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1 雪降る夜に。(2)

 


 これは間違いなく夢だとラファエラは分かっている。

 ただ夢のくせにやけに感覚がはっきりとあって、少し気味が悪かった。


 舗装されていない道を裸足で歩くと、ちくりと傷んだ。見れば足の裏からは血が出ている。

 周りを見渡せば大勢の人間が怒った顔で自分に石を投げてくる。額から血が出るけれど、怖くないと感じた。だって今から死ぬのだから、痛くもなんともないのだ。



「我が国に謀反を企てた魔女の処刑を行う」



 釘で木に手足を打ち付けられて、今から燃やされる。

 国の為に戦ったのにどうしてこんな事になったのだろう。

 分からないけれど、刺さった釘が酷く熱くてもう何も考えられない。



「火をつけろ!」



 足下に兵士が火を置けば、油の染み付いた木は私ごと一瞬のうちに燃えた。


 熱い、熱い、痛い、身体が痛くて苦しい、助けて。助けてルディ。

 私魔女なんかじゃないのに、どうしてこんな目に合わなければならないの?



 ラファエラはルディという人を知らない。母親と家族代わりの子猫しか親しい知り合いはいない。それでも酷い痛みと恐怖の中、ルディに助けを求めていた。


 こんな世界、大嫌い。本当に滅びてしまえばいい。

 怒りと恨みが渦巻きながら消えゆく意識の中、自分の名前が呼ばれた気がしてほんの少しだけ目を開けた。


 夢かもしれない。だけど遠くにルディの姿が見える。


 彼は泣いていた。呆然として、ただ涙を流していた。でもその瞳の中には怒りが見えて、()()()()彼を置いていくのが怖かった。


 お願い。復讐なんてしないで。死ぬのは苦しいし辛いし痛い。この理不尽な死を私は絶対に許せない。でも貴方に憎しみを抱いて欲しいわけじゃない。

 大好きなルディ。優しいルディ。私の事は忘れて、ただ幸せになってほしいの。

 この汚れた世界に神様がいるならば、彼だけはどうかお守りください。




 目覚めた時、ラファエラの瞳からは一筋の涙が流れていた。

 とても、悲しい夢だと思ったのだ。

 寝る前よりもずっと温かさを感じたが、何やら何枚もの毛布で覆われている事にラファエラは驚いた。

 誰かが見かねてこっそり届けてくれたのだと勝手に理由付けて、少し嬉しくなった。


 しかしふと、自分の腕辺りに違和感を感じていて視線を落とすと、気味の悪い物を見つける。


「何、これ…」


 奇妙な事に、ラファエラは厚い本を抱いていた。

 黒い表紙には題名が書いていない。

 少し恐ろしく感じてラファエラは本を開く。


 ラファエラは字が読めない。

 それを分かっているかのように、本には絵のみが描かれていた。

 猫の死体と自分の血によって書かれた陣。

 そしてそこから現れているのは、黒い翼に大きな2つの角を持つ悪魔だった。


 ページをどれだけめくっても、現れるのは同じ絵。

 あまりにも不気味なそれに、ラファエラは震える程の悪い予感を感じた。

 突然現れた本、妙な夢、そして猫の死体。

 部屋に、戻らなくては。





 嫌な予感程的中するものだ。

 冷たくなって横たわる猫を自室である使用人部屋の中で見つけて呆然とした。


 寒さと恐怖で震える足をようやく動かして辿り着いた部屋の前で大切な友人が血だらけで横たわっていた。


「チェーロ」


 チェーロと名付けたその猫は、ピクリとも動かない。

 いつもは呼べばすぐに飛びついてくるのに。

 ふわふわの白い毛がべっとり血で赤く染まっていた。

 寒さではなく、怒りで身体が震えた。


 ラファエラは手元にある本を開く。

  悪魔を呼び出すこの本を贈ってくれたのはきっと神様に違いないと思った。

 ラファエラが正当な仕返しをルチアに出来るように、と。


 友の命を無駄にはしない。この気まぐれで食いしん坊でとても可愛かった家族を供物として悪魔を呼び出し、自分の命と引き換えにしてもルチアを呪うつもりだった。

 ナイフで自分の手首を少し切る。

 陣は複雑で、暗い部屋の中、月の光だけで本を見て描くのはラファエラにとってかなり大変な仕事だった。


 半分程まで描き進めた頃だろうか。

 風も無いのにざわざわと木の葉が揺れているなんて変なの…と思い、ふと違和感に気がつく。

 木の葉?今は冬なのに。

 悪魔を呼び出そうとしているのに、こんなことを思うなんておかしいかも知らないが少し気味が悪い。

 そう思い、外の()()()を確かめようと窓を開く。


 そこには月の光すらも隠してしまいそうな程おびただしい数の蝙蝠がいた。驚き瞬いている間に、ラファエラのすぐ隣、窓の格子に人間が座っているではないか。


「お勧めはしませんよ。あれは上手く君を丸め込んで、願いなんて叶える前にパクッと君を食べてしまうでしょうから」


 本能で、この人は人間ではないとラファエラは感じる。

 蝙蝠と同じ色の漆黒の闇の様な長い髪の、人好きのする柔和な笑みを浮かべているこの青年だが、瞳の奥が笑ってはいないのが恐ろしい。


 そして何よりもその美貌が、明らかに唯ならぬものである。

 触れたら壊れてしまいそうなガラス細工のような美しい青年だった。



「あなたは、誰ですか」


 初めて見る()()()()()()()に、恐れの色を含ませてラファエラは尋ねる。少し何かが気になったかのようにラファエラを観察した後、青年はラファエラの質問には答えなかった。



「どうでしょう、ラフィー。呼び出すのが同じ化け物ならば、悪魔ではなく吸血鬼(わたし)にしてみては?」


 会って間もないのに、初めて言葉を交わすのにラフィーと愛称で自分を呼ぶ美しい生き物がラファエラが怖かった。

 しかし、母親が亡くなって以来久方ぶりに聞く自分の愛称に少し警戒を解いてしまう。


「ほんの少し貴女の血を頂きましょう。今日のところはそう、今切ったそれだけ」


 お買い得でしょう?と青年は目を細めた。


 成程、代償として命を差し出すよりは易しい条件だ。

 今日のところは、という所に青年は秘密を隠していたが、元々酷く興奮していたのと緊張状態からかラファエラはその含みに気が付かなかった。


「王妃になりたければ、貴女を傾国のレディにしてあげましょう。誰かを苦しめたければ、死んだ方がましだと思う程の地獄を与えてみせましょう」


 さぁ、如何します?

 格子から降りて恭しく跪いて告げられたそれは、正しく悪魔の囁きだった。



「私の願いは…ラファエラ・シュナーベルは……」



 ルチア・シュナーベルに呪いを、と言うつもりだった。

 ルチアの事は大嫌いだ。

 いつも自分に手を上げて、辛い事を言う。

 愛してくれる両親がいて、暖かい部屋が与えられて満足に食事をして。

 ラファエラに与えられなかった幸せを全て持っているのに不満気なルチアを理解出来なかった。


 そんなルチアがついに家族に手を出した。


 部屋は与えられていても暖はなく、ボロ切れのお仕着せを着て毎朝凍える寒さに耐えながら仕事をした。家族はチェーロしかいなくて、食事だってかびた野菜のスープばかりだ。


 あれ程幸せな人が、ほんの少ししかない私の幸せを取っていかなくてもいいだろうに。

 理不尽に与えられた不幸に、呪いの言葉を告げればいいと頭は命令する。


 けれど恐ろしいのだ。こんなにルチアが憎いのに、自分の口からその言葉を紡ぐ事が酷く恐ろしくて、こんな自分が情けなくて自然と涙が溢れた。



「……分かりません。チェーロの仇を取り合いのに、どうしたらいいのか分からないの」


 それは困りましたね、と青年が言う。


 全く困ってなさそうな口調に加えて満面の笑みだが、ラファエラは縋れるのなら何でも良かった。

 まだ10の幼い少女だ。最愛の猫を殺され、復讐も果たせそうになく、頭の中はぐちゃぐちゃだったのだ。



「お兄さんは、どうしたらいいと思いますか……?」


「長く生きてきましたが、私に望みを相談する人間はいませんでしたよ」



 代償を受け取る人外が、代償を払う人間を騙して丸め込むのはこういう儀式の定石だ。

 絶対に相談してはいけない相手に相談してしまう程混乱している目の前の小さな少女が何だかとても愚かで可愛いと青年は感じた。

 人間は、愚かで哀れな方が愛おしい。

 涙を浮かべるラファエラの頬にそっと触れた。


「私と一緒に来ますか?」


 狂った提案だと分かっている。

 けれど青年はかなり暇を持て余していた。

 永い自分の時を、人間と100年を過ごしてみるのもまた一興だ。

 それに()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 きっと楽しませてくれるだろう。


「帰って、チェーロを埋めてやりましょう。その後は身体を清めて、人間の食事をしましょう。どうですか?」


 真っ直ぐに自分を見つめる吸血鬼の瞳は、暗闇の中でもはっきりと分かるような赤色だ。

 毒々しい赤、と誰かは言うだろう。しかしラファエラには闇を照らす眩しい光のように見えた。

 チェーロを尊重してくれた吸血鬼は、チェーロを殺した人間よりも人間らしい。


 ラファエラが頷くと、青年は血だらけのラファエラの手首を舐める。

 この美しい吸血鬼が舐めると鉄臭いはずの血も美味しそうな果実に見えるな、とその様子を静かに観察した。

 ふと、名前を聞いていなかったなとラファエラは思い出す。



「あの、お父さんと呼んだ方がいいですか?」


「お父さんは止めて下さい。私の事は、ツヴァイと呼びなさい」


 共に来ていいと、自分を受け入れた存在をひょっとしたら父と呼ぶのではないかと思いそう呼んでみれば、ラファエラの血に夢中だった青年は顔をあげて訂正した。



「ツヴァイさま」


 呼べば、ツヴァイは上手に呼べましたね、とラファエラの頭を撫でた。

 ひとしきり血を舐めて満足すればツヴァイはラファエラを横抱きにし、来た時と同様に窓の格子に足を掛けた。


 どういう原理が働いているのかラファエラは理解出来なかったが、吸血鬼は軽々と3階のラファエラの部屋から降りたのだ。足音ひとつ立てずに。


 ツヴァイが何も言わずとも、おびただしい数の蝙蝠がツヴァイの跡を着いて行った。

 いつからそこにいたのだろうか、屋敷の門の前には一台の上等な馬車があって、屋敷から出てきたツヴァイに御者は恭しく礼を取った。


 ラファエラはチェーロだけを抱きしめて、3年前に与えられたら使用人部屋から姿を消した。

 元々部屋には今にも壊れそうな寝台しか無かったので、ラファエラには持っていくような荷物は無かった。


 部屋の中にはただ1つ、黒い表紙の本だけが残された。


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