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1 逃亡騎士

 その森は、人間を拒むが如く鬱蒼としていた。こんな晴天の日にさえ樹々の間は暗く煙ったように見通せない。その森から歩いて三日を要するほどの場所に王城がある。

 森とは反対の方向に広がる国民を養って余る農地に支えられた、白い壁と赤い屋根の王国だ。長らく戦争もなく周囲の国々とは交易で共栄を恣にし、王都に在籍する騎士は競技騎士か護衛騎士が殆どだ。

 競技騎士はその名の通り武芸を競技として身を立てる騎士のことで、年に一度の騎士競技会の莫大な賞金とパトロンの支援で生活している。裕福な家の嫡子以外の子供が選ぶ道ではあるが、道楽を嗜む貴族や商人の後ろ盾を得て平民が競技騎士になることもある。前者はともかく後者は実績を残せなければ援助を打ち切られ、いい年になってから働き口を見つけなければならない。

 護衛騎士というのはまた別で、所領のある貴族や王家が擁する兵士や衛士の中から選抜された1人の主人に仕える護衛のことだ。普通の兵士とは違って騎士の称号を得て所領を持たないにせよ身分上は一代貴族として扱われ、主人に同行するため武芸の他にも貴族としての教育を受けることができる。その代わり自分の意思で主人を替えることは出来ず、生活や収入の全てを主人に頼る。主人の一存で進退の全てを左右される人生はやはりそこまで良いものとは思われない。

 王城の裏口から馬を駆ってひとりの騎士が出てくる。鎧やサーコートの王冠を戴く翼竜の紋章で彼が王家に仕える護衛騎士だとわかる。しかし、所属する城から出てきたとは思えないような焦った足取りで、手には剣を持ったまま。

 普通なら騎士は馬に乗るときは槍と盾を持つものだ。剣では馬上で使うには長さが足りず、十分に戦うことはできない。そもそも護衛騎士は貴人の護衛が主な職分で、伝令なんかの仕事以外で主人の側を離れることはない。

 さらにあり得ないことに騎士の持つ剣は血に濡れていた。よく晴れた陽の光に赤い液体が光っては地面に落ちていく。暫し馬を走らせると騎士は兜の眉庇を上げ、背後に視線を走らせる。精悍な目鼻立ちが見てとれるが憔悴した表情が眉に表れている。

 彼が走り出てきた目立たない城門は俄に騒がしくなり、数騎の追手が続いて走り出てくる。逃亡する騎士は暗い森の方へと馬を向け、真っ直ぐに向かっていく。耕されぬ土地、暗い森へと続くばかりの草原の中を、黒い馬に乗った騎士がゆく。




 という夢から覚めて、わたしは森の奥底で目を覚ます。カーテンと鎧戸を開けて朝靄も晴れない森の空気をいっぱいに吸い込む。暗い森の只中とは言え、湖の上は明るく太陽の光が透けている。空模様を見る限り、今日は雨の心配はなさそうだ。

 それを確認したら朝の薬草茶の準備をする。心が動揺していてもいつも通りの行動ができるのは、魔女の特性の一つだ。

 魔女。わたしは魔女だ。魔女というのはその名の通り魔法の力を持つ女__ではない。むしろ逆で、自然の持つ魔法の力が女の形に凝り固まったものが魔女なのだ。姿が人間に似ているというだけで人間ではない。どれかというと妖精や魔物に近い存在だ。そして、魔女は生まれつき魔法の力と異能を宿している。自分の源になった自然の場を守るために必要な程度の力と智慧を持って生まれ、より上位の自然霊である水や土や風の精を師匠にして育つ。魔法の力を能動的に行使することができない自然が、自らの身を守るために生み出した端末。それが魔女だ。

 魔女は土地の名前と異能の名前を名乗りに使う。それが魔女の代名詞であり、最も特徴づけるものだからだ。魔女が持つ魔法の力と異能はその個体によって様々で、力の強い者もいれば弱い者もいる。わたしは魔法の力は魔女の中では強い方だが、異能は……。

 だからわたしは暗い森の夢見の魔女だ。わたしの異能は「その日起こった自分に関わる出来事を、その日の夜に夢で知る」こと。大自然を従えるように動かすことも、目を見た人間を石にすることもない、言ってしまえば地味で外からはわからない異能だ。

 昨日の夜に見た岸の夢を薬草茶を飲みながら思い出す。あの騎士は暗い森へと向かっていた。馬に乗っていたから順調に行けば明日か明後日には森に辿り着き、そこから半日もあればこの魔女の家の近くまで来られるだろう。

 それまでにわたしはあの騎士を生かすか殺すか考えなければならない。

 魔女の役割はこの森を守ることであり、使えるのは自分で行使できる魔法の力と過去視の異能、それから16年間で得た知識とこの家に蓄えた物資。

 あのわけありの騎士を森に受け入れて生かしてやったとしても、礼が返ってくるとは限らない。人間は信用に値しない、自然に逆らい摂理を曲げる醜い生き物だからだ。しかし、殺してしまえばそれを理由に王国が森を敵対視しないとも限らない。わけありとはいえ王家に仕える人間を魔女が殺したのならば相応の報復があってもおかしくはない。

 幸いにも王都から森までには距離がある。少なくとも丸一日と明日の夢までは考える時間があることは、わたしの夢見の異能がこの森を守るのに十分な能力であると物語っている。


 昨日の夢で見た騎士は城内で刃傷沙汰を起こしてしまったのだろう。彼のサーコートの色は青、高貴な血筋の色合いだったから嫡流の王族の護衛を任された騎士だったことは間違いない。彼の腰には鞘が下げられたままだった。王城の中で帯剣を許されていたことが見てとれる。そんな人間が血濡れの剣を携えて急いで城を出て、しかも追手がかかる事態から察して知るべしだ。

 わたしの異能は全てを見せてくれるわけではない。そこから一体何がわたしに関係するのかを読み解くのは一枚の絵から意図を汲むようなものだ。そのためにわたしは生まれ持った智慧以外の知識を身につける必要があった。近隣の国々の内情や人間の生活、政治、戦争……。醜いものを学ばなければならなかった。気分の良いものではないけれど森を守るために必要なのだからしょうがない。

 魔女が守る土地は魔女の命でもある。土地が人間のものになり、魔法の力が失われてしまえばい魔女も消えてしまう。だからわたしたち魔女は人間のテリトリーにならないように適度に恐怖を振り撒き、適度に神秘を感じさせるように振る舞わなければならない。

 だから、この森が国家の如何に関わるようになるような事態は避けたい。火でも点けられたら目も当てられない。しかし下手に出てはならない。


 普段通りに薬草たちの世話をし、森の見回りをして、夕の沐浴を済ませた頃に心は決まった。生かすにも殺すにも事情がわからなければその後の動きもままならない。生捕りにして話を聞いてからにしよう、と。

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