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瞳洸(どうこう)  作者: 内山潤
第6章 過去
72/232

72. 28年前・2

 ———怜9歳(5年生・6月)———


 弥生が大都会に失踪する前に、弥生は突然家で赤ちゃんを産んだ。女の赤ちゃんだった。怜は出産の手伝いをさせられた。たらいに温かい【適温】のお湯を入れて、バスタオル持って、【その時】を待つんだよ。あとハサミを持ってきておいて。あんたの責任は重いんだよ。失敗したらただじゃおかないからね。


 弥生の「ただじゃおかない」は笑えないので、怜は必死だった。でも適温ってどれくらいの温度?失敗したらただじゃおかない…聞きたい、けど、母さんは苦しそうにもがいている。今聞いたらいけない。

 きっと生まれてくる赤ちゃんはお風呂に入りたいんだ。だから、冷たくてもダメだし、熱くてもダメだ。それが【適温】だ…きっと。


 怜は大き目のプラスチックのたらいに、お湯を入れた。熱過ぎる…水を足す…冷た過ぎる…お湯を出す…の繰り返しだった。


 陣痛に苦しむ弥生はその痛みの苛立ち全てを怜に当てつけた。


 「この役立たずが、さっきから何バカやってんだよ、赤ちゃんと母さんいっぺんにころすつもりか、お前は今ラクしてんだから、さっさと準備くらいしろよバカ」


 周囲にあるゴミや何やを全て怜に投げつけてくる。


 ごめんなさい…怜はまた、【適温】のお風呂づくりを始めた。よくわからない。もう、運試しだ。でも失敗したらやられる。でもわからないんだから仕方ない。でもおれのせいで赤ちゃんが死んじゃったらどうしよう…怖くて怜は震えていた。失禁しそうだった。

 時間がどんどん経つ。せっかくの【適温】がだんだん下がってくる。またお湯を出す。水を出す。


 すると弥生の、わあーーっと言う叫び声とともに赤ちゃんがうまれた。

 弥生はその赤ちゃんを両手で抱き上げ、怜に言った。


「早くこのねじれた紐を切れ!早く!早く!」


 でも、工作用の小さなハサミじゃなかなか切れない。

 おまけにそのねじれた紐は、ぬるぬるしている。


「さっさとしろ、この役立たずが。」


 赤ちゃんを抱きかかえたまま、怜を罵倒する。


「蓮!れん!れん!れん!!も、ももももっと大きなハサミを持ってきて!」


 距離をとって心配そうに眺めていた蓮は、兄に言われてすぐに動き出した。下手したら自分も【ただじゃおかない】に巻き込まれかねない。


 5歳の蓮は、大人用のハサミを見つけて持ってきた。

 怜はそれを使って、何度も切ろうとするが、ハサミが滑る。


「れん!ヒモを、縦にピンと張って持ってっ!」


 怜が言う通りに蓮は紐を引っ張るように縦に伸ばした。


 その状態で、何回も何回も、少しずつ切れ目を入れていくうちにやっと紐は切れた。突然赤ちゃんが泣き出した。何かまずいことをしてしまったのだろうか。

 怜は腰が抜けそうになったが、次の瞬間弥生が


「さっさとたらいに入れろよバカ、ちゃんと適温だろうな」


 弥生が片手で新生児を抱き、もう一方の手で湯の加減を測る。


「ぬっる。バカかてめえは。もういい。この子をたらいに入れて洗って。」


 突然弥生が赤ちゃんを怜に渡した。赤ちゃんは当然首が座っていないので頭がグラグラしている。

 この異生物をどう扱っていいのかわからない…怜は泣きそうになったが、泣いたら罰が待っている。


 たらいで洗ってって言ってたから、とにかく洗えばいいんだ。それでバスタオルで拭くんだ。きっとそれでおれの役割は終わりなんだ。


 そう信じて、怜はあかちゃんをたらいに入れた。ぐらぐらしているから、そっとゆっくり。両手を脇の下に入れているから、どう洗えばいいのかわからない。

 そっと弥生をみると、鬼のように睨んでいる。


 すると蓮が近づいてきて、赤ちゃんにジャバジャバとお湯をかけ始めた。

 これじゃ母さんに怒鳴られる、と身構えた瞬間、


「そうだよー、そうやってどんどん、その白いのとか赤いのとか全部きれいにして。ささとしろよっ」


 弥生は結局怒鳴った。


 蓮が一生懸命ぬるぬるの何かを洗い終えたら、「さっさとバスタオルにくるめ」と言われた。


 怜は赤ちゃんをそっとたらいから出して、広げてあるバスタオルの真ん中に赤ちゃんを置き、体をさっと拭いたあとタオルで包んだ。


「できました…」


 怜はバスタオルにくるんだ赤ちゃんを自然に横向きに抱いていた。

 赤ちゃんはまだ、変な声で泣いている。

 紐を切った時どこか痛めたんだろうか。

 見ると、蓮も目に涙をため、泣くまいと我慢していた。

 自分が紐を引っ張ったことに責任を感じたのかも知れない。


「渡せ。赤ちゃんをこっちに。」


 弥生は股を開いたまま、赤ちゃんを抱いた。

「ももちゃん〜、もーもちゃん…」と語りかけている。


 すると突然また悶絶し始めた。

 何事かわからなかった。もう頭は真っ白になるだけだった。


 弥生は歯を食いしばってグウウウウウウ…と唸っている。

 そしてその後、急に楽になった様子だった。

 たらいの用意をもう一度しろと言われなくてよかった。


 それから3日後、怜は10歳になった。

 プレゼントなど当然ない。かわりにこう言われた。


「これからはあんたが、ももの世話をするんだよ。」


 ミルクの作りかたやオムツの替え方の猛特訓が鬼コーチにより始まった。

 失敗したら後頭部を思い切り平手で叩かれた。


 そしてそれから1週間後、行き先は告げず、弥生は出て行った。


 1つの特大コンビニ弁当と、1万三千五百円を置いて、

「次来るまで、無駄遣いすんなよ」と言い残して。


 残したといえば、ももが泣いた時に使える道具も残して行った。

 ももが泣いたら口に突っ込むと、ももはそれをチューチュー吸う。

 これには怜も蓮も、結構助けられた。


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