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 果たして騎士は翌日陽の高いうちに森へと辿り着いた。素晴らしく早い到着は夜通し馬を走らせたからだろう。

 森の中は魔女にとって体の一部のようなもので、大まかな状態ならば感知できる。こと人間が入り込んだかどうかははっきりとわかる。鉄の武具の臭いも目立つ。騎士は森に入ってからはゆっくりと進むようになった。馬から降りなければ進めないのだ。整備された道はここにはない。細々と人一人が枝を払い草を分けながらやっと通れる程度の道筋があるだけだ。道の先には魔女の家があるばかりで、通るのは分不相応の願いを持った追い詰められた人間くらいのものだ。

 魔女の住処は広く知られている。その町の知恵者に尋ねればどの魔女の居所もたちどころにわかるだろう。

 人間が森や川や湖で危ない目に遭うと、それは魔女の仕業ということになる。実際には不注意で道に迷ったり苔むした足場で転んだりしただけであっても、恐怖を擬人化することで学が無くても理解できるようにするのだ。実際に手を下すときも自然の仕業を装うのであながち間違ってはいない。

 しかし、人間は魔女の知恵を借りにくることもある。大なり小なり、魔女は恵みや安全を約束する代わりに制約を課して保身を図っている。そのためには人間と対話する必要があるので家に招く。大抵の場合、そのときに場所は周囲の人間の知るところとなる。暗い森の魔女は歳若く、人間と関わったことはなかったが前の暗い森の魔女が何らかの契約を(しかも、かなり威圧的な契約を)しているのは理解していた。

 だから、たぶんあの騎士も魔女の家に真っ直ぐやって来るだろう。悪路とはいえ強壮な人間ならば半日あれば十分の距離しかない。近くに来て剣を振り回されたら嫌なので、ここにくる前に無力化したい。


 騎士は森に入る前に追手を斬っていた。彼は生まれの身分は平民だったが、武芸で身を立て王の嫡子の護衛騎士の職分を得るだけの技量を持ち合わせていた。それでも鎧は返り血に濡れて人里に降りられようはずもない身なりである。元より暗い森を目指してはいたが、途中の村に一晩の宿すら借りられなかったために夜通し走ることになった。

 手傷こそ負っていないが、騎士も馬も疲弊していた。開けた場所では身を隠すことすらできない。王家の執念深さを身をもって知っているからこそ、どれだけ疲れていても休むことはできなかった。服事していた王太子がその地位のために異母兄をまる五日も追い回させたことは記憶に新しい。まして騎士はその当事者だった。暗い森の端に着いた安堵は計り知れない。

 暗い森は魔女のテリトリーだ。魔法を操り人心を惑わす女の腹の中に等しく、この国の歴史の中で開拓を拒み足を踏み入れた者を飲み込んできた。二度の開拓事業を獣の顎で食いちぎり、森の恵みを求めた人々に呪いを授けて追い返した。結局、国は開拓を一時凍結として何十年も前に森と周辺を禁足地に定め、それきり不干渉を保っている。

 国が定めた以上は軽々に追手が入ってくることもないだろう。そう思えば自然と歩調は緩んだ。

 小さな滝の側で足を休めていると、俄に馬が落ち着かなくなった。急に連れ出して疲れているとはいえ訓練を受けた軍馬は些少なことでは驚かない。馬具の具合が悪いのだろうと当たりをつけて馬銜を外させてみるが、特に問題は見当たらない。

 それならばと後ろ足を抱えて蹄鉄を覗き込んだとき、崖上から狼の吠え声が響いた。咄嗟に見上げようとするが、それよりも驚いた馬が彼の顔面を蹴り上げる方が早かった。

 馬のひと蹴りはしばしば馬房の壁を壊すほどの威力がある。さらに軍馬は敵を踏みつけてでも行軍するよう調教されている。不安定な体勢からでも、騎士の意識を暗転させるには十分だった。

 幸か不幸か彼は兜をつけていなかった。鼻面に馬の蹄を受けるだけで済んだ。もし鉄兜を被ったままだったなら、蹴りで歪んだ鉄板に延々と挟まれる拷問を味わうところだった。

 崖上の狼たちは一人と一頭を一瞥し、仕事は終わったとばかりに帰っていく。

「ありがとう、おまえたち」

 去り際に一頭ずつ背中を撫でてやり、わたしは狼たちと入れ替わりに騎士を眺める。あとであの狼の群れには何か褒美を取らせなければならない。

 魔女と他者の関わりは人間に限らず取引だけだ。だから、狼のひと吠えでも頼んでやってもらったことならば対価が必要になる。

 そんなことを考えながら、鼻血を滴らせて伸びている騎士を見下ろす。

 騎士も馬も思ったよりも大きいし重たそうだ。この森は人間が嫌いだから、人間の愚かさや小ささや弱さを聞かせてきた。わたしはてっきり、人間は狼が咥えて運ぶ兎くらいの大きさだと思っていたのだけれど……これは一人では運びきれない。

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