96. 織田夫妻
カウンター席に座り、百合華と、百合華の務める出版会社の社長、織田恭太郎、その妻優子はビールで乾杯をした。
「調査、頑張ってるみたいだね。」
恭太郎が優しく語りかけた。
「はい……でも、私わからないんです。」
「どうしたの?」
優子が心配そうに言う。
「この調査は、穂積さん自身の了承済みでの調査なんです。以前、穂積さんの【秘密】を探って良いか確認して、本人が良いと言っていたんです。自分から話すつもりはない、とは言ってましたけど。」
「ふむ。」
「私のことクズ呼ばわりして、でも本当のクズは穂積さん自身だって、以前言ってました。その意味がわかれば、以前罵倒された時のこと…あ、前のお弁当のトラブルの時の話ですけど…その意味もわかるだろう…って。
つまり穂積さんは、自分の過去や秘密を調査されるのを最初から拒絶はしていなかった筈なんです…。でも、ついこの間。穂積さんが、『おれは誰にも心を開くつもりは無い』とか『生きる目的なんか無い』とか、『感謝という気持ちは俺には無い』とか…厭世的っていうんですかね。投げやりで、卑屈で。
でも、自分の過去を探られるのはいまだ許可している。」
百合華は両手で頭をかかえ、小さく頭を振った。
恭太郎と優子は目を合わせた。そして優子が、
「それは、倉木さん。あなたに見つけて欲しいんじゃない?穂積怜自身を。彼はそれをわかってないから、一緒に探してくれるパートナーとして、あなたを選んだんじゃ無いかしら。」
「でも生きる気力が無いみたいなこと、言うんですよ。なのに会社のプレゼンはそつなくこなして、活き活きしている。矛盾しているように見えて、彼のことが本当にわからないんです。」
「倉木さん。」
恭太郎が咳払いをして言う。
「怜の…穂積の調査は、5枚のカードと、このあいだの週末の調査だけ、だろう?それじゃあまだまだ、謎だらけなのが当然だよ。そう焦ることはない。優子の言うように、ポジティブに捉えてみてはどうかな。」
「社長は、本当に穂積さんは、いつ死んでもいいって思っているとお思いですか?」
「おや、それは質問じゃないかい?」
恭太郎は笑った。
「そうでしたね、すみません。」
「ところで、倉木くん、穂積の髪を切ってやったらしいじゃないか。」
「誰から聞いたんですか?」
「穂積怜だよ。今朝会った時に聞いたんだ。上手いこと切るもんだねえ。」
「あ、ありがとうございます。」
「僕はね、彼との付き合いは長い方だが、他人に髪を切らせる怜なんて初めてだったよ。それに驚いてね。」
「そうなんですか?いつもは自分で切るって言ってましたからねえ…」
「そう言う意味ではなくてね。人を頼るというか、人を近寄らせるとか、そういうことを自分に許可する怜というのが珍しくてね。」
「そうなんですか!何だか嬉しいです。」
「ああ、僕も、優子も、その話を聞いて嬉しかったよ。」
優子もゆっくり頷いた。
「君にはきっと、何かあるんだね。他の人には持っていない何かが。彼にそうさせる何かが。それは誰にも見えないし何かもわからない。でも何かあるんだよ。その美しさだけじゃない何かがね。」
美しさ……ちょっと前の百合華なら言われて【当然】と思っていた。
しかし最近は、確かに自分の認識が変わってきている。
表面的では無く、本質的な部分に磨きをかけることが、百合華にとって、そして穂積怜の堅牢な要塞の鍵を開けるにあたって、大事な役割を果たすのではないか…と。




