのです」
魔女は彼の都合の良い願いに安堵した。もちろん、その安堵は表情に現れることはなかった。身形からしてこの騎士の仕えていた主人は王族に連なる誰かだと夢では見た。これから王になろうという者が不穏な原因で死ねば、国は荒れるだろう。
魔女にとっては絵空事のように感じられるが、人間の国とはそういうものらしい。望むと望まざるに関わらず人間を害さなければならない彼女にとっては渡りに船だ。
騎士の願いに満足したことを示すため、魔女は少しだけ口の端を歪めて笑って見せた。あくまでもほんの少しだけ。魔女が威厳と神秘を保つために感情を大袈裟に表現することは禁じられている。
「いいでしょう。おまえが対価を支払うのなら人の理を外れるだけの力を与えてやる。しかし、人間。魔法を以ってしても罪人になるのはおまえ一人、血に塗れるのもおまえだけ。もし願いが叶わなかったとしても、それはおまえ一人の責よ」
「それがわかったら、卓に着いて。茶でも飲みながら詳しい話を聞いてあげるわ」
沢山話したので、魔女の喉は痛んだ。それを誤魔化すため、茶のポットから一杯注いで優雅に飲んだ。
私は王太子にお仕えしていました。お生まれは第三王子なのですが、一番上の王子は体が弱くて成人してすぐにお亡くなりになりました。第二王子を政争で追い落とし、昨年に正式に立太子された方です。
政にも明るく、武芸も修められ、臣下にも良く報いる方です。少なくとも、私の見る限りはそうでした。
私の母は身分のある人で、王太子の乳母を任されていました。父親が悪かったらしく、私自身の身分は平民です。実の母ではあるのですが、表向きは養子ということになっていました。そのおかげで家に縛られることなく、終生を護衛騎士として過ごすことになったのは幸運と言って差し支えないことです。私は王太子と乳兄弟で、おそらく最も近しい人間だったはずです。それがどうして私に此度のような仕打ちをしたのか、真実悲しい。
乳兄弟ですから、幼少の砌を共に過ごし同じく学び、競って育ちました。驕りのようですが、優秀だったので褒められて育ちましたし、関わる人物にどれを取っても劣らぬ主人は私の誇りでした。
私もそんな主人に恥じぬよう励んできたのです。
結果を出せば折に触れて褒美をくださいました。このマント留めは三年前の狐狩りで第二王子から差し向けられた刺客を退けた功で賜ったものです。それから、剣帯は御前試合の褒美です。交易の話を纏めるために他国へ行く道中に野盗を追い払ったときは、軍馬を__連れてきた黒い馬がそうです。
なにせ、平和な国です。私たちの仕事のほとんどは交易を取りまとめたり、あれこれ差配して領地が良くなるように手を入れたり、色んな人から話を聞いてみたりするようなことばかり。
褒美を貰う仕事というのはほとんど事故のようなものです。
優秀な第三王子とその護衛騎士として評価されていれば私はそれで満足でした。しかし、我が主人はそうは思わなかったのです。
あるとき、ふと主人は王位が欲しいと仰いました。そのときに感じた目つきの恐ろしさは、現実だったのだと……今になって骨身に染みて解ります。
王になるためには、兄王子に王の資格なしと烙印を押すことが必要です。どれほど能力に優れていても、欠陥がなければ血と序列が重視されることは魔女の価値観では不可思議かもしれませんね。
昔から、第三王子を王位に押し上げようという派閥の人間は少なくありませんでした。誰もが言葉を濁しはしますが、明らかに優れているのは我が主人のほうでしたから。
しかし、自らの利益のためにご兄弟の名前を汚すようなことはなさいませんでした。無用の血が流れることを避けていらっしゃいました。
たとえ立場を脅かされるのを恐れて兄王子から刺客を差し向けられても、こちらから報復するようなことはしてはならないと厳命されていました。その頃はむしろ私のほうが血の気が多くて、よく怒りを露わにするなと咎められましたよ。
王位を欲した後、そのような心は全て失われてしまいました。
私は護衛騎士ですが、王弟の付き人として恥ずかしくないように教育されました。ですから、彼がどれほど容赦なく兄王子のお立場を切り崩していったかわかってしまいました。
兄王子の失敗を針小棒大にあげつらい、過去の行動を糾弾しました。兄王子から刺客を差し向けられた件の証拠も残っていて……もしやもしたら、その時からお考えはあったのかもしれません。
兄王子の派閥の貴族や商人を抱き込んで不祥事を捏造し、問題を敢えて起こして責任転嫁し……自作自演でした。
兄王子が王位継承権を剥奪される要因になったのは、度重なる失態もそうですが、身分の低い女と通じたと公の場で露見してしまったことでしょう。
もちろんそれも主人の手腕でした。正体を失くす水薬を盛って兄王子の部屋に女を招き入れたのです。その頃には兄王子の側近も護衛も、みんな主人の手の内にありました。
頃合いを見て部屋を開け、騒ぎになれば後は既成事実がありました。
汚い手を使うためには汚い連中と関わらなければできません。主人の周りは常々大勢の人がいましたが、中にはどこの誰ともしれない、怪しい輩もいました。彼らと交流するために悪い遊びをして、彼らと良く似た下卑た顔で笑う主人を……私は見ていなければなりませんでした。
護衛騎士が正気を失っては仕事になりません。
しかし、正気でいることがなによりも辛かった。
兄王子は鄙びた離宮に幽閉される運びとなりました。しかし、主人はそれに飽き足らず、私とほか数名を盗賊に化けさせて兄王子の馬車を襲わせました。死ぬまで追い回せと……。
盗賊のやり方を真似て殺しました。王族を手にかけるとは、あまりに畏れ多い所業でした。しかも、兄王子は生活に困らぬようにとあれこれ宝飾品を身につけていたのです。外すのが難しいところは肉体ごと切って持ち帰りました。盗賊が金目のものを残しておくはずありませんから……。今まででいちばん厭な仕事でした。
兄王子の印台を小指ごとお持ちしたとき、殿下は満足そうに笑いました。追って褒美を出すが、ことが落ち着くまで待つように私に言いつけました。何がそう思わせたのか、殿下が心底満足にしていて私は幸福を感じました。心優しかった殿下と全く同じ顔で異母兄の指を暖炉に投げ入れるのです。
私はそのとき、殿下がたとえ毒蛇のような男だったとしても一生お仕えしようと思いました。
城の中なのに殿下と離れて過ごすのは落ち着かなかったのですが、休暇と思えと言われていたのです。
部屋に篭って過ごすうち、窓から手紙が投げ入れられました。私に身の危険を知らせ、いつでも遁走できるよう備えろと警告されました。私の従騎士、見習いのようなものですが……彼の筆跡でした。悪筆なので長い付き合いの私くらいにしか読めない字です。私は密かに外に出るためのあれこれを服の下に着けたまま過ごすことにしました。
次に呼び出されたのは殿下の私室ではありませんでした。呼び立てにきた侍従の表情や私への態度に感じるものはありましたが、素直に従いていきました。
帯剣も護衛騎士のための印もそのままでしたし、通された場所もそう秘密裏のことがあるような場所ではありませんでしたから、扉が開くまでは警戒もしてはいませんでした。
部屋の中には殿下と武装した見慣れぬ騎士が数名おりました。言い残すことはあるかと聞かれまして、どうにも憤ろしく。
扉を壊して逃げ、逃げてこの森へ逃げ込んできたのです。




