その呪いは真実の愛で解けるそうです(つまり真実の愛がなければ解けません)
皆様こんにちは。
わたくしは、つい先日フレデリク王太子殿下に婚約を破棄されました、バルドゥール公爵家の長女アルマディアと申します。
婚約破棄の場面は不要でしょう。
卒業パーティーでの断罪劇など、皆様すでに食傷気味でしょうから。
傍らに男爵令嬢を侍らせて、高々と婚約破棄と彼女との婚約、わたくしの悪行とやらを述べておりましたけど、もちろん冤罪ですし、殿下のしたことは完全なる不貞行為でしかありません。それをわざわざ衆人環視の中で自ら宣言する阿呆……こほん。愚かな振る舞いがなぜ許されると思ったのか不思議でなりません。
やっぱりお馬鹿……こほん。いえ、浅慮なところのある殿下でしたから、それほどおかしくはないのかしら?
ですが、これはいくらなんでも酷い。
「それでなぜわたくしに声が掛けられたのでしょう?」
酷いと指したのは、婚約破棄のことではありません。
その後に起こった騒動のことです。
事の顛末はこうです。
王家と公爵家で取り交わされた政略結婚。そのための婚約を、殿下の一存のみで破棄されたことを、国王陛下は大層お怒りになりました。ですわよねー。
根回しなんて高度な真似、フレデリク殿下とあの男爵令嬢が出来るはずがありませんものね。お二人とも頭がお花畑でしたから。
そしてこちらも重要なことですが。わたくしは公爵家の人間です。
高位貴族をなんの証拠もなしに犯罪者呼ばわりし、あの場で国外追放だと叫んでらっしゃいましたけど、当然裁判もなく、王太子殿下といえど、まだ司法権をお持ちでない彼にそんな権限はありません。
顔色を蒼白にした侍従と護衛が殿下を抱えるようにして退出していきましたけど、愚鈍な主を持つと周りが苦労しますわね。
男爵令嬢の証言は、証拠とは言えません。
むしろ高位貴族への侮辱行為です。
当然議会で、この件は紛糾したそうです。わたくしは議会には出られませんが、お父様が出席されていたのでその様子はある程度耳にしました。
当然のことながら、かなり王室は批判を受けたようですわね。
王太子殿下個人の行動ではあるものの、越権行為に不貞、正当性皆無の断罪。
法を無視し、貴族を蔑ろにする行為。これが罷り通るなら王族の独裁です。法治国家で許されるわけがありません。
このような行いを軽々しく実行する人間に王位は継がせられないと、議会で王太子位剥奪の声が上がるのは当然のこと。ざまぁですわ。
ここで慌てたのが王太子殿下。まさかご自分に責が返ってくるなどと考えもしなかったのでしょう。
それと、殿下は思い違いをされているようですが、わたくしと婚約破棄をしたところで、男爵令嬢を王妃として娶れる可能性はかなり低いのです。
いくら貴族たちの見ている前で婚約を宣言しようと、幼い子供の「大きくなったら結婚しようね」と約束し合う程度の効力しかありません。
陛下が許可しなければそれまでです。
それに反発した王太子殿下は、「私は真実の愛を貫くと決めたのです!」とおっしゃったとか。
そしてこれはもうどうしようもないと、陛下も諦めたそうで。
そんなにその男爵令嬢と結婚をしたいのなら、廃嫡して王籍を抜け、一代限りの男爵位を授けるから臣籍に下れば婚姻を認めるとおっしゃったそうです。投げましたわね陛下。
しかし、それでも一応落としどころではあったでしょう。
王位継承権を返上という形なので、殿下が醜聞の責を取る、という名目は成り立ちます。
それで終わる話だったのですが…。
ああ、勿論賠償や男爵令嬢の侮辱罪は、また別の話なので、きっちり責任追及は致しますよ?
問題はさらに別に起こったのです。
「ディア、曲がりなりにも婚約者だったんだ。その、殿下に対して思うところもあったのではないか?」
「お父様、わたくしとフレデリク殿下は政略のための婚約でした。その間に愛などございません。それは皆様も良くご存知のはずですが」
なにせ男爵令嬢との間に真実の愛を見つけたと、王太子殿下自ら叫んでらっしゃっいましたからね。そのことはお父様にも報告したことです。
わたくしが殿下を愛したことは、正直一度もありません。
そもそも出会った当初から、殿下はわたくしのことが気に入らない様子でしたし。
そんな相手に恋情を抱くほど、わたくしは優しくありません。
あまりに理不尽な態度を取り続けるものですから、一度理由を尋ねたことがありますが、当人からの明確な答えは得られず。
代わりに殿下の侍従から聞いたところによると、わたくしの方が頭がいいのが気に入らないのだとか。
わたくしは当初から婚約者という立場で王宮に上がったわけではなく、勉強嫌いな殿下に発破をかけ、切磋琢磨して勉学に励むようにと宛がわれた学友の一人だったのです。
その時に王妃殿下に目をかけられ、婚約者に抜擢されたのですが…。
殿下が馬鹿なのはただの自業自得ですわ。あ、馬鹿ってはっきり言ってしまいましたわね。でも声には出していないので問題ないでしょう。
で、その馬鹿殿下ですが、さらにお馬鹿な行動を取り、なぜかわたくしが王宮まで連れてこられるはめになったのです。
今回の騒動によって開かれた臨時議会に出席していた父から王宮へと呼び出しを受け、通されたのは人払いのされた応接室の一室で。
そこで一連の出来事を教えてもらいました。
なんでも件の男爵令嬢が「リックは王になるために生まれてきた高貴な方なのよ。それを私のために棒に振るなんて耐えられない!」と嘆き悲しみ宣ったらしい。
「それにこのままだと私は公爵家に楯突いた罪を着せられてしまうわ。そうなると貴方との結婚も難しいかもしれない…」
罪を着せるもなにも、当然の帰結ですけれどね。
いくら説明しても、ボンクラたちの頭では貴族社会の礼節や上下関係が理解出来ないようなので、もういちいち突っ込みませんが。
そしてわたくしには本当に理解出来ない思考回路の持ち主たちは、さらにやらかしやがったのです。あら、驚きすぎてはしたない言葉遣いになってしまいましたわね。
でもそれくらい、とんでもない事態を巻き起こしたのです。
「リック…私たちの真実の愛は、みんなに目に見える形で示すべきだわ。そうしたら、みんなにも私たちを祝福してもらえて物語のようにハッピーエンドになれると思うの!」
「目に見える形って、一体どうするんだ?」
「悪い魔女に呪われた王子様を、美しいヒロインの口付けで呪いを解除すれば、真実の愛が良くわかるでしょ?」
「の、呪い!?」
「そうよ。そのくらいインパクトがないとダメでしょ?王様だって、そんな悲劇に見舞われた息子に王位継承権を返せなんてひどいこと言わないわ。それに王子様の呪いを解くなんて、国を救うような大きな功績だわ。そしたら私も王妃になることを反対する人だっていなくなるでしょ?」
「なるほど!さすがリリエラ、頭がいいな!そうだ。ついでにアルマディアが私に呪いをかけたと証言すればいいのではないか?そうすれば、私の呪いを解いた君を公爵家だって糾弾出来なくなるだろう」
「まあリック!なんて機転が利くの!貴方こそ天才だわ!」
な ん で や ね ん !
つい東方の旅芸人のツッコミの言葉が飛び出す程、これは酷すぎでしょう!?
頭の弱さが酷すぎる!
ちなみに彼らの会話をなぜ知っているかというと、フレデリク殿下の侍従が一部始終を見ていたからです。迂闊すぎるというか、それだけ侍従を信頼していたのか…。
どちらかと言うと王太子たる自分なら、何をしても正当だと勘違いしている故な気もしますが。
まあ議会で退位を迫られて尚、忠誠を捧げられる価値がご自分にあると思える面の皮の厚さは驚嘆に値しますわね。
そして殿下たちは、本当に魔女に依頼して、呪いを掛けてもらったのだとか。
苦痛を伴う呪いは嫌だと殿下が騒いだので、愛する者の口付けで目が覚める―――逆を言えば、愛する者がいなければ解くことの出来ない眠りの呪いをその身に受け入れた(顔だけは)麗しの王子様が、今王城にいらっしゃいます。そう、現在進行形なのですわ。つまり。
「わたしがリックを真実の愛で目覚めさせます!」
と、宣言した男爵令嬢リリエラ嬢は、事情を聞いて駆けつけた陛下や宰相の前でぶちゅっと、一発口付けたそうです。
「リック!さあ目を開けて!」
「………………」
「あ、あれ?リック?早く起きて!ねえってば!」
殿下の瞼はピクリとも動かなかったとか。
焦ったリリエラ嬢は、もう一度殿下に口付けしたそうですが、結果は同じ。
「そ、そんな…」
リリエラ嬢は愕然として肩を震わせ…。
「酷い!リックは私のことを愛してなかったのね!?」
いやいやいや!逆でしょう(笑)!
つまりリリエラ嬢はフレデリク殿下を愛してはいなかったということです。
恐らく王妃という地位目当てだったのでしょう。有りがちすぎですわ。
この手の呪いの『愛する者』という対象は、殿下が、ではなく、殿下を、愛する者という形でないと呪いは解けない仕組みだったわけですわね。
まあ、眠ってる状態では、キスした相手が愛する人かどうかなんて認識出来ませんしね。
事の顛末を侍従から聞き出した陛下は、リリエラ嬢を王太子を唆した罪で牢に入れるよう命じたそうです。
元々我が公爵家から陳情もしてましたしね。というか、王太子を呪った犯人にわたくしを仕立て上げようと共謀した罪もありますし。
ちなみに侍従は軽い謹慎処分。
一部始終を見ていた彼は、勿論主を止めたそうだけど、フレデリク殿下とリリエラ嬢が聞き入れるわけもなく。
なら、実行に移す前に陛下に報告をするべきところだけど、彼はそれをしなかった。
その理由は、ここで止めても本人たちに反省する心がなければ、また違う傍迷惑な行動を取るだけ。しかも次は内密に進めようとするはず。
止めなければ、単純にフレデリク殿下が呪われるだけの話で、男爵令嬢によって呪いが解かれても解かれなくても、リリエラ嬢が王太子を唆したことに代わりはなく処罰の対象となる。
それを踏まえての黙認だったと、侍従は告白した。
「ただ、私の一存で決めていいことではなかったことは承知しております。如何様にもご処分下さい」
廃される予定であれど、まだ王太子であることに代わりはなく。また主の身を危険に晒した咎は、臣下が負うべきもの。
でも陛下も思うところがあったのでしょう。あのアンポンタンに何年も側で仕えてくれていた人物です。
わたくしも殿下とお会いした時に、何度も顔を合わせてきましたから、彼が実直で職務に誠実な性質なのは存じています。
婚約者であるにも関わらず、いつも殿下に冷遇されてきたわたくしを優しく気遣って下さったり、労りの言葉を掛けて下さいました。
小さい頃は、殿下の学友の一人として一緒に机を並べた方でもありますし。
ですので軽い処分にほっとしました。
フレデリク殿下?彼は廃嫡が決定したそうです。
そして呪いを解く手段を講じることなく、衰弱するのに任せると。
殿下は眠った状態ですので、当然食事や身体を清めるといった、生命活動に必要な行動が一切出来ません。
水さえ与えられないということは、つまり殿下の命は保ってあと数日。
実質、緩やかな処刑です。
わたくしへの謝罪どころか、新たに自作自演の冤罪を掛けようとしたのです。
勿論、殿下とリリエラ嬢の企みが真実かどうか裏が取られています。
依頼を受けた魔女が、録音魔法という術で取引の時の会話を記録していたらしく、殿下方の声が残されていました。
もし魔女の元に、呪いの依頼をした人物を探りに来た者がいればわたくしの名を出せとか、痛いのや醜い姿になる呪いは嫌だとか。「リリエラも、いくらリックでも蛙にキスするのは嫌よ」という台詞もあったそうです。
そして支払われた報酬は、金貨(当然民の血税です)と殿下の手持ちの装飾品だったのですが、一部は亡くなった王妃様の遺品で、陛下が若い頃に贈った品があったことも発覚。
陛下が激怒したことは、想像がつきますわ。
侍従の証言のほか、物証と魔女の証言が揃い、陛下に庇う意思はなく。
臣下相手とはいえ、あまりに身勝手な殿下の振る舞いに、議会でも誰一人として減刑を求める声はなかったとか。
あ、ちなみにわたくしが冒頭で酷いと言ったのは、この結末ではなく、殿下方の頭の悪さと計画の杜撰さのことですわ。
殿下方への同情や憐憫?勿論ありますわ。
王侯貴族に生まれて教育を受けてきたのに、そんな残念な頭にしかならなかったことに対しての憐れみなら。
「ディアを呼んだのは、万が一フレデリク殿下を愛しているのであれば、機会を設けると陛下の仰せだったんだ」
万が一ですのね(笑)。まあこれでわたくしが殿下を愛していたら、どれだけ自己犠牲愛の持ち主でしょう。
もし、婚約者時代に恋心を抱いていたとしても、あの断罪劇で百年の恋も醒めますわ。
勿論最初から最後まで、殿下へそんな気持ちを持ったことはありません。
……ああ、殿下を愛する人を探すことをしないのは、あの断罪劇のせいですわね。
殿下のやらかしは、あの場にいた令嬢たちにとっても不快に映ったようですから。
もし殿下を好いていても(見目だけは極上なので)、あれを見せられて名乗り出るご令嬢はいないと思います。
あの場にいなくても噂は千里を駆けますから、知らない貴族はごく少数と見て間違いないでしょう。
ましてや廃嫡されるのが決まっているわけですし、もしも令嬢本人が望んでも、父親や周囲の人間が許すはずもありません。
「当事者であり、一番迷惑を被ったのはディアだ。出来るだけお前の意思に添う処断を陛下はお約束してくれた」
「つまり、わたくしが殿下を愛しているのであれば、口付けを試して呪いが解けた場合、結婚もあり得ると?」
陛下、気の遣い方が間違ってますわよ…。
わたくしにとって、デメリットしかないではないですか!
呪いを解いたところで、あの殿下がわたくしに感謝し、ましてや愛情を返すはずがないでしょう!
ええ、誓って言えますわ!リリエラ嬢を押し退けてわたくしが先に口付けしたのだろうとか、彼女を陥れて牢に入れたのはわたくしだろうとか言い募るに決まっています!
わたくしが殿下を愛するのは、元婚約者なのだから当たり前とか思ってそうですわ。
「………………」
わたくしはしばらく黙考し、お父様も黙ってわたくしの言葉を待っていてくれました。
そして考えた末、わたくしは一つの決断を下したのです。
+++++++++++
――――ひどく体がだるい……それに頭も背中も痛い…。腕を持ち上げようとしても上手くいかなかった。
無意識に呻きながら目を開けると、まず灰色の石で出来た天井が映り、私はここがどこかわからずに身を起こそうとして失敗した。
上体を起こすことも出来ないほど、私の体はひどく弱っているようだった。まるで筋肉が石になってしまったように強張っている…。
なんだ?なぜこんなことに?というかここは本当にどこなんだ?
「……フィっ………ごほっ、はっ……」
いつも側に控えている侍従のフィリップを呼ぼうとして、喉がカラカラで声を出すことすら困難で、私はますます混乱した。
何度も咳が出て、唾を飲み込みたいのにその水分すら口の中にはない。
苦しい。なんで誰も私を看ていないんだ?
眠る前の記憶がはっきりせず、もしかして高熱で倒れたのかと疑念が過る。
私は視線を動かせる範囲で周囲を見渡した。
灰色の石で覆われた壁。小さな換気口。ベッドサイドには水差しがあるが、手を伸ばしたくても動かなくて、歯がゆさと喉の渇きに苛立ちが募る。
そして鉄格子が嵌まった扉……って鉄格子!?
どういうことだ!?ここはまさか牢屋だとでも言うのか?
驚きに固まっていると、不意にその鉄格子から男が覗いてきて目が合った。
「おっと、本当に目が覚めたのか」
王太子に向ける台詞ではない。一体この無礼者はなんなんだ!
誰にものを言っている!
私はそう怒鳴りたかったが、咳に邪魔をされてまともに話すこともできなかった。
「こりゃ大変だ。すぐに陛下へ報告しないと」
そう言って、私を介抱するどころか水すら差し出さず、その男は顔を引っ込めた。
「待っ―――ぐ…っごほごほっ、はぁっ…」
自分の咳の音に紛れて、足音は遠ざかっていった。
本当に一体何があったんだ……。
私は意識を失う前のことを必死に思いだそうと努めた。
+++++++++
「―――まあ、本当に目覚めましたのね」
それからどのくらい経ったのか。
一時間は経ってはいないと思う。
しかしその間に、ある程度は眠る前のことを思い出していた。
確か魔女に呪いを掛けてもらったんだ。
リリエラとの真実の愛を証明するために。
なのに、なぜ私はこんな所にいる?
なぜリリエラがいないんだ?フィリップは?
そして今の声は―――
「いいわ、開けてちょうだい」
「はっ!」
「ディア、入っても構いませんが、あまり近づきすぎませんよう」
聞き覚えのある声が二つと、先ほどの男の声。
扉が開き、やはり見覚えのある姿が入ってくる。………しかし気のせいか?私の知る姿とは異なっている。
特に女の方は大人びて、色気すら感じさせる。
絢爛な美貌を輝かせ、その女―――アルマディアはベッドに横たわったままの私を見下ろした。
「おはようございます。気分は如何かしら?」
「お前っ―――くっ、ごほっ……っは、ごほごほっ」
何度も噎せて、苦しみながら呼吸をしようと咳を繰り返すが、ここにいる誰も手を差し伸べてはこなかった。
アルマディアは言わずもがなだが、フィリップまでどういうつもりだ!?
なぜか数年歳を重ねたような姿になっているが、間違いなく私の侍従だ。
主が苦しんでいるのに放置するとは何事だ!
声が上手く出ない代わりに、思い切り睨んでやる。少なくとも、こいつにはこれで通じるはずだ。
なのにフィリップは冷めた眼で私を見返すだけだった。
「あら、無様ですわね。でも干からびて死なれても困りますわ。フィル、水を飲ませておやりなさい」
「……承知しました」
フィリップは不承不承といった顔を隠しもせず、ベッドサイドにあった水差しから水をグラスに移し変え、差し出してきた。
私は苛立ちながらも、喉の渇きに耐えかねて受け取ろうとした。
しかし私の意に反して手が動かず、出来たことは僅かに首を持ち上げることだけだった。
そのことに気がついたんだろう。フィリップは小さく舌打ちをすると、乱暴な仕草で私の上体を起こして口元にグラスを当ててきた。
どうやら私が眠っている間に、主への接し方を忘れたようだ。それともアルマディアに感化されたのか?
とりあえず文句を言うのは後にしてやる。今は喉の渇きを癒やす方が先だ。
生温い水だったが、私は夢中で飲み干した。
「……さて。ではお話をしてもよろしくて?わたくしも暇ではありませんので」
「な、にを偉そうに。ここはどこだ?リリエラは?よくもお前がのうのうと私の前に現れたものだな」
水を飲んだおかげで、嗄れていたが声は出るようになった。
「ふふっ、偉そうではなく、わたくしは偉いんですのよ?なにせ今の王位はわたくしが継いだのですから」
「なっ!?」
なにを、言っている―――?
不覚にも驚愕と混乱で、思考が一瞬真っ白になってしまった。
いや、こいつのことだ。嘘を言って、なにか企んでいるのだろう。
私は必死に冷静さを取り戻した。
「馬鹿なことを言うな!そんな嘘を誰が信じるか!」
「こんな嘘をつくわけないでしょう?さすがに不敬ですもの。真実、わたくしが女王ですわ。貴方は真実という言葉がお好きでしょう?だから真実だけ教えて差し上げますわ」
そう言って、アルマディアは私が眠った後のことを嬉々として語り出した。
リリエラが呪いの解除に失敗したこと。つまり、私を愛してはいなかったこと。私を唆した罪で投獄されたこと。
―――あれから十年もの歳月が流れていること…。
「そんな……そんな馬鹿な………」
「貴方が廃嫡になったことで、王弟だったわたくしの父が第一王位継承者になりましたの。貴方の父君である先王陛下は、五年前に退位致しました。ですが、お父様は王位を嫌がってわたくしに譲位したのですわ」
アルマディアはフィリップの腕に自ら腕を絡めると、艶然と微笑んだ。私が見たこともない女の顔をしていた。
「そうしてわたくしはフィル―――フィリップと結婚しましたの。つまり、フィリップは王配ということですので、貴方も口の利き方にはお気を付けなさって?貴方はもはや、ただの平民の犯罪者ですから」
「は……?」
私の口から呆然とした呟きが漏れた。
平民の犯罪者?確かにあの時、議会で王太子位から退くよう主張する貴族たちがいたが…。
男爵位をくれるという話はどうなったんだ!
「当然でしょう?罪を犯した者に、貴族籍など授けませんわ」
「罪?私が一体なんの罪を犯したと言うんだ!ふざけるな!」
「フィル、あれを出してちょうだい」
「はい、我が君」
アルマディアの指示に、フィリップは蕩けるような笑顔を浮かべて懐から金属で出来た何かを取り出した。
「これは貴方を呪った魔女の開発した魔法の品ですわ。とっても便利ですのよ?ほら、起動すると……」
「リックに唆されたんですぅ…私を王妃にしてくれるって……その為にアルマディア様が邪魔だから、苛められたって証言するようにって言われて……公爵家に逆らうつもりなんてなかったんですぅ。でも王太子に言われたら逆らえないでしょ?」
「凄いでしょう?会話を記録しておけるのですって。今のはリリエラが尋問を受けていた時の声ですわ」
妙に甘ったれた口調だったが、私がリリエラの声を聞き間違えるはずがない……。
そんな……なぜだ?私は確かにリリエラを娶りたいとは言ったが、アルマディアから苛めを受けていると言ってきたのはリリエラからで、嘘の証言をしろだなんて言ってない!
「そうそう。貴方方が魔女へ依頼した時の会話も録ってありますのよ。ご自分への呪いを王妃様の形見の品を代金にして掛けさせておいて、わたくしが依頼したと証言させるおつもりだったのですってね?」
自分の顔から血の気が引くのがわかった。
罪を被せるつもりが、まさか自分に返ってくるなんて。
あの魔女め!なんて余計な真似をするんだ!?
これでは言い逃れが……。くそっ、だから牢屋に入れられていたのか。
私は必死に頭を働かせ、何か誤魔化す方法がないかと考えるも、起きたばかりの状態では良い知恵は浮かばなかった。
「ご自分の罪がわかって?世間では、貴方のような行いをマッチポンプと言うのですって。しかもわたくしに罪を着せようなどと……本当に浅ましいこと」
扇で口元を隠しながら、アルマディアは薄氷のような双眸を向けてきた。
私の嫌いな、人を馬鹿にしたような眼差しに、私はカッと怒りが燃え上がるまま叫んだ。
「うるさいうるさいうるさい!いつもそうやって私のことを否定して!少しばかり私より勉強が出来ただけのくせに!」
激情のまま叫べば、それだけで息が切れ視界が滲む。
王位もリリエラもフィリップも、私のものだったのに、すべてアルマディアに奪われたなんて!これはなんて悪夢なんだ!そ、そうだ!これは夢なんじゃないか?きっと私はまだ呪いの夢の中に……。
「―――当時、父王陛下も議会も、お前に王位を継ぐ資格はなしと判断を下した。そして第三王位継承者であったディアを謀略により排そうとした咎で、お前に下った罰は呪いの放置だ」
コツリ、と一歩前にフィリップが出て来て、意識をそちらに向けさせられた。
敬語もなく、お前などと呼ばれ私は衝撃を受ける。
ディアなどと気を許した愛称で呼び、侍従のお仕着せではなく、王配に相応しい衣装を身につけ、フィリップは上位者のように振る舞う姿には威容すら感じられ、まるで立場が逆転していた。
「本来なら食事も与えることなく、一切の世話をせず、衰弱死させよとの父王陛下のご命令だった。それを止めたのはディアだ。お前の延命を望んだのは、ディアだけだった」
私は二重の意味で驚いて二人を見つめた。
一つは父上が私を見捨てたこと…。
二つ目は、アルマディアが私を助けたこと。
「だって魔女に確認したら、真実の愛がなくても、十年で呪いの効力が失われると言っていたのですもの。死ぬまで、と言われたら、さすがに諦めましたけれど…」
アルマディアが目を伏せ、静かに言った。
なぜ……助けたんだ?アルマディアも私を嫌っていたのではないのか?
陥れようとした事実を知って尚、彼女は私を見捨てないでくれていた?
胸が震えた。縋るようにアルマディアを見つめると、それを邪魔するようにフィリップが体をずらして彼女を背に隠してしまった。
「そうそう。お前の愛しのリリエラは、投獄された後、牢屋番をたらしこんで脱獄したぞ。すぐに捕らえられたがな。それで罪状が増えたせいで、北の地の刑務所に送られたわけだが」
そこでフィリップは一旦言葉を切って肩を竦めた。
私はただ呆然と聞いていることしか出来なかった。
耳を塞ぎたくても、腕を持ち上げる筋力すら、今の私にはなかった。
「そこでもまた牢屋番を抱き込んで逃げ出したそうだ。その時は吹雪で追っ手も難儀したようで……発見した時にはリリエラも牢屋番も凍死していたと報告された。ああ、それと残念ながら、彼女のお腹にいた子も助からなかったよ」
リリエラが死んだ……リリエラの胎に子がいた…?
私の子ではあり得ない。私たちはまだ清い関係だった。
私を愛していると言ったその口で、他の男に愛を囁き体を開いたというのか!?
真実の愛を証明してくれるんじゃなかったのかっ…!?
「私もすでに二児の父親だから、赤ん坊のことを聞いた時は、さすがに気の毒に思ったよ。胎内に守るべき愛しい存在がいるのに、よくもそんな無謀な行動がとれたものだ……ディアは元気な三人目を産んでくださいね」
良く見れば、アルマディアはコルセットは中に着けてないようだった。締め付けの少ない、ゆったりとしたドレスを身に着けている。
無意識のようにアルマディアが自分の腹を撫で、それに気づいたフィリップが彼女の手に自分の手を添えてみせた。
慈しむようにアルマディアの腹を撫でながら、フィリップは彼女のこめかみに口付けて抱き寄せる。
「ディア、ここは少し冷えます。それにこれ以上この男との会話も胎教に良くない。そろそろ部屋へ戻りましょう」
アルマディアはくすぐったそうに目を細めると、フィリップのエスコートに抗うことなく身を任せ、あっさりと踵を返した。
「そうね、フィル。ではご機嫌よう、元婚約者様」
淑女の礼ではなく、ひらりと扇を閃かせ、振り返ることなくアルマディアは牢から出て行った。
代わりのように、去り際フィリップが私を振り返ったが、勝ち誇ったように口元を吊り上げて、アルマディアの腰に手を回すと悠々とした足取りで去って行った。
「くそ………くそおおぉっ……!」
どうしようもなく惨めで、悔しくて堪らない。
早く夢なら覚めてくれ…!
そう願わずにはいられなかった。
+++++++++++
「フィルは良いように取ってくれていたのですわね?それともあれはわざとですの?」
自室に戻り、わたくしの着替えを手伝ってくれる夫に水を向けると、フィルは口元を僅かに上げて「なんのことでしょう?」と肩を竦めた。
先程のフィルの台詞。まるでわたくしがフレデリクの唯一の味方をしたようなニュアンスでしたけれど。
わたくしがフレデリクを生かしたのは、別に憐れみでも慈悲でもなく、単なる復讐に過ぎません。
だって狡いでしょう?
幸福な未来に胸を膨らませ、愛する人の口付けで目覚めの時を夢見て眠りについて。
しかも意識がないのだから、飢えも苦痛もなく、何を失ったかも知らずに眠るまま息を引き取るなんて。
だからわたくしは、十年待つ選択を決断したのです。
当時のわたくしは、ただリリエラがフレデリクを真実愛していたのではない、という真実を突きつけて差し上げようと思っていたのですが、その後のリリエラの行動は自業自得な首の絞め方でしたわね。
おかげでフレデリクにたくさんの話題も提供出来ましたわ。
本当はわたくしが教えて差し上げようと思っていたのに、フィルに先を越されてしまったけれど。
まあフィルも鬱憤が溜まっていたことでしょうし、譲ってあげました。
やっぱりフィルはわかっているんでしょう。わたくしが生かした理由を。
だって今、とっても清々しいお顔をしているもの。フィルだけでなく、勿論わたくしも。
毛嫌いしていたわたくしのみが、唯一フレデリクの味方に残ったと思わせながら、わたくしはもう自分のものだと主張したかったのかしら。
ドレスを脱がせながら、不埒な動きをする手を叩いて軽く睨むと口付けが降ってきました。
「……四人目を仕込むのは、この子が生まれてきてからですわよ」
「安定期に入れば問題ないと医師も言っていましたよ―――これでもう、あの男に関心はないでしょう?」
瞼に頬に、優しく降ってくるキスを甘んじて受けていると、じりと焦げ付くような声で囁かれ、わたくしは驚いて彼を見上げました。
「まあ……貴方、彼に嫉妬してましたの?わたくしがあの人を愛したことはありませんのに」
「それでも、この十年目はあれに意識が度々向くことがあったでしょう」
「それは呪いが本当に解けるのかしらって思っていたからですわ」
悋気を起こす可愛い夫に、わたくしはその首に両腕を絡めて背伸びをしました。
「わたくしを毎朝起こしてくれるのは、貴方だけの特権ですわ、旦那様?」
声に笑いを含ませて、わたくしはフィルに口付けました。
魔女の呪いは、ある意味完璧だったのでしょう。
真実の愛がなければ解けない眠りの呪い。
フレデリクは、もう現実という悪夢から一生覚めることはないのですから。
ちなみにフィリップは侯爵子息。
フレデリクは、このまま牢屋生活を送りました。アルマディアに会わせろと何度か騒ぎましたが黙殺。
その後面会を求める人もなく、自分一人でリハビリする根性もなく、衰弱していきました。
当然囚人なので、臨終に立ち会う人もなし。
追記(2021/10/16)
本編後半、フィリップのフレデリクに対する口調を訂正しました。
追記2(2021/12/3)
学友時代~十年後のフィリップ視点のお話を連載開始しました。
全二十三話予定。毎日一話ずつ、22時に更新していきます。