雪の華に堕ちた恋
雪は音を吸うと聞いたことがある。
音は空気を振動させて響くけど、雪の華には小さな穴が無数にあってその穴が音を吸収するらしくて。
だから白銀の世界には静けさが舞い降りるのだとか。
いまならそれが分かる気がするのに。
すべてが壊れたように。
きらいになりそうな私がいる……。
一月六日に舞い降りた初雪は、そう呼ぶにはふさわしくないほどに午後十時の銀座の街を白く静かに染め上げている。
そんな白銀の街を、私、三日月冬香はひとりで歩いていた。どうしてと言われれば、それはまぁ……好きな人に振られてしまったからなんだけど。
―――星乃雪音。
名前に違わない雪のように白い肌、星のように煌めく腰まで伸びた黒髪。彼女の持つすべてが綺麗で、私は初恋とは何かを知った。
幼稚園からの幼馴染で社会人になったいままでずっと一緒だった雪音への好意に気づいたのは、多分高校生の頃だと思う。多分なのはなんとなく。それでも好きになったってことだけは自覚していた。
高校三年生の卒業近くなった冬の日、雪音は教室で机の椅子に座っていた私の隣に立って相談してきた。
「雪音、あの人のこと好きなの?」
それは、恋の相談だった。
「……うん。美術部でずっと一緒だったんだけど、夏にあった高校展の打ち上げで告白されたの」
「ほんと!? 初耳」
本当に初耳だった。雪音は恋バナを振るといつもはぐらかしていたから。
「一度は断ったんだけど、それから気になって……」
そういうことか。恋の返報性というものだと私は理解した。
「告白されたから気になったんだよね? それ、幻覚みたいなものだから気にしない方がいいんじゃない。それに、あの人のどこがいいの?」
そう捲し立てるように言葉を投げた。
「……そうなのかな。彼は優しかったりするんだけど、私、流されやすいから勘違いしてるのかも」
「そうだと思うよ」
その返事に少し安堵した私がいた。どこか遠いところ、その恋が成就してしまったら私から離れていくような気がして、仕向けてしまったせいだ。
それはいまでも後悔している。本来は応援するべきなのに、私の独占欲が理性に勝ってしまったから。
「聞いてくれてありがと、一晩考えてみる」
それからちょっと恥じらう感じで。
「……このこと、内緒だよ」
と、私の耳元で囁いた。
その日の晩、私は雪音がどんな答えを出すか予想できていた。
……卒業式の日に告白するだろうと。
それからの私は酷かった。
彼の酷評を調べたり、彼を好きな人を応援してみたり、雪音にバレないように走り回った。
結果として、卒業式の日には雪音は告白することなく私と同じ大学に進学した。
告白前に違う女性と交際を始めたことを知ったから。きっかけは私。「彼に告白しようとしている子がいるから、早く迫った方がいい」と嗾けたことで、雪音の恋を潰したんだ。
でも、その時に明確な恋心を感じた。
―――本気で、雪音のことが好きなのだと。
何事にもフラットな私が、真剣になって恋路を邪魔することだけに集中していたから。
理由は一つしかなかった。雪音を誰にも取られたくない。その一心だった。
中学生の頃の雪音に対するモヤモヤが晴れたような気がして、楽になれた。ただそれだけではなく、雪音を女性として見ていた私自身に戸惑いが生まれた。
これが、私の初恋。
雪音の彼に対する真っ白な初恋とは違い、除雪のために路肩に集められた雪が私の恋を表している。それでも今日まで心の中で温めてきた。……それがさっき砕けてしまったんだけどね。
はぁ……。
明日からまた親友と言われても、どんな顔をして会えばいいのやら。
そして今に至るわけで。
イルミネーションが残る通りではカップルが往々にして愛を囁いていたり、手を握り合っていたりと泣きそうな光景が広がっていた。
私は空いていたベンチに腰掛ける。
まだ諦めきれない感情にため息が出ても夜を染めるのは一瞬で、何の解決策にもならない。
「……伝えるんじゃなかったなぁ」
独り言が漏れる。泣き崩れてしまうかと思ったけど一粒も落ちない程度には心は平常みたいで、明日には同じ職場で顔を合わせることになる。縁が切れることはないとどこかでは安心しているんだと思う。
もう帰ろうと立ち上がった瞬間、スマホが震えた。画面を見ると雪音からだった。
「まだ銀座にいるの?」
それだけの短い文だったけど、胸が熱くなるのを感じる。
「いま、通りのイルミネーションのベンチにいるよ」
すぐに既読が付き、返事が来た。
「私の行きつけのバー知ってるよね、いまから来る?」
多分スタア・バーのことだと思う。
「わかった、待ってて」
そう返事をして、落ち着かない感情をコントロールしながら私は雪音のもとに向かった。
スタア・バーは地下にある。
少しばかり急な階段を降りると、右手奥のカウンター席に雪音を見つけた。さっき会っていた時と変わらず赤いロングコートを羽織っているから間違いない。
「雪音」
私は周りに迷惑を掛けないように、小さく名前を呼んだ。
「冬香、こっち」
そう言いながら隣に座ってと合図してくれた。私は促されるまま隣に座る。
「さっきはごめんね、びっくりして逃げちゃった」
「んん、私こそごめん。雪音がびっくりするのもわかる」
しばしの沈黙のあと、もう一度聞いてみた。
「やっぱり……、雪音は女性同士のお付き合いには抵抗ある?」
「その前に、注文してよ」
また先走ってしまった。そうだよねと苦笑いの後に髭を蓄えたバーテンダーにロブロイをお願いした。
「雪音は何を飲んでるの?」
一瞬だけど間があった。それから……。
「貴女の心を奪いたい」
えっ……。
「ロブロイのカクテル言葉」
雪音は知っていたらしい。その通りの意味で、ここに来るまでに調べていた。
「雪音には敵わないなぁ」
感嘆していると、私の前にロブロイが運ばれてきた。
「とりあえず、乾杯しましょ」
雪音はそう言って自身のグラスを持ち上げた。私も同じようにグラスを軽く持ち上げる。雪音の方からグラスを近づけ小さく音を鳴らす。
「乾杯」
囁くような声に、私も「乾杯」と囁き返した。一口付けた後、グラスを置き雪音を見る。すると目が合った。真っ直ぐな視線に心を奪われそうで、私の方から視線を外した。雪音はそんな私を見て。
「どうしたの? これぐらいで照れちゃった?」
酔っていそうな言動にかろうじで言葉を返す。
「……照れる。というか、どれだけ飲んだの?」
こんな雪音は見たことがない。多分飲み過ぎたんだろうと思っていると。
「まだ一杯目。ね、バーテンさん」
声を掛けられた髭のバーテンダーは頷く形で返事をした。
えっ……。
声にならない。私の思考が可笑しいのか、頭の中に?が浮かぶ。
すると、雪音は小さく笑い出した。
「はは、可笑しい。私のこと好きなんでしょ、冬香」
どんな返事が答えなのかわからなくて、アワアワしていると。
「さっき逃げちゃった後にね、ずっと考えてたの。冬香がそんな風に想ってたこと。聞いた瞬間は理解できなくて、ほら、女性同士の恋愛ってコミックぐらいしか知らなくて。でもね、考え出したらそれもアリかなって思えてきて」
それを聞いた私は、冷静なツッコミを入れる。
「雪音、それ流されてない? ……いや、嬉しいんだけどさ」
「流されてない、流されてない。ちゃんと考えた結果だし」
それを聞いて、視界が歪む。
「……ほんとに?」
「うん、本当」
優しく返された想いに涙が決壊していく。その姿を見た雪音がハンカチをそっと差し出してくれた。
「……ありがと」
その優しさに流され、私は口走ってしまった。
「私、雪音には酷いことをしてきたんだよ。初恋の相談の時だって……」
言い終える前に雪音は妙なことを口にする。
「知ってる」
その一言に私は固まった。
「初恋を邪魔したことでしょ? 知ってる。それから今日まで、私が誰とも付き合わないように動いてたことも」
声音はとても落ち着いていて、私は戦慄していた。そんな私を置いて、話を続ける。
「あの時はショックだった。一晩経っても好きに変わりなくて、これが答えなんだって確信してた。それなのに卒業式に告白するはずが、もう誰かと付き合ってた。あれだけ好意を感じてたから両想いだよねって」
それから髭のバーテンダーに視線を移しながら。
「冬香は気づかない? ほら、あの時の彼だよ」
嘘!?
「その顔、やっと見れた」
多分、酷く動揺しているのだろう。雪音の口角がわずかに上がった。
「興味のない事にはとことんないのは昔からだね、冬香」
それからと雪音は自身のグラスを私の前に置いた。
「このカクテル、イエロー・パロットっていうの」
聞いたこともない雪音には似合いそうな黄色いカクテルだった。
「カクテル言葉はね『騙されない』っていうの」
流れる涙が嬉々から危機へと変わっていく。
「ようやく私の欲しいものが見つかった。これからもよろしくね、冬香」
私の声は、目の前にいる雪に吸われてしまったのか返す言葉が見つからなかった。
完
天ヶ瀬衣那です。
冬企画ということで、ダークな百合を紡いでみました。
読んでくださった皆さま、いかがだったでしょうか?
私もとあるラノベ作家さんと同じくあとがきが苦手なので、教え子に脅迫されながら書いてみようともいます。
そもそもこの作品は登場人物に勝手に動き出してもらいながら完成しました。
冬香ならこうしていただろうとか、雪音は静かに首に手を掛ける性格だろうなぁとか。
最初に考えていた純愛ものにはしてくれませんでした。
それでも、こうしてひとつの物語を書けたことには満足しています。
皆さんはこんな歪な恋をしないでくださいね。
2021年 初雪を待ちわびながら。