66. 相沢茜宅
時計を見ると16時近くになっていた。竹内夫妻は17時から、また夜の営業が始まる。日曜の夜、家族づれなどで混み合うことだろう。
今から急いで【昼ごはん】を食べて、小休止を入れたらすぐ営業が始まるのだ。負担をかけてしまった…。百合華は竹内夫妻に申し訳ないと思うとともに、そこまで頑張ってくれたからには私も頑張る、という強い動機が湧き上がってきた。
これからの予定を考えてみた。
まずは近所の相沢茜の家を尋ねるとして、次に穂積怜が住んでいたとされるアパートを見に行こう。
帰り道、その【施設】が実際何なのかだけ確認して帰ろうと思った。
地図を見ると相沢茜の家は、現在地からさほど離れていない。車で行けば5分位だろう。早速エンジンをかけ、目的地へと向かった。
迷うことなく相沢家に着いた。相沢茜も穂積怜と同じ38歳だ、実家に暮らしているかは負けそうな賭けだが、一応インターフォンを押してみる。
「はーい」と女性の声がした。
「あ、はじめまして。わたくし倉木という者です。茜さんはご在宅でしょうか?」
「茜?茜ならいませんけど、どのようなご用件ですか?」
「実は五谷出身の穂積怜さんのことを何かご存知のことは無いかと思いまして、お伺いした次第です。」
「ほづみ……穂積怜さん!?」
女性の声が大きくなった。
「穂積怜さんをご存知なんですね!」
「知ってるも何も……ちょっと待って下さいね、開けますから。」
少しすると女性が玄関のドアを開けて出てきた。家は全体的に白く、外壁は白いタイルでできていて、門扉も白い鉄で出来ている。
「穂積君のお知り合いの方?」
「いえ、直接は知らないのですが、彼について情報を集めている仲間がおりまして、協力している次第です。」
百合華は今までの人生で、これ程の罪悪感を抱いたことがなかったかも知れない。嘘に嘘を重ねて人の善意を受け取る。
しかし、本当のこと——穂積怜は普段隣のデスクで仕事をしていて、今日も元気です——を言ったら情報を分けてもらえるだろうか。
女性は百合華に「入ってちょうだい」と家に招き入れた。
リビングに通され、薄緑色のアンティーク調のソファに座るようすすめられた。花柄があしらわれていて、見るからに高そうだ。そして座り心地も良い。
女性は紅茶を運んで来てくれた。百合華は頭を下げた。
「茜さんは、今どちらに?」百合華が聞くと、
「西京の商社で働いているの。」と女性は答えた。
「西京ですか。ご立派ですね。」
「ありがとう…。あ、申し遅れました。私、茜の母のみどりと申します。」
「倉木百合華です。出版社で働いております。本日はプライベートですので、名刺も持たず申し訳ございませんが、宜しくお願いします。」
「いえいえ、構いませんよ。」
みどりの話し方は1つ1つがとても丁寧だ。自分も砕けないよう自戒した。
「それで、茜は不在なのだけど、何か手伝えることあるかしら?」
みどりが尋ねた。
「失礼ですが、お母様は、穂積怜さんを直接ご存知ですか?」
「ええ、勿論。それに、彼が居た頃…もう何十年前になるのかしら。あの頃PTAの会長をしていたものですから、色々と噂や事実を耳にしていました。」
「噂や事実というのは、どなたから…?」
「PTAをやっていると、保護者同士の繋がりは勿論、先生方との繋がりも強固になってまいります。一生懸命会長の仕事をやっておりましたが、休憩時などは仲間たちと色々な話をしたものです。その中でも穂積さんの所の話は印象的でした。」
「どのような噂か聞いても構いませんか?」
「根も葉もない噂ですが、穂積さん宅は家と呼ぶにはふさわしくない居住環境で、親の存在が誰1人確認できていないというような話です。」
「穂積弥生さんですね。」
みどりははっとした。
「そうです……そうです。」
「穂積君はあまりお友達を作れなかった様子なのですが、うちの娘は穂積君のことをよく気にかけていました。いじめられている事などを、どうにかならないのかって、憤慨しておりました。」
「それでいつも、穂積さんを気がかりにされていたのですね。」
「ええ。でも、穂積君がそれを逆手に取ったのかな、という事がありまして。」
「……というのは?」




