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瞳洸(どうこう)  作者: 内山潤
第6章 過去
75/232

75. 28年前・5

 ———怜10歳(5年生・8月・つづき)———


「本当だ、こいつすげえ熱だな。しかも臭え。」


 おやじは店の奥に入り、夫妻の居住空間の居間まで怜を担いだ。

 妻が座布団で布団を作り、「ここへ寝かせてあげて。」と夫に言う。

 おやじは妻の言う通り、怜をゆっくり寝かせた。


 怜の額には汗の粒が浮き、呼吸は浅く早くなっている。

 身体全体が赤くほてり、体温計で測ると39.7度もあった。


「なあ、こいつ切り傷だらけだ、ほら、血が出てる。服もゴミ臭え。」


「とにかく、何か飲ませてあげないと…あなた!麦茶持ってきて!」

 うちわで怜をあおぎながら、妻は夫に命じた。


「ちっ、おれは商売中だってのによ。」


「どうせお客さんなんて来ないじゃ無い。この子が今日1人目のお客さんだったんでしょう?」


「うるせえなあ。」


 おやじはコップになみなみと麦茶を注ぐと、怜の近くに持ってきた。


「貸して」


 妻は怜の上半身を少し持ち上げた。おやじもそれを手伝った。


「ねえ、ボク?麦茶よ?お願いだから、飲んで?」


 怜の意識は朦朧としていたが、完全に失ってはいなかった。

 小さく頷くと、妻がそっと麦茶の入ったコップを怜の唇に当てた。

 怜はゆっくり、一口ずつ、麦茶を飲んだ。途中で休憩して、また飲んだ。なみなみと入っていた麦茶は、時間をかけて空っぽになった。


 妻はおやじに、「冷凍庫に氷枕が入ってるわ!持ってきて!」と、また、うちわで怜を仰ぎながら言った。


「さっきから人使い荒くねえかあ〜?」


 おやじは妻には強気で接することができないらしい。


 氷枕を怜の首の下に敷いた。


「どう?気持ちいい?」


 妻が優しく聞くと、怜は少し笑って頷いた。


 30分程経過した。怜の意識が回復してきた。まずい、こんなところで倒れている場合じゃ無い。ももは、ももと蓮は、大丈夫なのか…?


 怜は座布団の布団から飛び起きた。

「すみません、今、何時ですか?」


「夕方4時よ。どう?少しはましになった?」


「まずい、やばい、おれ、時間が無いんです。あれ?コンロは?おじさん、コンロとボンベは???」


「だからー、500円で売るばかがどこに居るんだよ。」


 妻が口を開いた。


「赤ちゃんのミルクが何とかっていう話よね?どうしたの?」


「生後2ヶ月の妹が、今日ミルクを1回しか飲んで無いんです。部屋の電気とガスが点かなくなっちゃって、それでミルクを作れなくなっちゃって……」


 怜の顔は涙でグシャグシャになった。


「そう………それは心配だわ。あなたお名前は?」


「な、名前ですか?」


「ええ。名前、あるでしょう?私は、片桐美春(かたぎりみはる)57歳よ。あの人は、片桐竜司(かたぎりりゅうじ)、63歳。あなたの名前と年を教えて?」


 怜は黙っていた。そして、悩んでいた。


(わからない。頭が働かない。ここで自分の身分がバレたら、お仕置きが待っているだろうか?警察を呼ばれるだろうか?うその名前を言ったほうがいいかな…)


 妻が言った


「名前、言いづらい事情があるのね。小学生よね?あなたくらいの子で名前隠す子なんてそうそういないわ。だって、値切られることくらい、商売やってたら当然のことですもの。」


「ばあか、こいつの値切りは半端ねえんだよ!」


 おやじは商売中なのに、ビールを飲んでいる。


「名前を言ったら、怖いことや嫌なことが、あるのかしら?」


 怜はそっと頷いた。


「……そう。それじゃあ、言いにくいわよね。」


 美春は空を見ながらも、怜の心情に寄り添っていた。


「あなた、ご両親はいないの?」


 怜はまた頷いた。


「じゃあ、あなたが赤ちゃんのお世話を?」


 驚いた顔で美春が聞いた。竜司も改めて聞くと深刻な話に聞こえてきたらしい、怜の泥だらけの顔を見た。


「ところでお前、どうしてそんなに汚くて臭えんだ?」


「今日…いろんなゴミ溜めを漁ってたんです。コンロないかなって…。」


 美春と竜司は声を失った。


「ここで、おれ、ここでゆっくりしている場合じゃないんです。お願いします、500円で、貸して下さい。お金が手に入ったら、元の値段払います!」


 怜は土下座をした。


「ねえ、あなた。今、他に必要なものは無いの?あったら便利なものとか。」


 美春が怜に訪ねた。


「か……懐中電灯……」


 美春は唐突に立ち上がり、居間から出て行った。竜司は妻の動きを目で追っていたが、何かを察し、呆れた様子だった。


 美春が戻ってくると、手には大きな懐中電灯があった。


「電池、替えたてだから、暫くは使えるわ。えっと、それから…」


 美春は居間と繋がった台所に入り、シンクの下の棚を開け、ガスコンロを引っ張り出した。

 それを床に置いて、台所の上部の棚から、新品のボンベ6本セットを取り出した。



「よいしょっと。」


 美春はコンロとボンベを居間にいる怜の所へ運び、「他には?」と聞いた。


 怜の目から流れる涙は、止まることを知らなかった。

 体調が悪いことなど考える余裕も無いほど、むせび泣いた。


 怜は今一度土下座をして、大きな声で言った。

「ありがとうございます!!!ありがとうございます!!」



【何でも屋】を出るとき、竜司と美春は見送ってくれた。

 コンロとボンベと懐中電灯は大きな紙袋に入れてくれた。


 怜が500円玉を出そうとすると、美春は断った。


「いいの。それは、無料のレンタルよ。もし不要になったら、返しに来てね。その時、よかったらあなたの名前、教えてくれる?あなた、いい瞳をしているわ。きっと運があなたの味方になってくれる。自分と自分の大事な人たちを、大事にして。また会える日を楽しみにしているわね。」


「ありがとうございました。必ず返しに来ます。ありがとうございました。」


 怜は、ももと蓮が待つコーポ室井へと走って帰った。

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